長い夜の片隅で③
川原で漁のレクチャーが始まったころ。
月の宮、正妃の寝室では、横たわる彼女の額にそっと手が当てられた。
「龍ちゃん?」
うっすらと目が開く。
「お帰りなさい。」
「ただいま、千絵。」
彼女の頬は紅く、熱のため潤んだ目は焦点が合いにくそうだ。
額は燃えるように熱い。
「能力を使い過ぎたな。筋肉痛のような物だが、遅れて症状が出る。自業自得だ。」
「そう言うと思ったわ。」
だからカイに、知らせるなと言った。結局こうなったけれど。
「そこで提案だが、ゆっくり回復を待つか、手っ取り早く回復するか、選べ。」
「それは、ちょっとでも早い方が…って、何してるの?」
彼は無言で手早く服を脱いだ。
更に、彼女の着衣に手を掛ける。
「え?あの?私病人なんだけど?」
「病気じゃない。熱発しているだけだ。ほっといても下がる。」
「だ、だからって、え、そんな!待ってったら!キャーっ!」
「諦めろ。」
ニヤリと笑って、彼は軽々と彼女をベッドから抱き上げた。
「あーあ。ほんとに困った人だな。」
悲鳴を聞いて、サルラは呆れ顔である。
「だが、論理的ではあるぞ。」
と、黒の宮。
2人(?)の人外クリーチャーは、小サロンのソファで寛ぎ中だった。
「薬になるのは、千絵の血だけではないからな。とはいえ、龍一の体液は普通の人間にとっては毒に近いだろう。」
「毒って、どんな毒です?」
毒物に目がないサルラが飛びついた。
彼、だか彼女だかよくわからないが、サルラは、有機物からなる肉体をまとってみて以来、生理活性の研究にハマっている。
そもそも紫の宮に捕獲、というか、スカウトされるまで、肉体などという制約だらけの容れ物に興味がなかったはずだが。
知的生命体という奴は、何かにハマりだすときりがないようだ。側から見て馬鹿げたことでも、真剣に追求をはじめたりする。
「毒というか、極めて依存性が高い麻薬のようなものかな?神族と性的関係を結んだ他種族の男女は、神族以外の男では満足出来なくなるらしい。血液に限って言えば、口にしたら最後、一度で虜になるだろう。それを手に入れるためには、命すら投げ出しかねないだろうな。その点千絵は大丈夫だが。」
「うえっ。それじゃ本末転倒だ。生きているから楽しめるのに、死んじゃ意味ないでしょうが。めんどくさいんですねえ、生身の生き物って。」
「そうかもしれぬ。が、仕方なかろう。
そのように生まれついたわけだからな。」
「確かに、そこが面白いんですがね。
それと、執着心ってものも興味深い。今も大概ですけど、龍一様が千絵さんと初めて××した時なんてもうねえ。…おっと!」
黒の宮が素早くサルラの肩を抱いて、頬に頬を寄せた。
「ほほう。そこのところを詳しく。」
「聞きたいですかぁ?ちょーっと高くつきますけど?」
サルラがニヤッと笑うと、なぜだか口が耳まで裂けたみたいに見える。
「ならばこれでどうだ?」
サルラの耳に、黒の宮が何事か囁いた。
「ほ、本当ですか?!取引成立です!」
2人は握手した。
どちらもかなり悪い顔になっている。
早速サルラが語り始めようとしたその時。
小サロンから続くバルコニーの方で、眩しい光が炸裂した。次いで轟音が響く。
更に、2度目、3度目。
高性能ロケット弾が、バルコニー辺りに着弾した模様である。
「無粋な。」
「まことに。」
淡々と会話しながら、なぜかサロンの二人ともが、バルコニーを無視して、盟主妃の寝室の方を見ている。
「…大丈夫そうだな?」
「でも、ほっとくとまずいですよ。千絵さんとの時間を邪魔したら、本気でキレますからね、あなたの凶暴な甥子さんは。」
「確かに。」
顔を見合わせ、頷きあって彼らは立ち上がった。
建物が被弾したところで問題はない。
正確にいうと、この程度の威力では、傷一つ付かないのだ。
問題は、外からの攻撃ならばここまで届きはしないという事実である。
敷地外周の生垣のあたりには、高速で移動する物体を遮断するシールドがあって、この機械仕掛けのバリアは、有質量弾、つまりミサイルやロケット弾とか銃弾を通さない。
このほかエネルギー砲に特化したバリアとか、人の見当識を攪乱する力場とか、侵入者にとって非常にタチの悪い障壁は多々あったのだが、それを突破した連中がいるということになる。
普通はバリアを突破したら、静かに建物に接近してくるだろう。内部を制圧して確実にターゲットを仕留めるために。
それがロケットランチャーなどで派手な攻撃を仕掛けるということは、陽動である可能性が高いのだ。
つまり敵は、複数のチームで行動している。
「僕、どっちへ行きます?」
「陽動部隊をたのむ。」
「了解。」
会話はそれだけで、2人の姿は消えた。
1人は、床に溶け落ちるようにその形を変化させたかと思うと、一条の光線と化して飛び去り、1人はただその場から消え去る。
後には何ひとつ残らなかった。
ここは、何かがおかしい。
傭兵として永年生き延びてきた女の勘がそう告げている。
彼女は、優秀な指揮官だった。
殲滅戦争という愚かしい大戦が終結して4年になる。それ自体は喜ばしいことだが、近頃はめっきり仕事が減り、チームの維持は容易でなかった。
だから、受けた仕事だった。
月の宮がヤバい場所であることは知っていたが、ターゲットは至ってソフトな筈だ。
うら若く世間知らずで、お飾りの正妃の地位にあるだけの、哀れな巫女姫。
盟主の「御渡り」は、ただの一度もないという。
それでも、彼女の持つ称号はリマノ貴族の垂涎の的だ。だから、邪魔なその女を殺せと命じる。貴族などという連中は、何を考えているかさっぱりわからない。
金払いさえよければ、どうでもいいが。
正妃の地位に擬されているその女が冷遇されているお陰で、警備は手薄。
この点は有難かった。
警備部隊は駐屯していないし、登録されている戦力は数名の近衛将校のみである。
近衛といえば、軍人とは名ばかりの、見目麗しい儀礼用お飾り部隊と決まっていた。
そんな儀仗兵ごときは、数多くの実戦を生き延びた傭兵の敵ではない。
つまり、侵入者を阻む機械的バリアを突破しさえすれば、制圧は容易いだろう。
それでも、女は慎重だった。
今まで、数多くの暗殺者が送り込まれてきたはずなのに、任務に成功したチームは1つもない。
チームのレベルはピンキリだろうが、バリアを突破さえ出来ない無能はともかくとして、一流と目されていたチームの多くが帰還しなかったのだ。
重火器を擁するプロフェッショナルの小隊が、繰り返し突入した筈だが、まるでケムリのように消えてしまった。
それでいてニュースにもならない。
逮捕されたか、逃亡したか。
はたまた制圧されたのか、殲滅されたのかそれさえ不明である。
月の宮は、無傷のままそこにあって、数百年の沈黙を湛えるのみ。
消えてしまった連中の所属は様々だったし、色々な勢力からの依頼で動いていたのだが、構成員には女の知己も多くいた。
中には、彼女が一目置くほどの者もいる。
その性僻やら性根に関しては、お世辞にも高潔と言えないものの、実力はかなりのものだったはずだ。
そいつらも消えた。跡形なく。
性根の腐った奴が多かったから、裏切りや逃亡の可能性も否定し難いが、それにしてもあまりに痕跡がなさ過ぎた。
実際にここに来て、彼らがどうなってしまったかについては、確信を持った。
チリチリしたこの感じ。
名指しがたい違和感。
行方不明の傭兵仲間達の生存は、絶望的であろう。
ここには、何かがいる。
何者かはわからないが、恐ろしい敵が。
確信した時には、障壁を突破していた。
冗談じゃない。
いくら積まれてもやってられるか!
だから、撤退命令とともに、陽動作戦に出たのだ。
敵の注意を逸らして、部下たちを1人でも多くここから離脱させるために。
彼らがバリアを再度抜ける時間を稼ぐ必要があったのだ。
自分は生きて出られないだろう。
いや、死んでも出られないに違いない。
それを知りながら、ロケットランチャーの照準を合わせる。
目標、月の宮。
そして、賽は投げられた。
夜はまだまだ続きます。
今しばらくお付き合い下さいませ。