狩は続く
「マスター。カリス特別捜査官から通信要請です。」
殺風景な盟主執務室。
疲れた顔で、短いティーブレイクを終わろうとしていた盟主の耳元で、妖艶な女性の声が囁いた。
いつもは声だけだが、珍しく今日は身体も一緒だ。
マーメイドラインのドレスを纏った長身。
深いセンタースリットから覗く脚のラインは完璧だ。
ロングヘアは、衣装と同じくネイビーブルー、その目は金色。声より妖艶な赤い唇をもつ女性型アンドロイドたが、機能は戦闘に特化している。
連邦を陰で支配するモンスターAI、ラグナロクの戦闘用端末である。
通常、神皇家の者以外が盟主の地位についた時は、身辺警護に当たるのだが、現在の盟主にはその必要がないため、オーバーホール中だった。そう、今までは。
「繋げ。」
即座に秘匿通信回線が開かれる。
ビューワーには、エド・カリスの顔が映し出された。
こちらも盟主同様、かなり疲れて見える。
「エド、報告書には目を通した。随分と根深い問題だな。」
「おおよ。ったく、参るぜ。んで、どうする?どっから手ぇつけたらいいか、考えはあるか?」
「叔父には何か考えがあるようだ。千絵を連れ出した。」
「あーん?なんでまた。」
「この前の調書で名前が挙がっていた女、マルティア・イドリスだったか?
地下シアターを経営していたとかいう。」
エドが眉を顰める。
「…過去形?してた、って?」
「叔父がその女と、何か因縁があったらしい。ただし会ったことはないそうだ。
少し特殊なケースだとも聞いたな。本人確認に、千絵の能力が必要だそうだ。」
「うえ…よりにもよって、黒の宮に目ぇつけられるなんぞ、何やらかしたんだよ。
ってことは、あー、その女のことは、もう忘れちまっていいんだよな?」
紫の宮は頷いて、にんまりと笑う。
「それはそうと、エド・カリス?」
「な、何だよ⁈」
「ウチの者を預けたいんだが?」
紫の宮の両肩に、白い繊手が添えられた。
エド側から見た画面に、盟主に寄り添う美女の姿が映る。
盟主と頬をつけんばかりの距離で、白いかんばせが嫣然と微笑んだ。
『だっ、誰だ!顔面偏差値やべえわ!』
「よろしくお願いしますわ、エド。」
「そ、その声!」
紫の宮がにっこり笑う。
「女性型端末もあると言っただろう?
彼女を付ける。おっと、異議は認めない。それとも命令されたいか?」
「オレに選択権はないんだよな…。」
ため息。同僚がどうウワサをするか、目に見えるようだ。
エド・カリスは優秀な捜査官だが、なぜか女性にモテない。
これが、絶望的なまでに、モテないのだ。
神原龍一とつるみ始めた頃は、ああやっぱりソッチ系だったのか、などとしたり顔でウワサされたくらい、とにかく女というものに縁遠い人生なのだった。
それなのに。
ラグナロクの人型端末のクオリティは、アンドロイド業界の100年先を行っている。
人間と見分けることは難しいだろう。
「私は、戦闘端末アリスですわ。アリスと呼んで下さい。」
「な、名前まであんのかよ。」
「その方が便利だろ。身分証はラグナが適当に用意したらしい。いつでもどこでも一緒に居られるようにってな。ま、細かいことはアリスに聞いてくれ。」
「い、いやちょっと待ってくれ!そのドレスは、いくら何でも…」
胸の谷間をくっきり見せるセクシーなドレスは、夜のパーティ向きだ。
うぶ毛まで再現された柔らかな素肌。
アンドロイド、それも、中身は何千年を生きてきたモンスターマシーンであると分かっているエドすら、目のやり場に困る。
「ま、あとはよろしくなエド。」
「あっ!ち、ちょっと待てっ!」
さっさと通信を遮断して、盟主は立ち上がった。
アリスを送る目的は、言わずと知れた護衛である。
エド◦カリスは、捜査官の中でも屈指の戦闘能力の持ち主だが、所詮は人間だ。
相手が手段を選ばず襲ってきたら、生き延びるのは難しい。
エドのプライドは傷付くかもしれないが、命にはかえられないだろう。
「では、頼んだぞ、アリス。」
「お任せ下さい、マスター。バックアップを含めて対応致します。」
華麗に一礼すると、アンドロイドは立ち去った。ゲート管理はラグナロクの管轄である。数分あれば、望みの場所に端末を送り込めるだろう。
今はとりあえず仕事に戻らねばならない。
彼は重い足を引き摺るようにして、ダイレクトリンク用の椅子に向かった。
廊下の先からやって来た特捜部の部長が、ギクリとした様子で足を止めるのが見えた。
思わず舌打ちしたくなる。
何なんだ、何なんだってんだよっ!?
俺が何をしたって言うんだ!
引き攣った顔面の筋肉を無表情に保とうとムダな努力をしてみたが、ムリだ。
部長は、上司の上司である。
年齢は50台だろうか。
エドが彼について唯一気に入っている点は、身長であった。
控えめに言うと、部長は小柄である。
態度はデカいが、身長はエドとどっこいどっこいなのだ。
だから、こんなふうに出くわしたりすると何故かお互いに相手の全身、というか、特に頭の天辺あたりにサッと目を走らせるという不毛な習慣が抜けないのだが。
今日の部長はひと味違った。
彼の視線は、最初エドよりかなり高い位置に固定した。
そのまま、床まで降りて再度元の位置にもどる。
この動作を2度ばかり繰り返したあと、彼はようやく部下の存在に気付いたらしい。
らしい、というのは、エドの顔を見たのは
ほんの一瞬で、その後彼の視線は、エドの頭のてっぺんよりかなり高い位置に固定されたのだ。
それはもう、にこやかな顔で。
野郎、背の高い女にゃ目がなかったな。
そういえば、部長の奥方は、長身の別嬪だった。実にけしからん!
このまま知らん顔でスルーしてやろうか?
そんな気になりかけたエドだが、背後からそっと袖を引かれて仕方なく立ち止まった。アリスである。
まあ、今回の件で、課長と部長はエラい目に合うだろう。
盟主の全面バックアップがあるが、それでも逮捕予定者の中には大物がいたはずだ。
弁護士の一個師団の相手をするのは、管理職の仕事になるだろう。
それに、逮捕される奴はまだ幸運だ。
行方不明者も多数出るだろう。
そう思えば、部長のニヤけ面が気の毒に見えてきた。
「あー、部長、こちらは…」
アリスを紹介しようとして思い出した。
肩書きを聞き忘れていた事実を。
「初めまして。監察官のアリス・デュラハンです。しばらくの間カリス特別捜査官とご一緒させていただきますので、宜しくお願いします。」
嫣然と微笑む赤い唇から、あのセクシーボイスが流れでる。
「あー、ハイハイ、通知が来てました。そうですか貴女が。また急なお話しで面くらいはしましたが、あなたなら、いつでも大歓迎です。」
部長は彼女に釘付けだ。
差し出された手と機械的に握手する間も、
無意味な挨拶の言葉を呟く間も、視線はアリスから離れない。
身長差があるから、首がどうにかなるのでは、と危ぶまれる角度だ。
エドなど目に入ってもいないだろう。
知らぬが花。
エドはほんの僅か部長に同情したが、残りの部分では意地悪く観察していた。
おーおー、赤くなってやがるぜ。鏡見ろや、鏡!しっかし、気色悪いよな、鼻の下伸ばしまくるオヤジってヤツはよ。
何でこんなのに、あの若い綺麗な奥方がいるんだ?
この光景、動画で見せたいもんだぜ、ったくよー。そうだ!このアホ面だけでも録画して、っと。おー、それにしてもこのオヤジよくまあ、歯の浮くようなことばっか言いやがる。普段壊滅的なボキャ貧ヤロのくせしやがって、音声も録っとくか、しめしめ…。
と、途中から雲行きは怪しい。
そんな余裕など、現状ではあるはずもないのだが。
まだまだ狩は続くのだ。
700年前、何があったのか、エドには知る由はない。
歴史を学んだところで、それは変わるまい。
しかしどうやら、人の執念や怨念は、時を超えて生き残るものらしい。
ロッシの任意聴取で、エドはそんな感想を抱いていた。
薄気味悪いことこの上なかった。
だから化け物は化け物に任せて、エドは彼の獲物である犯罪者を追うのみなのだ。
何より、それが彼の仕事だから。
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