長い夜の片隅で①
リマノに戒厳令が発令された。
先の大戦が盟主によって終結するまで、時折り発令されたことはあったのだが、終戦後は初めてである。
名目は、大規模な無差別テロの恐れがあることだ。
が、当局発表を歯牙にもかけない輩はいるものだし、盟主自身もラグナロクも、そんなことは先刻承知していた。
敵の正確な規模は不明であり、月の宮を攻撃して封印の破壊を画策したことと、それによる混乱から首都機能の壊滅を目論んでいたことを、敵勢力のどのあたりまでが承知していたかもわからない。
だが、六芒星の子らと称するカルト教団は、入念に準備した陰謀の失敗と、続く幹部粛清でパニックに陥っているだろう。
つまり、何をしでかすかはわからないということである。
事前の粛清により、大規模なテロ攻撃は不可能であると思いたいものの、散発的なテロや、陽動を目的とした派手な動きは避け切れないだろう。
人類の殲滅を教義とする、過激なカルト教団・六芒星の子らが、敵の中枢組織ではあるだろう。しかし周辺の組織や勢力は別の思惑で活動しているだろうし、どの勢力がどう動くかは未知数だ。
少しでも被害を抑えるための戒厳令であると同時に、動き回るネズミを炙り出すための対策でもあった。
今回の発令内容自体は、表向きさほど厳格ではない。
突然のことでもあり、市民の戸惑いは大きいはずだから、やむを得ない外出や移動の場合は、理由を述べて身分証提示を行えば良いだけのことだ。
だが、人々は知らなかった。
個人用情報端末のほぼ全てが、ラグナロクにより強制支配されていることを。
事実上、身分の偽装は不可能である。
携帯端末を持たない者も、首都惑星全体に張り巡らされた監視システムから自由ではいられない。
空を飛ぼうが、地に潜ろうが、ラグナロクの目から逃れることはできなかった。
突然、携帯端末に通信が送られてくる。
あるいは、取り締まりに当たる警察官や軍人から丁重に話しかけられる。
外出の目的を尋ね、身分証のアクセス許可又は提示を求める内容だ。だが、この時点で全てはラグナロクに把握されている。
「それはそうと、ラグナ、叔父上と何を話し合っていたんだ?」
内陣の執務室に戻った盟主は、ラフな私服に着替え、遅い夕食を摂っていた。
アリスはエドと共に司法省に残っているので、給仕役は汎用アンドロイドである。
今動いているものは、引き出し付きの台車にマジックハンドを付けたような代物で、凡そ情趣に欠ける外観だ。
だが、答える声は艶かしいアリスの、つまりはラグナロクの、オリジナルボイスである。
「魔法についてのレクチャーをお願いしましたの。私の苦手分野ですから。」
「ダイレクトリンクで?」
それはあの叔父にとっても、多大なる消耗を意味する方法である。
「効率優先ですわ。レヴィさまはあまり乗り気でいらっしゃいませんでしたが。」
ほほほ、と、華やかな笑い声が響く。
「どうやって叔父上を説得した?」
「秘密です。」
「ふむ…。お前、シーリーン叔母上をダシにしたな。全く食えない機械だ。」
「シーリーン様ではありません。今は、しおり様と仰いますわ。」
「否定はしないのか。」
「ご想像にお任せします。」
シーリーン妃は、7代盟主正妃だった。
700年前に亡くなった女性であるが、どういうわけか今は久我しおりという名の日本人女性として、黒の宮と付き合っているらしい。
だがまあそれは別の話である。
「あら?いかがなさいました、龍一様?」
「少し出てくる。」
上着を羽織って、彼はそのままゲートを開いた。
「どちらへ?」
「ここに俺が出る幕はないだろう。戒厳令の社会見学に行く。」
「承知いたしました。」
軽く手を挙げて、彼は執務室を後にした。
同刻、司法省内。
「龍一様が外出なさいましたわ。」
「あん?なんでまた?」
「おそらく、外周から月の宮警備に回られたのでしょう。」
「戒厳令に便乗して、千絵ちゃんを狙う奴らも動き出すからか?それにしたって、あそこにゃ過剰な戦力があるだろーが。
いやまてよ、アイツって、そもそもバトルマニアだよな?」
「そういうことかと。」
エドが、ハアっと大きくため息をついてから呟く。
「また死人が増えるか…」
「エエ。でもあの方なら痕跡は残されませんわ。あなたのお手間は省けるかと。」
「そこかー。まあ、いいか。いや、ほんとにそれでいいのか、俺?」
最後は自問自答だ。
考えても仕方ない。
夜はまだ始まったばかりである。
月の宮は、元は三つの河川が交差した、三角形の中洲のような土地に造営されていた。
現在は1本を残し、他の川は暗渠となっていて、地上からは見えない。
地上部分は道路である。
いつぞやサーニが歩いていたのは、残った川に沿う道だった。
月の宮を挟んでその反対側は、暗渠の真上の道路である。
この道は、リマノ中心部から郊外へ向かう幹線道路から少し入ったところを、並走する形で伸びていた。
川沿いの道とは、離宮の北で交差する。
もう1本の道はその交差点から離宮を挟んで反対側を東西に走っていた。
どの道も、普段から幹線道路よりひとけは少ないのだが、戒厳令のせいもあって、更に閑散とした印象だ。
街灯はまばらである。
そんな道のひとつを進んできたのは、影のような一団だった。
音がほとんどしないことが、彼らが実体なのかまぼろしの類いなのかを、更に曖昧にしている。
気配が希薄なのだ。
電子の目は欺けないだろうが、肉眼で見る限り、ふと目を逸らしたら再度焦点が合わせられるのか確信が持てない。
そんな曖昧な存在感を、集団全体がが纏っている。
人数はそう多くない。
10人前後だろうか。
目を凝らして数えたとしても、街灯から最も遠い暗がりでは、どこまで数えたかがわからなくなってしまう。だから人数さえ曖昧に見える。
そんな奇妙な一団だった。
服装はまちまちだが、ごく一般的市民が着そうな物ばかりで、飛び抜けて派手なものも、奇抜なものもない。
彼らは音もなく進んでいく。
進行方向に黒々と見えてきたのは、月の宮の敷地だろう。
その一角には全くと言っていいほど明かりが見えない。
高い生垣と広大な庭園が、建物の照明を完全に遮っているのだ。
そして、闇に沈むその場所へと向かうのは、彼らだけではなかった。
同じような、というには少し語弊がある。
音もなく粛々と進む、先の一団の他に、いく組かの集団が月の宮を目指していたのだが、それぞれの外見や目的は違っていた。
少人数で構成されている点だけは共通しているだろうか。
ある者たちは偵察が目的である。
月の宮で何らかの異変が起きたことまでは把握していたが、詳細が不明なための偵察や、監視のため派遣していた者が消息を絶った理由を調べようとする者たちだ。
またある者たちは、正妃暗殺のため派遣されてきた。
こちらはいつものことである。
戒厳令取り締まりのため、離宮警備が手薄になるだろうと考えている向きも多分にあるだろう。
いかに格式高い離宮とはいえ、他の離宮とは違い神皇家親王、つまりは黒の宮の私宅である。常日頃の警備は、周辺道路を兵士が定時巡回する程度で、それも野次馬や観光客対応がメインだ。
戒厳令ともなれば、警備はさらに手薄だろうと、まあそんな安直な発想からなのだろうが、普段より暗殺任務で動く者の数が、若干、いや、かなり多いようだ。
過去の暗殺失敗に学ぼうとしない上に、戒厳令が重なったことから、今夜の月の宮は千客万来の活況を呈していた。
普段より少しだけ物騒な輩も混じっているのだが、今の所目立つ動きはない。
夜は静かに更けつつあった。
お付き合いいただきありがとうございます。
更新まだまだ続けますので、よろしくお願い致します。