スキャンダル
出回っている記事の内容は、ありきたりで特に目新しさはない。
ブリュンヒルデが恋人と引き裂かれ、傷心の果てに兄と関係を持っているとか、その兄の恋人に執拗な嫌がらせをして、自殺に追い込んだだとか、凡そ相手にする価値もない、つまらないスキャンダルである。
ただ、今回の記事は、その内容を月の宮の現役侍女が裏付ける体裁で書かれているのだ。
ブリュンヒルデ妃は、わずかな護衛騎士と兄とともに離宮に住んでいるが、その兄は宮殿勤めの、絶世の美男である、とここまではまあ真実に近い。
記事では侍女の証言として、夜中に妃の寝室を訪う男の姿を複数回目撃し、更に男は朝まで寝室から出てこなかったと書かれている。
これは全面的に事実である。
盟主は毎晩どんなに遅くなっても必ず妃の寝室で眠るのだから。
しかし、サーニはそんな証言をした覚えは金輪際ない。
つまり、この後段は完全な創作だ。
第一、盟主が妃と寝室で何をしようと問題はないし、やましい点などないのだが。
更に記事は更新を予告していて、次回は侍女の父親のインタビューだそうだ。
「困ったものですね、あなたのお父様。」
呆れ顔の少尉である。
ゆらりと揺れた長いしっぽが、黒い「?」マークの形になった。
「しかし、こんな事をしたら、家名に傷がつくとか思わないんですか?」
「父は、昔からこうなんです。考えもせずに行動するというか、底が浅いっていうのか。」恥ずかしさに、サーニの頬が赤い。
父が仕出かすのは初めてではなかった。
それどころかもはや、数えきれないという方が正しい。
後先考えず、支払い先の決まった金を使い込むなど日常茶飯。詐欺師に騙されて一攫千金を夢見た挙句、数少ない家宝を売り飛ばして代金を持ち逃げされたり、おだてられていい気になり、亡き妻がサーニに残した別荘を抵当に高利の金を借りて、全て投資とやらで失ったり、ついにはサーニ自身を売り飛ばそうとしたり。
堰を切ったように父親のやらかしを話し続ける彼女だが、話せば話すほど、今更ながらに呆れ果てるほかなかった。
なぜ、あんなのが父親なんだろう。
悔しくて泣きそうになる。
一体あの人は、自分にとってなんなのか。
これまでただ人生の足枷になっていたとしか思えない。
父親であることは間違いないのだろうけど、だからといってやっと見つけた居場所まで取り上げかねないような、愚かな真似をして良いはずはない。
「あなたの人生はあなたのものでしょう、サーニさん。気にすることはありませんよ。ここの誰もつまらない中傷などに取り合うほど、暇ではないですから。」
卵で産まれ、共同で養育されるドラゴンにとって、親子や兄弟のしがらみはあまり分かりやすいものではない。
カイは本能的に、主人である紫の宮に執着するが、それは家族の馴れ合いや愛情とは似て非なるものだ。
サーニとしてもそこは分かっていたのだが、警備担当の彼に伝えねばならない情報が他にもある。
「私に取材を申し込んできたライターが居るんですが、その人が言うには…」
サーニはいい澱んだ。
「メールの相手ですね。つまりあなたのお父様がサギを働いた証拠を握っているから、公にされたくなければ、独占取材に応じろ、と。」
「はい…。」
彼女は俯いた。恥ずかしさに体が震える。
あんな父も家名も、どうなったっていいが、もしも父が犯罪者になった場合、自分はここにいられなくなるだろう。
ここは仮にも月の宮。
最高の格式を誇る離宮である。
黒の宮の私邸であることから明らかな通り、歴代盟主の正妃と言えどもおいそれと足を踏み入れられる場所ではない。
そんな場所に、犯罪者の家族を置くことなど出来ないだろう。
「何を心配しているかは分かりますが、それだって、気にするほどのことではないですよ。」
黒猫は事もなげにいう。
「愚か者は放っておきなさい。それともボクが処理しましょうか?」
「はい?それって…?」
「その記者。ボクの権能は知ってるでしょ。連邦ネットを仕事場にしているなら、2度とアクセス出来なくするなんて簡単なことです。それとも、本人を消しましょうか?」
「い、いえあの…」
あっけに取られたサーニの顔と、平然とした黒猫を交互に見て、カサンドラは黙っていられなくなった。
「僭越ですけど少尉。それは少し違うのではありませんか。」
「はい?」
「あなたが仰るようにしたとしても、問題は解決しません。」
「それはそうですね。第2第3の記者は次々現れるでしょうし…なら、サーニさんのお父様の方を。」
「違いますっ!」
思わず大きな声が出た。
自分の立場を忘れ、相手が何者なのかもわきまえない発言だ。
いや、忘れてなどいなかった。
だからこそである。
「少尉、あなたは強者です。いまやろうかと仰ったことなど、雑作もなく実行されるでしょう。ですが、この侍女さんは人間です。私と同じ人間なんですよ。せめてもう少しだけ、彼女に寄り添うことが出来ませんか?」
やらかした、と、カサンドラは内心歯噛みした。またやらかした。私はバカか?
いい歳をして、暗殺などという卑劣で愚かな行為を試み、更に敵前逃亡までした情けない自分が、どの面を下げて、絶対強者に違を唱えるのか。
自殺行為である。
目の前のちっぽけな黒猫は、息をするより簡単に自分を殺せる。カサンドラは、総司令官の言葉を疑ったことはないし、それが事実と知ってもいた。
なにより、彼女は大佐を知っていた。
その真の姿と力を知っていたのだ。
それでも、黙って居られなかった。
「似てますね、あなた。」
不意に、黒猫が呟く。
誰に、と聞くより早く彼は続けた。
「蘭に。二階堂蘭という女性に似てる。」
意外な言葉だった。
「そんな、少尉。それは僭越です。」
「蘭を知ってるんですか?」
カサンドラは頷いた。
かつて、カサンドラ・ヘイスは、連邦軍に在籍したことが2度ある。
直近では、デュボア大佐の副官として。
遥か以前は、士官学校を出たての新任将校として。
その駆け出し時代、所属師団の顧問的な存在であったのが、ラン・ニカイドウという名の古参女性大佐だったのだ。
新卒の女性将校は今よりも少なく、風当たりのきつい時代だった。
そんな中で、男女分け隔てなく接してくれたニカイドウ大佐の存在は、カサンドラにとって、大きな心の拠り所だったのだ。
その後退役したと噂に聞いたが。
「あのう、ニカイドウ大佐は、お元気ですか?」
黒猫は首を横に振った。
「亡くなりました。」
「あ…」
ショックだった。
「あなたは蘭に似ています。ボク、よく叱られました。あなたは人間がわかってないってね。」
クスリと笑って、彼は続けた。
「慢心があるんでしょうね、ボクには。ご主人様の命令で、人間として士官学校に入学して、卒業まで正体を見破られることがなかったので、こんなもんかと。アンドロイドみたいな奴とは散々言われましたけど、みたい、ってことは、アンドロイドではないってことでしょ。」
「それはそうですね。」
非人間的という意味ではあるが。
まあ、士官候補生であっても、まさか同期にドラゴンが紛れこんでいるなんて、想像すらしないだろう。
「で、近衛となってから、蘭と一緒にサンクチュアリで過ごす事を命じられました。この姿でね。彼女の最期を看取ったのは、ボクです。彼女は、短期間ではありましたが、ご主人様の侍女件教育係だったそうで、ご主人さまがずっと気にかけておられましたから。」
「ああ…」
そうだったのか。何かが腑に落ちた。
「まだまだダメですね、ボクって。サーニさん、この件、少し預からせて下さい。お願いします。皆さんにも相談して、穏当な方法を探しますから。」
黒猫はペコリと頭を下げる。
「あ…、ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願いします、少尉。」
「じゃ、これで。」
黒猫はトコトコと立ち去った。
「大丈夫かしら…」
サーニが呟く。
カサンドラも少し首をかしげたい気分だ。
相談する、と言ったところで、その相手は限られていよう。
ここの住人が相手だと…?
果たして、彼らの思う「穏当な」方法が、世間一般のそれと同じだろうか…。
サーニとカサンドラは、思わず知らず顔を見合わせた。
いつもお付き合いくださる皆様、本当にありがとうございます。
まだまだ続きますので、どうかよろしくお願いします。