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月の宮異聞  作者: WR-140
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六芒星の影、あるいは侵略者

ウラジミール・ロッシが生まれたのは、連邦首都リマノからかなり離れた場所だ。

その時は別の名があった。 

当時の名は捨てて久しく、もはや知るものもない。


これといった産業もない、小さな共和国。

だが、地政学的に微妙な立ち位置にあったから、昔から周辺の大国の勢力争いにまきこまれては、国土の荒廃や一部割譲という辛酸を舐め続けてきた。

ロッシの生地は、共和国の外れにあり、しばしば領土割譲の対象となった。

一世紀の間に何度も国名がかわる憂き目を見続けて来たのだ。

割譲されて大国の一部となれたら、それはそれで良さそうなものだが、魅力に乏しい土地とあって、どの国も投資には消極的だった。

投資したところで、それに見合ったリターンは望めないのだから、仕方のないことであっただろう。

残されたのは、破壊されたインフラを形だけ復旧した土地と、無気力な住民だけ。

どうせ支配者が変わっても、何も変わりはしない。金も仕事もなく、軍隊の駐屯地があるため住民の移動制限が厳しいので、他の土地へ移住することも難しい。

住民は、どの政権にとっても、盾であり大義名分にすぎなかった。

ギリギリ飢えない程度の食料が供給され、意図的に住民を飼い殺すシステムが構築されたことで、住民の無気力ぶりにますます拍車がかかる。

定期的な小競り合いで命を落とすのは、決まって非戦闘員だった。

それが日常。

抗う力も意思もなく。


こんな環境が、若く血気盛んなロッシに納得できようはずもない。彼は当然この土地に見切りをつけていた。

親兄弟も友人も、彼にとっては忌むべき土地の付属品に過ぎなかったから、同時に見切りをつけるのに何ら抵抗はなかった。


名を捨て故郷を捨てて、彼が決死の密航を企てたのは、14歳の時だった。

全くもって若気のいたりだが、今まで後悔したことはない。

無謀な試みでもあった。最初の寄港地まで生き延びたのは奇跡に近い。

広い貨物室には、充分な生命維持機能なとなかったから。

知識は限られていたし、準備もろくにしていなかったが、この最初の試練を、彼はなんとか生き延びた。

若さと体力が、彼の持つ全てだった。


それからの20年、彼は死に物狂いで学び働いた。生命の危機を伴う試練は、その後も何度となく訪れた。

彼自身、後ろ盾のない無名の青年としては、よくやったと思う。

まずはリマノ進出が目標だったが、それは想像以上に険しい道で、この時はまだいつになったら実現出来るか未知数だった。

全連邦の野心ある者ならば、一度は夢見る華やかな舞台。

宝石の煌めきとバラ香水の香り。

巨万の富、見果てぬ夢の桃源郷。

そこで演じられる劇は、モブでさえ目を見張るばかりに美しい男女こそが相応しい。

主役級なら、もはや人間には務まるまい。

だが、彼はすぐに気付いた。

光と影は表裏一体であり、リマノの影は、他の場所よりも深く広く濃いことに。

持たざるものが正面から輝きの都に乗り込むことは難しい。ならば。

彼は、リマノの影の世界に狙いを定めた。

更に20年。

彼は、影の一角に橋頭堡を築くことに成功した。まだまだちっぽけな勢力に過ぎなかったが、これに乗じて表の商売もリマノへの進出を果たすことができた。

彼はまずまずの成功者と言えただろう。

リマノへの見果てぬ夢を抱いたまま一生を終える者は珍しくもないのだから。

彼は、人の何倍も努力した。

才能もいくらかあったとは思う。

運にも恵まれていた。

だが、本当にそれだけか?


思い返せば小さな違和感を感じ始めたのは、リマノ進出の前後ではなかったか。


何とかツテを探そうとしていたところに、偶然リマノ貴族を得意先に持つという貿易商から、ちょっとした伝令役を頼まれた。

相手の屋敷に届け物とメッセージを託されたのだ。

出張のついでもあったので、気軽に引き受けた。その時は別段どうということなく依頼を果たした。

貴族の執事長という人種に会ったのはその時が初めてだったし、リマノ貴族の壮麗な屋敷に足を踏み入れたのも初めてだったのだが。

それから何度か、似たような事があった。

偶然といえばそうとも取れる。

しかし、正体不明の小さな違和感は、その後も折に触れ続いたのだ。

今にして思えば、何者かが手駒となる、都合の良い相手を物色していたのではなかったか。

後ろ盾となる家門を持たず、リマノに要らぬしがらみや係累を持たないことは、その何者かにとって好都合だったのだろう。

薄々は違和感を感じていながらも、若き日のロッシは相手から利用され相手を利用することで、自身のリマノ進出という夢の手ヅルを模索していたのだ。

そうこうしながら、リマノの光と影の両方に少しずつ人脈を築くことに成功した。

その後も、小さなトゲに似た違和感を感じたことはあったのだが、敢えてそれに乗っかることに躊躇はなかった。

ロッシを利用する特別なメリットが、相手方にはないと判断できたからだ。

ちょっとしたお使いに適当な、フットワークの軽い、気の利く男。

そんな存在ならば、ロッシ以外にいくらもいた。

だからロッシは、依頼を気軽に引き受け、依頼にプラスして、ちょっとした便宜をはかってきたのだ。

見返りに各方面に顔を繋ぐことができる、その程度の関係であると考えていたのだ。


小さな違和感の絡む依頼主は複数あった。

いずれも危機癌を抱く必要のない、些細な仕事だったから、同じように淡々と対応し続けた。


リマノ進出後も、時折違和感に遭遇したが、ロッシのスタンスは変わらなかった。

ある件を除いては。


ロッシはその頃、ロッシ帝国とも称される一大財閥の基礎をほぼ固めていた。

傘下の企業数はどんどん膨れ上がりつつあり、買収や合併、時には乗っ取りに近い強引な手段に訴えることもあった。

破竹の勢いは止まらず、富は冨を、人は人を呼んで、かつて夢想すらしなかった未来が見え始めた時。

商売上の同盟者から、折り入って相談したいことがあると使いが来た。

直接の単独会見は異例だ。

お互い忙しい身であり、敵も多いのだ。

下手をすると敵対勢力から、邪魔者をまとめて処分するチャンスだと捉えられるかもしれない。

ターゲットが一気に処分できればそれに越したことはないし、失敗しても警告を与える効果はある。

まあその程度で怯むロッシではなかったのだが。

彼が引っかかった最大の違和感は、そこではなかった。

同盟者は、裏や表でいくつもの事業を手掛けていたが、表の顔は不動産開発だ。

他星系で幾つかの小惑星を所有していて、資源開発からリゾート開発まで、手広く事業を展開していた。

会談の少し前、どこかの金持ちが、リマノの土地を買ったらしいとの情報が入ってきたのだが、別ルートからの話では、それが会見を申し込んできた会社である可能性が非常に高かったのである。

これは奇妙だった。

第一に、その土地だ。

それは、ドーナツの形をしていた。

リマノ最大のスラム街、通称をまさにドーナツという場所である。

元々はほぼ円形の廃墟街をかこむように設けられた緩衝区域で、ほぼ空地だったのだが、そこに貧しい者たちや、廃墟の資源を狙う自称冒険者らが住み着いた。

今も、スラムはそこにある。

しかし、最初の住人たちはほとんど残ってはいない。

22年前の、通称スラム暴動で、大半が命を失ったからだ。

暴動と呼ばれているが、実際に起こったことは、一方的な殺戮に近かった。

推定58,000の人命が失われたと言われている。


その原因は、今も謎だ。

噂では、ロッシ財閥がこれに関与していたとされるが、それが噂に過ぎないことをロッシ本人は知っている。

だが…本当にそうだろうか?


会談が行われたのは、暴動の2ヶ月前だ。

相手は、ドーナツ、つまりはスラムの土地に、巨大な歓楽街を作ろうとしていた。

ロッシは、ますます強い違和感を覚えた。

土地のほとんどは、住民の所有ではなくて、複数の不動産業者の所有だった。

それらの会社にしてみれば、金の無いものと、廃墟の探索に行っていつ消息を絶つかわからないような連中ばかりでは、安定した地代や家賃収入は見込めない。

だから買収交渉自体は、比較的簡単に進んだだろう。

しかし、である。

現在の住民が素直に立ち退きに応じるはずがないのだ。

開発などできる訳がないだろう。

たから処分に困る面倒な物件として、悪名高かったのである。

開発のためそこを買い取った男は、まるでそんな障害などないかのように話した。

懸念を示したロッシに、立ち退き交渉は問題なく進んでいると受け合ったのだ。

ロッシに求めてきたのは、資金援助と、当局に対する隠れ蓑としての、複数のペーパーカンパニー設立だった。

それはロッシの法務部門の得意技だ。

金利などの条件は悪くなかった。

一見してリスクは低く、リターンは高い。

相手も断られるとは考えてもいない様子だった。

だから、ロッシがこの案件を辞退した時、相手方は聞き間違いだと思ったらしい。

ロッシの意思を確認した後も、執拗に食い下がってきた。

どうあっても翻意させられないと気づいた後でさえ、信じられない様子だったのだから。


その相手とは、それきりだった。

2ヶ月後の惨劇の詳細を知るにつれ、ロッシは震えた。

人的被害は酸鼻を極め、建物の多くも灰燼に帰した。

これが偶然だと考えるのは無理だ。

結局原因ははっきりしないまま終わったのだが、武装した傭兵らしき部隊や魔獣を連れた召喚士を目撃したという証言もある。

証拠はあったとしても、全て燃え尽きてしまったのだ。

証人の多くは落命するか、非常事態で錯乱したものとみなされた。


だが、歓楽街は作られなかった。

ドーナツ地区は再開発されないまま、いつの間にか怪しげな住人たちの巣窟と成り果てて、以前の姿を取り戻した。

では、あの歓楽街ビジネスを持ちかけた人物の目的とは何だったのか。

まるで、大量殺人自体がその目的であったように見えるではないか?

突飛な考えだが、ロッシ子飼いの魔術師によれば、大規模な魔術や呪術には大量の生け贄が必要な場合があるという。

それらは概ね邪悪な目的を持っていると。

まさかとは思うが、ロッシとて人の悪意の深淵を覗いたことがないわけではない。

他者の苦痛や死を望む者たちがいることは知っている。

そういう教義を持つ宗教もあれば、破滅をもたらす事こそが、唯一の救済の道であると説く結社も存在するのだ。

理解に苦しむが、事実は事実。


開発ビシネスを持ち掛けてきた男は、リマノの二大公爵家の片方の傍流にあたる。

当代盟主即位の際、粛清された女公爵の遠い血縁だと言うが、はっきりしたことは知らなかった。

だが、最近偶然知った事実がある。

孫であるローザの母はリマノ貴族出身だが、その母方も同じ公爵家の傍流だ。


偶然なのだろう、そう思っていた。

リマノ貴族は、極めて複雑な姻戚関係で結ばれている。

たどって行けば、どの家門もどこかで接点を持っているはずだ。

しかし、他にも思い出したことがある。

ローザの母が在籍していた寄宿学校の理事長は、あの不動産開発業者の妻なのだ。

名門とされる女子校で、ロッシがローザを引き取らなければ、ローザ自身もそこに進学したはずだった。

ローザの母はそれを強く望んでいたが、ロッシはこれを拒絶して、乳母ごとローザを手元に移した経緯があった。

最近、少し気になって調べたことがある。

同校の理事たちに関することだ。

長年にわたる小さな違和感に関係した人物は1ダース以上いたが、その多くが理事たちの係累だったのだ。

ロッシは、嫌なものを感じた。

これを偶然で片付けてよいのだろうか?


自身の傘下の企業人事に目を通していたときのことだ。

幾つかの会社の株主と役員に、見覚えのある名前があるのに気づいた。

それは、あの女子校の教員として見たことのある名前だ。見間違いなどではない。

老いたりといえど、ロッシの記憶力は卓越し、一代で財閥を築くのにも非常に役立って来たのだから。

調べれば調べるほど、薄気味悪い思いがロッシを捉えた。

偶然?いや、これはもはや…

背筋に僅かながら悪寒が走る。

数十年の歳月が一気に蘇った。

長い長い時間を掛けて、彼らは、ロッシの懐深くまで侵入してきたとでも言うのか?

そんな途方もないことが事実なら、それは何を意味するのか。

彼らの目的が何だろうと、放ってはおけない。もっと詳しく調べて、排除すべきを排除しなければならない。

思い定め行動を開始した矢先。

ローザの自殺騒ぎが、ロッシを打ちのめしたのである。


それからのロッシは、正気でなかったに違いない。

ただローザを案じる余り、何も見えなくなってしまっていた。

足元の罠にすら気付かないほどに。


ローザは、殺人がロッシの仕業だと感じていた。ロッシがいくら正気を失っていても、そんな真似をするはずはないのだ。

証拠はローザ、ひいてはロッシの犯行に見えるように仕組まれていた。

こんなことが可能なのは、身近な人物でしかありえない。

家族か、それに準ずる者。

ならば目的は何か。

ロッシが始めた調査をうやむやにすることか。

その上で、ロッシとローザを永久に排除する事か。

今回の件がなければ、ローザは既に命を落としていただろう。

それを画策できたのは…


ロッシは、そこで話をやめた。

ローザの目が固く閉じられる。

事実は、残酷だった。

2人の脳裏に浮かんだのは、同じ顔だったのだから。



少し長めになりました。

まだまだ続きます。次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。

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