闇夜の夜鳴鶯
夕食後、サーニは早々と自室に引き上げた。
細々とした家事仕事の大半は自動化されている。専属の料理人が辞めた今でも、特に不自由はない。
それにしても。
龍一さまに育てられたって、ナニゴト?
あの顔が家族って、想像も出来ない。
まあでも、そういう事なら、おふたりは元々家族、ってわけね。
仮に、龍一さまのお心が妃殿下から離れるようなことがあっても、家族のきずなは残るのかも。
うーん、それとも、離婚とかなさったら、家族じゃなくなってしまうのかしら?
家族って、何なんだろ?
サーニの脳裏に、父の顔が浮かんだ。
あ、アレはいらない。
母をなくした自分を育ててくれたのは感謝するけれど、それだって、亡くなった母方の大叔母さまの遺産があったればこそ。
それが底をついたら、早速退学の危機だった。名前を隠して、必死にアルバイトをしたっけ。
それまでだって、決して豊かだったわけじゃなかったから、アルバイトはしていたけど、労働と勉強の両立は本当にキツかったわね。
自分では、馬鹿じゃないと思うけど、決して天才じゃないもの。空き時間に必死に勉強して、どうにか上の方の成績を残せる程度ね。
それだって、奨学金の審査の度に綱渡りしてる気分だった。文句なく奨学金を貰えるようなレベルじゃなかったわ。
ちょっとでも努力を怠れば、即転落。
うん、よく頑張った、私。
自分で自分を褒めてあげたい。
更に学びたいとは思うけど、そのためにはまずお金を貯めなくては。
だから本当にラッキーだったわ!
ここなら生活費はいらないし、お給料は破格。
危険手当てコミだそうだけど、危険な目に会ったことなんてないわ。
何故本宮の人事課は、ここに人を派遣しないのか、謎。
時々、見たこともないモノに会える。
ミステリアスで、不思議な、歴史ある離宮よね。どんなに望んでも、おいそれとは足を踏み入れられない禁断の地。
こんなに素敵な場所で働けて、お仕事は超ラクだし、制服まで支給されるなんて。
姫様も龍一さまも、ガーディアンのみなさまも、とってもいい方々。
しかも、毎日目の保養が出来る。
ああ、こんな幸せ、あっていいのかな?
と、いうわけで、サーニにはいささかの危機感もなかった。これまでは。
彼女とて、妃の憂い顔が全く気にならなかったわけではない。
盟主妃は、儚げで弱々しい外見とうらはらに、極めて豪胆な性格である。
肉体的には人間の小娘に過ぎないのに、人外の強者であるガーディアンたちをも振り回すほどに、恐れを知らない。
肝が座っていると言うか、傍若無人というか。こうと決めたら、テコでも動かない。
しかも、強力な巫女でもある。
この世界の巫女とは、人間と、人外のモノとを繋ぐ存在だ。
彼女に、目くらましは効かない。
如何なる変化の技も、彼女の一瞥で看破されてしまう。
又、彼女は、人や人外のものの存在や感情を読む能力に長けていた。魔術や魔法のシールドは、その力の前に無力である。
つまり彼女に、感情面での隠し事は出来ない。
逆にいうと、そういう女性を妻にしている紫の宮は、余程肝が座っているのだろう。
ガーディアンであるドラゴンたちは、主君の妃であることとは別に、彼女に個人的な忠誠を誓っていた。
そんな彼女が示した懸念。
新月の到来。
ちょっとは、気に留めておくべきよね?
とはいうものの、サーニの危機感はまだまだ薄かった。
物思いからさめ、もう着替えようかと、サーニは、時計を見た。
あれ、おかしいわね? いつもなら、あの子の声が聞こえてくるのに、今日はどうしたのかしら?
耳をすませてみる。
やっぱり、聞こえない。
あの子とは、庭園に棲んでいる鳥である。
というか、鳥の姿をしているのは確かだけど、本当に鳥なのかはわからない。
夜鳴き鶯、ナイチンゲールと、サーニは勝手に呼んでいたが、図鑑に載っているそれではない。
ハトより大きく、小型のニワトリくらいはあるだろうか。全身は淡いピンクで、胴体より長い尾羽は濃いピンク。
すんなりした頭部には、同じ色の飾り羽根が載っている。
日中は、全く姿を見せず、夜が更けてからその鳴き声を発する。
カナリアに似た声は、繊細な響きを持っていて、遠くまで伝わってくる。
しかし、その唄はカナリアより幅広い音域にわたっていて、力強く、より華麗だ。
初めて聞いた時は、どんな鳥が鳴いているのか知りたくて、夜の庭園を探し回った。
夜間、庭園に出ると危険がある、そう注意は受けていたけれど、魅力的な歌声の前には、そんなこと、頭から抜けていた。
澄み切って研ぎ澄まされた声は、まるで天上の音楽のようだったから。
木々に舞い降りた月光の賛歌。
夢幻の調べ、夜のラプソディ。
そして、見つけたのだ。
庭園に点在する東屋の一つで。そこは、水のない噴水の横にある、巨大な鳥籠のような形の東屋だった。
繊細かつ華麗なアラベスク装飾に満ちた、金属のアーチを、角度を少しづつ変えながら、幾層にも重ねた作りだ。この離宮が造営された700年前から、同じ姿を保っているという。
ドーム状の屋根には、蔓植物が生い繁り、日中は日差しを遮る。
屋根の下には、同じくアラベスク装飾をあしらった、金属テーブルと、2脚の椅子。
その片側の椅子の背もたれの上に、あの子はいた。
その時、月は出ていたけれど、東屋の中は深い陰に覆われている。
闇の中、遠くからでも、ぼうっと白っぽく見えたっけ。見間違いではなく、微かに、光っている。全身が柔らかな燐光を帯びていたのだ。東屋に近づくにつれ、歌声は大きくなった。
あの鳥が歌声の主だと、サーニにはすぐにわかった。
鳥は、彼女を見ても、歌をやめようとはしなかった。
すんなりした頭部をやや上に向け、僅かに開いた嘴から、あの鳴き声が溢れ出ていた。
何だろう?求愛の歌?
だったら、きっと彼、ね。素敵な声だわ。
サーニも邪魔をするつもりはなく、ただ好奇心に導かれるまま、しばらくその声に耳を傾けた。
その後、何度かナイチンゲールの元をおとずれてわかったことがある。
決まった時刻に、鳥は忽然と現れる。
どこから、どうやってかはわからない。
羽音もしないまま、気がついたら東屋の椅子の背もたれにとまっているのだ。
出現の時刻をめがけて、息を殺し椅子を凝視していても、やっぱりわからない。
ある瞬間そこはカラなのに、次の瞬間はそこにいる。
無から有へ。何の前触れもなく、ただ現われる。
夜通し囀り、明け方近くに、はたと歌うことを止めると、嘴を閉じる。
そして、それきり。
淡いピンクに輝く姿は、忽然と消えてしまうのだ。
時々の訪問は、日課となっていた。
ナイチンゲールも、拒むでなく嫌がるでなく、淡々とサーニの訪れを容認していた。
サーニは、何となく、彼を友達のように感じ初めていたのだ。
その声が、今日は聞こえない。
どうしたのかしら?
新月だから? まさか、あの子に何かあったんじゃ?
考え始めると、どんどん不吉な想像ばかりが膨れ上がる。
居ても立ってもいられない。
ああ、もう!
そう、ひと目だけ姿を確認出来たらそれでいい。大した距離じゃないし。
あの子のところへ、行かなくちゃ!
そう決意したら、サーニは躊躇わない。
腕時計タイプの、携帯情報端末のライト機能をオンにして、その足で建物から出ると、回廊を突っ切り庭園へ。
足早に進む庭園の闇は、普段より深い。
月明かりがないのだから当然と言えば当然なのだが。
いいえ、それだけじゃない。
いつもなら、もう少し明かりがあるはず。
サーニは足取りをキープしたまま、周囲に目を配る。
確かに、おかしいわ。
この時間なら、発光する植物や動物がいるはず。それに、空中を漂う、得体の知れないものの中にも、光るものは多い。
なのに、今は何一つ見えないなんて。
流石に不安が兆すが、サーニは足を緩めようとはしない。
今夜は新月、月光が消える夜だもの。
月の宮に、いつもと違うことがあったって、普通よね。
一目でいいの。
あの子が無事ならそれで。
あ、この先だ。もうすぐよ。
もうすぐ・・・え?
あれは、なに?
2、3歩小走りになりかけて、サーニは立ち止まった。
アラベスク装飾の東屋の中、2脚の椅子の辺りに、ぼんやり光るものを認めたのだ。
それは、大小二つあるように見えた。
目を凝らす。
たしかに、ふたつの光源があるようだ。
一つはもう片方より小さい。
位置からして、小さい方があの子だろう。
なら、大きい方は何?
ゆっくりと、足音を忍ばせ、サーニは更に近づいた。
間違いない。小さい方は、あの子だ。
安堵感が全身を包み、緊張がふわりとゆるむのを感じる。
よかった、無事で。
唄か聞けないのは、ちょっと残念ね。
新月だから歌わないのかな。
そんなことを思った時、サー二はふと違和感を覚えた。
もう一つの光、何だかおかしい。
人間?向かいの椅子に座っているみたいだけど、なぜ上の方が光っていないの?
男性・・、かなり大柄なひと。
龍一さまくらいの上背がありそう。
ずいぶん古めかしい衣装ね。
安堵したついでに、好奇心に引かれて、サーニは更に数歩進んだ。
東屋の男は、数百年前のリマノ貴族の装いだ。
色味ははっきりしないが、上品かつかなり豪奢な作りである。非常に高貴な身分でなければ着用出来なかっただろう。
こんな時間、こんな場所に?
まさか、幽霊?
心臓がひとつトクンと鳴った。
わあ、どうしよう。幽霊だったらいいな。
ここまでいくと、もう病気だって自覚はあるけど、ワクワクが止まらないわ!
幽霊(?)をもっと近くで観察しようと、サーニは近づく。丁度向かい合った2つの椅子が等距離に見える角度だ。
ナイチンゲールと、古めかしいコスチュームの男。
イケメンだったら、いうことナシなんだけどなあ。
首から下は、すっごく素敵なんだもの。
あら?
サーニは、思わず立ち止まった。
残念だわ。これじゃわからない。
男には、首から上がなかった。
面白かったら、評価よろしくお願いします。