長い夜の片隅で⑤
「お待ちください、総司令官閣下。」
この傭兵部隊の指揮官であるカサンドラ・ヘイスが、椅子から降り床に跪いた。
「そう呼ばれたのは久しぶりだな。」
僅かに笑みを含む声で、盟主が言う。
短い間ではあったが、戦場を渡り歩き、戦争終結のために、自ら戦闘に身を投じた日々が蘇る。
盟主の仮面よりずっと簡素な仮面と、何の飾りもない軍服と。
そこではただ総司令官と呼ばれていた。
「此度のこと、全ては私の責任です。どうか、この一命にて、部下の生命だけは。」
そう言って、彼女は深々と頭を下げた。
凍りつく沈黙の中、兵士たちが一斉に指揮官に習って床に跪く。副官らしき男が土下座せんはかりに頭を垂れた。
これも盟主にとって、わずかながら見知った顔だ。見渡せば、他の数人の顔にも覚えがある。
大戦はわずか数ヶ月で終結した。
いや、強制的に終結に導いた。
盟主は、そのために手段を選ばなかった自覚がある。最も有効な手段の一つは、絶対的な戦力を見せつけることだった。
一般人は、神族の恐ろしさを知らない。
だが、かつて共に戦場にあった者たちならば、その絶対的な力の恐怖を垣間見ていただろう。傭兵たちは武装解除されていたが、そんな事をしなくとも、眼前にいるのが当代盟主と確信した瞬間、戦意など消え果てていた。
その光景を眺めていたサルラが、淡々と告げる。
「龍一様、このカサンドラってお嬢さんったらね、バリアを突破した途端、撤収を決めたみたいで。いいカンです。潔いというか、判断が早いというか。面白いんで、レヴィ様と相談して拘束したんです。」
易々と部隊を無力化した化け物の声に、あからさまに震え出したものが複数。
「だろうな。カサンドラ・ヘイス、君なら陽動作戦に出て部下を逃そうとしたはずだ。その動きは、妃が察知していた。適切な判断だ。カイがいなくてよかったよ。カイは妃付きのドラゴン騎士だが、融通が効かなくてね。彼なら、君達が気付く前に全員を殲滅していたはずだ。運が良かったな。」
天気の話でもするかのように軽い口調だ。
だが、肌が粟立つのを感じたのは、1人や2人ではなかった。
「立て、カサンドラ。諸君もそう緊張しなくて良い。俺は君らを処断するつもりはないし、狙われた本人もそういう気はないようだ。あとは、ここの持ち主の意向だが。
叔父上、いかがなさいますか?」
と、もう1人の化け物に声がかかった。
当代盟主に似た顔立ち。
月の宮の持ち主。
歴史でしか知らないその名に、思い当たらぬ者はいない。
黒の宮は、あっさりと答えた。
「千絵が良いならそれで良いとも。」
「ありがとう、レヴィ叔父様!」
そんな経緯で、カイが月の宮に戻って目にしたのは、ちょっとした宴会のような光景だった。
「これって何ごとですか、ご主人様?」
「お帰り、カイ。さて、何なんだろうな?強いていうなら、お前に殺されるはずだった者の生還記念パーティか。」
「はい?あのですね、そもそも戒厳令の深夜2時に、発令者がこんなことしてて良いんですか?」
「発令したのは、ラグナだろ。俺は発令することを命じただけだ。」
「それって、屁理屈です。」
「少しは融通を効かせろ、カイ。」
「嫌です。…まてよ、戒厳令の深夜の訪問客?ボクに殺されるはずの?」
カイは、ぶつぶつ呟きながら、食堂を見回した。
隅に積まれているあれは、武器と弾薬の山だ。小火器の類いと、手榴弾各種。
うん?あれって…ロケットランチャー。
型式からして、あの時の音と閃光の原因である可能性が高い、ということは?
「龍一さま、やっぱり今からこの人たち殲滅していいですか?」
「却下。」
「しかし、ボクにも職責が。」
「くどい。それとも、お前が活け造りになりたいのかな?」
満面の笑みでそう言い放たれると、カイはジリッと後ずさった。
「ゔ…。ボク、絶対美味しくないですってば。」
早くも逃げ腰のカイ。
そこへ、グラス片手の黒の宮が、真面目な顔で乱入する。
「それはわからんぞ。ドラゴンを食った記録は殆どないからな。」
更に盟主妃が参戦した。
「あら!記録ゼロじゃないんだ。ねえ叔父様、カイって美味しいの?」
「うむ。俺が読んだところでは、…」
「あっ!ボ、ボク、まだ任務が!失礼しますっ!」
脱兎の如く駆け出したその姿は、なぜか黒い猫だった。
変身は一瞬のことで、周囲にいた兵士たちにも何が起こったのか見定める暇はなく、
ただ呆然と黒猫を見送る。
「ほほう。変身が上手くなったな。」
「あれはもう擬態ってより、カイ自身みたいだわ、叔父様。アイデンティティがどうにかなっちゃったのかしら?」
「うむ?自称ペットだしなあ。使い魔ってのは時代錯誤も甚だしいが。」
「あ、それで思い出した!お聞きしたいことがあったの。」
「うん?」
「あのね。ルイは、お義父さまの騎士でしょ、それで、カイは龍ちゃんの騎士よね。叔父様の騎士は?」
「今はいないな。ドラゴンは長命な生き物だが、我ら神族の方が無駄に長生きだから。」
宿命的に、何代もの翼の騎士を見送ることになる。
それは悠久の時を超えて生きる、神族という特殊な生命体にとっては自明だ。
先代のドラゴン騎士を失って以来、黒の宮は、孵化場に足を運んでいない。
孵化したばかりのドラゴンと対面することで、その個体の生涯にわたる忠誠を得る結びの儀は、大抵孵化場で執り行われる。
「叔父様は、何故孵化場にいらっしゃらなかったの?」
「疲れたからかな。見送ることに。」
「あ…。ごめんなさい。」
「気にするな。この疲労感は、生物ならではだが、俺にもどうにもならぬ。やがて龍一、お前にもわかる時が来るかもしれないが。」
「お言葉ですが、俺は叔父上のような純血の神族じゃないんです。そう長生きするとは思えません。」
黒の宮は、一瞬甥を見つめ、何か言いかけたが、一言、
「そうかもしれぬ。」
と答えて目をを伏せる。
やや気まずい沈黙が流れた。
少し青ざめて見える妃。傍らで、昂然と叔父を見つめる盟主の眼差しは強い。
サルラは一歩引いて彼らを観察する。
サルラには、黒の宮が言いかけた言葉がわかっていた。無論、他の2人も。
黒の宮の持つ全ゲノムのコピーを、神原の末裔である2人は持っている。
人間である神原千絵にとっては、あまり意味のないものかもしれないが、龍一にとってそれは違う意味を持つのだ。
完全に活性化させれば、神族のもつ無限の生命力をも発現出来る。
ただ、そうすれば人間の遺伝子は発現を抑えられてしまうだろう。
紫の宮は人として生き、死ぬことを望んでいるのだ。
サルラは興味深く3人を眺める。
肉体を持たないサルラは、意思と自我を供えるエネルギーそのものだから、人間や神族の営みやジレンマとは、ほぼ無縁の存在であるはずだ。
それなのに、なぜこんなにも彼らに惹かれるのだろう。
捕獲、もしくはスカウトされたのは事実だが、それとても半ば興味本位か暇つぶしだったことは、サルラとその同族たちも、神原龍一も知っている。
これは、飽きるまでの気まぐれな降臨に過ぎない。
この世界に神が在るなら、神族などと呼ばれている者たちよりむしろ、サルラたちナーガの一族こそが、それに近いだろう。
サルラも同族たちも、この暇つぶしに没頭している。当分やめるつもりはない。
何故肉体ある生き物にこれほど魅了されるのか、サルラは未だその答えを知らない。
面白かったら、評価などなど、宜しくお願いします。