長い夜の片隅で②
「なんか、今日はヘンなの多いなあ。」
闇に沈む河原で呟いた者がいた。
独り言だろうか。
街灯の光は遠くでポツリと道路を照らしているが、あとは薄雲に覆われた、おぼつかない月明かりだけが光源だ。
川面のきらめき、堤防の斜面の、規則正しい護岸の構造はなんとか見て取れる。
道路から河川敷に降りる階段や、河川敷と堤防の上の遊歩道とを区切る柵もだ。
だが、川岸の草むらはかなり丈が高く、ところどころ雑草の葉先のカーブが見て取れるほかは、黒い帯のようにはるか遠くまで広がっていて、川にごく近い場所に座っている、さっきの声の主の姿は見分けられなかった。
トプン、と水音がした。
きらめく水面に、黒い石のような丸い形が現れる。
表面はツルッとしていて、濃い色をしていることはわかるが、月光では色彩が判然としない。
「あ、またひと組行った。」
さっきの声がまた呟いた。
少年の声だ。よく見ると、短い竿から釣り糸を垂れているらしい。
再びトプンと音がして、丸い石のようなものの表面が、鈍く光を反射する。
向きが変わったようだ。
この辺り、川幅はかなり広くて、水底は見かけよりずっと深い。
「危ないから、それ以上出ない方がいいよ。あ、また来た。」
街灯は暗くまばらだが、道は平坦だから、そこを歩く者達の姿はわかる。
といっても、どうにか人数が数えられる程度なのだ。
「あれれ?なんか様子が…」
少年が立ちあがろうとした、その時。
ゴウっという音とともに、視界が白っぽく染まる。
少年は思わず目を閉じた。尻餅をついたことは、一瞬遅れて自覚したが、何が起こったかはわからない。
全身に、もわっとした、暖かくて湿った空気が吹き付ける感触。
川のにおいと、それより強い青草の臭い。
たしか、二組の不審な集団が道路上で対峙していて、様子が変で、それで…?
「大丈夫か、クルム?」
あれ?どっかで聞いた声。
「植木屋のにーちゃん?」
「おう。久しぶり。君の友達も無事だとは思うが、聞いてみてくれるか?」
「あ、うん。大丈夫、シャル?」
どこかからシュウウ、という音がした。
「大丈夫みたい。びっくりしてるけど。」
その時、雲が切れて、月明かりがあたりを照らした。
「…あれ?」
少年は一瞬絶句した。
肩のあたりまで生い茂っていたはずの雑草が、消えている。
よく見れば、地面から20センチ位を残して、綺麗に刈り取られたようになっていたのだ。あたり一面、同じような状態で、ただ自分の周囲にだけ草が残っている。
ゾッとした。
刈り取られたとして、その草は?
目を凝らして探すが、どこにもない。
草が、消えた…?
「あれ?」
消えたものは他にもあった。
100mばかり離れた道路の上で対峙していたはずの連中の姿がない。
進んだにせよ戻ったにせよ、道は一本だけだから、こんな短時間に姿が見えなくなるなんて?
「兄ちゃん、さっきあそこにいた連中ってさ、離宮に入ってったの?大変じゃん!」
「…いや。どうかな?」
曖昧な答えに、少年は背の高い相手を見上げた。顔は陰になってよく見えないが、見知った人物に間違いはない。
彼は、少年の通学路沿いで、離宮の生垣の手入れをしている姿を見かける人だ。
だから植木屋さんと呼んでいたが、本当の仕事は知らない。
でも、離宮に住んでいると言っていたから、そこの関係者であることは間違いないだろう。
「見てたんだろ、兄ちゃん?」
「入っては行かなかった。」
今度の答えは、少し笑みを含んでいた。
「心配は要らないさ。ここは、怖い奴らに守られてるからな。しかしだ、クルム、戒厳令が出ているのに、今夜くらい漁は休んだ方がよくないか?」
クルムは、首を横に振る。
「戒厳令だから、川は人が少なくて助かるんだ。獲物を横取りする奴らもいないし。シャルも出て来やすいからさ。」
相手は、周囲の草の様子を身振りで示す。
「これでもか?」
「…。」
そう、今夜の危険は、いつもの比ではなさそうだ。そのくらいはわかっているが…
クルムは、13歳の川漁師である。
ここの川には、一風変わった獲物がいて、うまくすれば結構な金になるが、危険もそれなりにあった。
金になる獲物の多くは夜行性で、夜はまた別の種類の危険な生物が徘徊する。
彼の父も漁師だったが、2年前、漁の最中に負傷し、それが原因で亡くなった。
母は病弱で、仕事を休みがちだから収入は多くない。
クルムにはまだ幼い弟妹がいる。
今はクルムが働いて何とか生活が成り立っている状態だ。
だから、やめられないし、怪我をするわけにもいかないのだ。
昔から川を遊び場にしていたから、友達もいる。それがシャルだった。
臆病であまり人前に出てはこないけど、シャルは大きくて強い。
彼がいると、河川敷を徘徊する危険な生き物は近づいてこないのだ。
だけど、今回はちょっと勝手が違う。
「助けてくれてありがとう、植木屋さん。でもあいつらってさ、離宮のお妃さまを狙ってるんだろ?何で外でこんなことを?」
雑草を消滅させたのが、そいつらの仕業だということは、理解していた。
自分と友達のシャルは、植木屋に助けられたらしい。どうやったのかはわからないけど、状況からしてそうとしか思えないし。
「今夜は、いつもより客が多いだろう?暗殺者も多いが、他の理由で来てるのもいてね。目的の場所だけは同じだから、小競り合いが起こるさ。」
「小競り合いてよりも、戦争みたいだ。」
クルムは周りを見回した。
随分と遠くまで視界が開けてしまっているから、非常に強力な武器が使われたのだろう。
戦争は4年も前に終わったけれど、リマノでも小規模な戦闘は多々あった。
だから、武器が人や建物に向けられたとき何が起きるか、子供でも知っている。
「あそこにいた連中、死んじゃったの?」
「どうだろうね。」
また曖昧な答えだ。
つまり植木屋のにいちゃんは真実を知っているが、話したくはないということなんだろう、と、少年は解釈した。
なぜ、と考えて、少しドキッとする。
まさか、殺した?
15人以上いたはずだが、路上には見渡す限り人影がない。
倒れている者もない。
でもまさかね。それはないだろう。
目を離したのはせいぜい10秒。そんな短時間に全員を始末して痕跡を消し去るだなんて、出来っこないんだから。
それとも、植木屋さんの本当の仕事って、警備とかなのかもしれないな、とクルトは思った。
生垣の手入れをしている時、いつも一緒にいる、人形みたいな顔の兄ちゃんが警備の責任者らしいが、あれで警備が出来るなら、植木屋さんにもできるんだろう。
2人とも兵士とかには見えないし、強そうでもないが、人が見かけによらないことは、齢13際にして既に知っていた。
クルムの獲物を横取りしようとする大人たちはしばしば、親切なフリをしてこっちを油断させようとしてくる。
いきなり暴力に訴える連中の方が、分かりやすいだけまだマシだ。
植木屋さんも、あのカイとかって警備の人も、少なくともクルムの獲物を横取りしたりはしないだろうけど。
「あれ?あの人?」
植木屋の背後、河川敷に通じる階段を足早に降りてくる人影があった。
今ちょうどその人のことを考えていたところだ。カイとかいう警備の人、たしか、軍人とも言ってたっけ?
全然見えないけど。
「龍一さま!」
そうそう、植木屋さんそういう名前だ。
ん?様付けってことは、なんか偉い人?
今更だけど…
「どうした、カイ?」
「先程重火器の使用が確認されましたが、あー、その件はもう良いです、ハイ。で、クルム君だっけ、怪我ない?」
「うん、大丈夫。」
出し抜けにピーっと甲高い音、同時にタップン、ザバン、と大きな水音がした。
月明かりに水しぶきがきらめく。
「え?シ、シャル?」
友達の気配がない。川面に広がる波紋。
シャルは、水底深く潜ってしまったようだ。随分とびっくりしたみたいだけど、理由がわからない。
「カイ。」
植木屋さんが、なぜかすこし咎める口調で言った。すると。
「あ、はい。ごめんなさい、クルム君。」
「え?」
「ボクのせいです。君の友達が怖がったのは。あのね、謝っといて下さい。」
「何で?」
意味がわからない。
「怖い奴らが離宮を守ってると言っただろ?」
「カイ…さんのこと?」
なぜか、さん付けになってしまった。
「カイは、ドラゴン騎士だからね。君の友達は、彼の正体に気付いてしまったんだろう。カイはまだ若いから、時々遮蔽に失敗するんだ。悪かったね。」
クルムはあっけに取られた。
「ドラゴン騎士ってあの、絵本とかに出てくる、アレのこと?」
絵本のドラゴン騎士には2種類ある。
ドラゴンに騎乗する騎士と、人間の姿をした伝説の神獣そのものと。
たしか、この前のニュースでも、ドラゴン騎士がどうとかいってたけど、だからつまり、本当に存在はするのだろうけど、いくら何でも、この少女アンドロイドみたいなカイが?
ありえない。絶対。
「カイ。自己紹介。」
「ハイ。ボクは、当代盟主近衛の、飛竜遊撃隊所属ドラゴン騎士で、カイ・エミリオ・バルトといいます。今は盟主正妃ブリュンヒルデ殿下付きを拝命しています。あ、それであのう、龍一さま!お伝えしないといけないことがありまして…」
「何だ?」
「それが、レヴィ様は至急龍一様にお伝えせよとの仰せながら、姫様は、龍一様にはお伝えするなと、で、あのう…」
「…さっさと言え。口がきける内にな。」
「は、はいぃ。実は姫様、お熱がありまして」
「何だと?いつからだ?症状は?」
「1時間程になります。お倒れになってから、あ、意識はしっかりされていますが、39℃、解熱剤が効きにくいご様子で、筋肉痛と関節痛が…」
「わかった。さて、クルム、ここはさっきも見た通り、今夜は危険だ。普段なら、君を守ってくれていた友達も、カイのせいで逃げてしまったね。だから、カイに責任を取らせよう。
ドラゴン騎士カイ・エミリオ・バルト、クルムの今夜の漁に付き合って彼を守り、終了後自宅まで送り届けよ。」
「はい。承りました、ご主人さま。」
ご主人さまって言った…?
「じゃあな、クルム。」
「あ、うん。」
言い終わるまでに、相手の姿は消えていた。忽然と。前触れもなく。
クルムはただただあっけに取られて立ち尽くすのみだ。
「あーあ。ここから直接転移するなんて、らしくないなあ。ったく、龍一様ときたら、妃殿下が絡むと正気じゃないんだからもー。」
というカイのぼやきも、ろくに耳に入らない。こんなふうに人が消え失せるのは初めて見た。
しかし。
「カイ…さん?」
「何?何で突然さんづけ?カイでいいよ、クルムくん。」
「あ、じゃあ、僕もクルムって呼んで下さい。で、あのう、姫様って、離宮のお妃様のことでしょ?病気にかかったの?」
「ああ。病気じゃないよ。原因はわかってるんだけど、普通の薬は効かないだろうね。心配はいらないし、明日には回復されるでしょ。そうでなければ、ボク桂むきにされちゃうし…」
最後のフレーズは意味不明だが、大事には至らなそうだ。
「重火器が使われたって、草がこんなになった原因でしょ?もし、人間がこれに当たったらどうなるの?」
「草と同じだろうね。君たちは運が良かったんだよ。君の友達は、とても強い生き物だけど、それでも、直撃されたら危なかっただろう。生命体破壊に特化した殲滅兵器だなんて。
ったく戦時下でもないのに、こんな場所で使うタイプの武器じゃないんだ。彼らは報いを受けたけどね。」
改めてぞっとした。
つまりそれは、あの連中は既に断罪され処理された、そういう意味なんだろう。
でも、同情する気はない。
もし、植木屋が現れなければいまごろ…
「さあて。君の獲物について教えてよ。どれくらい捕まえたらいいかもね。」
「あ、ええとね、まず。」
夜は更に更けつつある。
評価よろしくお願いします