家族の問題
一夜明けて。
月の宮である。
早朝戒厳令は発令期限となり、世間は騒然としながら、慌ただしい朝を迎えていた。
盟主は山積みの仕事をこなすため、徹夜明けに、既に出勤している。
盟主妃はベッドの中で、眠りについたばかりである。
意味不明の宴会がお開きになったのは、すっかり夜が明けた頃だった。
カサンドラ・ヘイス率いる傭兵部隊はなぜかまだ滞在中である。
「その内、ルイが帰ってくるから、ゆっくりしているといい。悪いようにはしない。」
出勤前に、盟主はそう言い残した。
カサンドラや副官らは少し複雑な気分だ。
傭兵稼業は他にやりようがなかったとはいえ、褒められたものではないし、要人暗殺は、進んでやりたくはない。
だから、最低限の武力行使て目的が達成できるように、ターゲットの容姿を全員に周知した。戴冠式など、数少ない機会の映像を元にした訳だ。
アイスドールとかクリスタルスタチューなどと称される通り、生身の女性というよりも貴婦人という単語を具象化したような、現実感に乏しい美しさ。
呼吸しているのだろうか?
血は通っているのか?
我ながら浅ましいことに、むしろやりやすいターゲットだと、そう感じていた。
だが、現実の彼女は生き生きした普通の少女にしか見えない。
その人を、殺そうとした。
どう考えても軽々に許されるはずはない。
ルイというのは連邦軍の大佐だが、飛竜遊撃隊所属のドラゴン騎士でもある。
つまり、戦時下で彼の率いる師団は、将軍など階級が上の指揮官からの干渉を受けない。
彼に命令できるのは当代盟主と、連邦宇宙軍提督であるグラデエルファイラ将軍くらいなものである。
いずれも人外の化け物揃いだ。
そのルイ・デュボア大佐は、かつてカサンドラたちの上官だった。
陽気な金髪の男で、気さくな性質である。
昨夜正妃が、ルイは義父の騎士と言ったのを小耳に挟んだが、そうすると大佐は初代盟主・翠皇のドラゴンなのだろう。
彼は、正規に養成された軍人と、カサンドラたちを区別しなかった。
徹底した実力主義者であり、癖のある傭兵出身者やならずものに近いメンタルの兵士すら、見事に使いこなす手腕の持ち主でもあった。
終戦で互いの道が別れた後も、折に触れ思い出す、そんな上官だ。
不思議な縁で、カサンドラたちはここにいるが、当面処刑は免れたとしても、これからどうなるかは未知数である。
請け負った任務に失敗したのは事実だから、クライアントに報告する義務はある。しかし、クライアント側の情報は完全に間違っていた。
プロなら、それを言い訳にすることは出来ないが、クライアントは当代盟主とブリュンヒルデ妃には、ほぼ接点がないと断言していたではないか。
仮に、当代盟主の真の配偶者がターゲットだと知らされていたなら、依頼は絶対に受けていない。
部隊ごと自殺する趣味はないのだ。
あの大佐が恐れ、なおかつ敬愛していた総司令官閣下に楯突くなんて、間違っても願い下げである。
幸い、初めて盟主を見た部下たちも、何かを感じ取ってくれたようだ。
触れてはならない存在がある。
そう気付いたならよかった。
家族のいないカサンドラにとって、部隊は家であり家族だ。今回、皆が生き延びることが出来たのは、運が良かっただけ。
願わくば全員にリスクを回避するスキルを身に付けて欲しい。
眠れないまま、石回廊の柱にもたれて庭園を眺めていた彼女の足下を、黒猫が通り過ぎる。
あれは確か、と思った瞬間、一旦通り過ぎた黒猫が、トコトコと引き返して来た。
「あのう、ヘイスさん?」
いきなり足元から話しかけられて、ギョッとしたが、ドラゴンの変身能力を見たのは初めてではない。
彼女は屈んで黒猫に話しかけた。
「はい、何ですか、ええと…?」
「あ、申し遅れまして。ボクはカイ・エミリオ・バルト、盟主近衛で、妃殿下付きのドラゴン騎士です。連邦軍での階級は少尉です。」
黒猫は生真面目にそう言って、前足を差し出した。
カサンドラはそっとその足を握る。
柔らかな毛と肉球の、頼りない感触だ。
握手、なんだろうか、これ?
エメラルドの目をした黒猫は、やはり真面目な態度で前足を引いた。
握手で間違いなかったらしい。
「ヘイスさんは以前、デュボア大佐の部隊にいらしたんですよね。それであの、大佐がここに戻られるのって、いつかご存知ですか?」
「さあ?総司令官閣下は、そのうちとしか仰いませんでした。それまでゆっくりせよと。」
「そうですか。それなら近々ということですね。」
黒猫は、何か考える様子。
「あの、少尉、お聞きしてもいいですか?」
「はい?」
「大佐はなぜここに戻られるんです?」
「ああ、ここに部屋がありますから。本宮にも住居がありますが、ここの方がお好きなんです。姫様もおられますから。」
「それは…どういった意味合いで?」
「大佐は姫様がお気に入りなんです。個人的に忠誠を誓うくらい。」
「あ…」それは、まずい、かなり。
大佐の心象を害するつもりは、これっぽっちもなかったのに、何だかとんでもないことになりそうだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、ヘイスさん。」
「え…?」
気がつくと、黒猫のエメラルドの目にじっと見つめられていた。
「ボク、皆さんを殲滅しようとしたら、活け造りにされるんです。だから、姫様も龍一さまも、あなた方の処分なんて考えていません。大佐も同じでしょう。」
「はあ…」そうとしか言えなかった。
根拠がわからないから。
黒猫は更に説明を加える。
「つまり、撤収を即断されたのは賢明でした。龍一さまは、姫様を溺愛されてますから、万が一姫様の髪の毛一筋でも傷つけたら命はなかったでしょう。でも姫は無傷だし、皆さんの事情もわからなくはない。ここは、小さな宮です。えーと、家族的っていうのかな。だから中で起こったことは、ここで解決します。」
よくはわからないが、とりあえずは大丈夫そうだ。
黒猫の少尉に礼を言おうとしたその時、パタパタと足音がした。
「少尉!」
メイド姿の侍女が駆け寄って来る。
何やら深刻な表情である。
「どうしたんです?」
「こ、これを見てください。」
手首の携帯端末を指し、少尉に言う声が少し震えている。
黒猫は、ちらっと端末の方を見た。
カサンドラが後で知ったところでは、少尉は電磁波を操る権能を持った、規格外の固体で、1秒の百分の1にも満たない時間で情報を読み取るのだという。
「なるほど。」
「私じゃありません。」
「わかってます、サーニさん。察するに、あなたの父上ですか?」
侍女は頷いた。怒りだろうか、強い感情から唇が震えている。
「と、匿名の情報提供者、となってますけど、月の宮の侍女って、私しかいないわ。これじゃまるで私が…」
「事実無根だから良いじゃないですか。
ん…?しかし、これじゃ…」
「姫様のお名に傷がつきます!」
「そんなこと、気にする方じゃないでしょ。大丈夫ですよ。今までだって、あらゆる誹謗中傷があったんだから。」
その通りだ。カサンドラも知っている。
盟主妃は庶民に人気があるから、それだけスキャンダルは美味しい。
芸能記者たちは何としても、火のないところに煙を立てようと必死だ。リマノ貴族程度の恋愛スキャンダルでも、充分飯のタネになる。
まして盟主が連邦に君臨するという稀有な時代、しかもその盟主がただの神族ではないとなれば、これは命懸けで一山当てたい者がわんさといるだろう。
「さあ、まずは座りましょう。」
黒猫に促されても、侍女は震えるばかりで動こうとしない。
カサンドラは見かねて彼女の手を取り、近くのテラスへと導いた。
赤毛の娘は素直に付いてくる。
まだ10代だろうか。やせぎすだが、それなりに整った顔立ちである。
多分、人間。
この宮唯一の侍女と言っていたから、他には侍女はいないのだろう。
無理もない。カサンドラがバリア突破後すぐに気づいたのは、この場所のとてつもない危険性だったのだから。
ガーディアンたちや、黒の宮など、真に危険な絶対強者たちは、不思議なくらい気配を感じさせない。
だが、庭園の木々や、池、土地、この空間の全てが、禍々しい別の次元の色彩を帯びているのだ。
何が起こるかわからない。
簡単にいうとそうなる。
が、それが対処可能な何かかといえば、おそらく不可能。
つまり逃げるが勝ち。
そんな場所で勤められる人間は多くないだろう。
ここの設備を見る限り、人手はほとんど要らないと思われるから、侍女がたった1人でも問題はないはずだ。
椅子に座った侍女、サーニ・ナルシオン・ダ=リマーニエは、硬い表情で正面を見据えたまま、カサンドラの手を離さない。
自分が何をしているか、意識してはいないのだろう。
カサンドラは立ち去るタイミングを失った形で、サーニの言葉に耳を傾けることになった。
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