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月の宮異聞  作者: WR-140
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昔語り②

当時のアシルワカは、厳しい世界だった。

星間航路は辛うじて拓かれていたものの、定期船は、リマノ時間に換算して、月に1回程度。

その船は表向き、物資を運んで来たが、実際の目的は、奴隷の運搬だった。

アシルワカは、美形の産地として名高い土地で、他に名産品はない。

地下資源に乏しく、痩せた土地と乾いた厳しい気候では、作物も育ちにくかった。

言い換えれば、奴隷の調達という目的抜きでは、航路さえ維持されなかっただろう。

そんな土地に黒の宮が降り立ったのは、失われた種族の痕跡を求めてのことだった。

種族そのものが生き延びているとは思っていなかったが、住民の中に散在するゲノムの一部でも解析できれば、研究の助けとなるだろう。

そんな気持ちで、荒涼たる大地を踏んだ。

すぐに気付いたのは、貧しさだった。

衣食住の全てが極端に不足していたのだ。

特に、水資源の枯渇は深刻な問題で、ここまで乾き切った大地に、なぜ人が暮らしていけるのか、黒の宮は不思議に思ったものだが、その理由はすぐ判明した。

この地の先住民の遺産である、地下水路だ。建造された時代は正確には不明だが、当時から遡ること数千年以上。

精巧な石組みの水路は、極地近くの地下深く、地底湖にその端を発する。

揚水の仕組みは巧妙だった。

魔法、呪術そして建築工学。その調和は、黒の宮を魅了した。

深部から汲み上げられた水は、乾いた土地の地下を経由して、人類の居住に適した中緯度地域まで運ばれる。


「美しい水路だった。」

黒の宮は目を伏せた。

「だが、失われて久しい。俺の同族の命と共にな。」

「…その方は、叔父様のご友人だった?」

「そうかもしれない。当時は考えたこともなかったが。

彼が死んだのは俺のせいだ。」

黒の宮の、透き通るように白い指が、空のグラスの側面をなぞる。形の良い爪は淡いピンクだ。

「遺跡が好きな奴だった。」


その男の名はジャスティーン・ロワ。

神族としてはかなり小柄な方で、身長は170センチ余り。いつも柔和な微笑みを浮かべていた。

転移に耐えられはしたが、それによって深刻なダメージを負った1人だ。

明るいストロベリーブロンドに、アクアマリンの虹彩。

地球の爵位に例えれば、子爵。

神族の爵位は、ほぼその力に比例するから、彼が生きて転移出来たのはレアケースに相当した。

伯爵級の者たちも、その多くが命を失ったのだから。

それだけに代償は大きく、彼は、力と生命力のほとんどを失う羽目になったのだ。


「それでも人間よりは、はるかにタフだったはずだ。寿命は、半分以下になったとはいえまだまだ残っていたし、いつか終わりを迎えるとしても、それは遥か先の話だと思っていただろう。」


アシルワカの水路の美しさを、黒の宮は、彼に伝えた。特別な考えがあったわけではなくて、雑談のついでに過ぎなかったのだが、次の定期船に乗って彼はアシルワカにやって来たのだった。


「俺は今も後悔している。なぜ、あのタイミングでジャスに話したんだろうって。

無意味なのは承知しているが、長く生きれば生きるほど、そういう澱のような感情が沈殿していく。

大切なものを失い、後悔と無力感だけが蓄積し続けていって、いつしか無感動と無関心が厚い殻のように自分自身を覆っていった。

まあ、これは愚痴だな。」

彼はテーブルの上に置いた、自身の手のひらに視線を移動した。

そこからこぼれ落ちていった多くのものを、あるいはもう決して還らない年月を見つめるように。

彼の姪は、黙って彼の指先に手を触れる。

彼女の手はあまりに小さくて華奢だ。

黒の宮はふと笑った。

「情けないな。」

小さな手を取り、指先に唇を付ける。

「このまま、攫って行きたくなる。」

それは本心だ。ただ、そこには性的な要素は皆無だった。

「お前たちはいま嵐の中にいる。盟主を殺すことは難しいが、お前を排除することは容易いと考えるものは多い。

龍一の敵も、いや、奴に与する勢力の者ですら、お前の命を狙う可能性は高かろう。より確かな利権の為には、お飾りの正妃を自分たちの家門の令嬢に挿げ替える必要があるからな。」

「そうなんでしょうね。」

「まるで人ごとだな。千絵、我が娘よ。

はは、この歳になるまで、娘を持つことなど想像すらしなかった。人生は不思議だ。

長く生きてはみるものだな。

昔話の途中だったことを忘れてしまいそうだ。たった300年前ではあるが…」


久しぶりに直接会ったジャスティーンは、黒の宮にはどこか以前と違って見えた。

「どうした、ジャス、楽しそうだな?」

彼は、はにかんだ笑みを浮かべた。

「ええ、まあ。レヴィさまに直接お会い出来たのは、かれこれ400年ぶりですし…」

かつて黒の宮が盟主として君臨した時、ジャスティーン・ロワが首席補佐官として仕えていた経緯がある。

その時は人間のフリをしていたのだが、人当たりがよく柔らかな物腰のロワ補佐官が神族だなどと、誰が想像しただろう。

ただ、盟主としても充分務まりそうなその行政手腕は、黒の宮にとって重宝だったし、他の行政官にとっては脅威だった。

当時は疫病の猛威に、なすすべなく翻弄された、荒んだ世相の時代であった。

誰もが死を間近に感じて生きていた時代でもある。

ロワ補佐官への悪質な嫌がらせや、直接の暴力行為は珍しくなかったが、彼は飄々とそれらをかわしてのけた。

力のほとんどを失ったとはいえ、神皇に仕える貴族だった男だ。生半可な手段では傷一つつけられはしない。

ただ一度だけ、彼を排除する試みが成功しかけたことがあった。

大量死の混乱に乗じた悍ましい犯罪は、日常茶飯事だったが、中でも人身売買は深刻で、保護者を失った孤児たちは容易くその餌食になっていたのだ。

労働搾取や、性的搾取の対象となるのはまた運が良い。

疫病の恐怖に発狂したかのような当時の世界では、迷信じみた流言飛語に踊らされる人々が後を絶たなかった。

曰く、疫病に罹患していない子供の血液や肉、臓器が感染予防や治療に効く、等々。

その市場に商品を供給するブローカーが、日夜暗躍していた時代である。

ロワ補佐官は、その取り締まりに厳しい態度で臨んだ。それは、盟主黒の宮の意向を汲んでの行動であったが、同時に自身の使命感によるものでもあった。

摘発は迅速にかつ容赦なく進み、いくつもの組織が壊滅した。

その中には中央政界や、リマノ貴族を背後にもつ組織があったのだが、ロワ補佐官は背後関係など歯牙にも掛けなかったから、

彼を排除する試みは多数実行に移された。

彼が危うく命を落とし掛けたのは、実に悪質な試みのせいだ。

悪質だが、手段はシンプルだった。

子供の体内に仕込まれた、強力な爆発物である。その爆発により、彼は重傷を負った。

実行犯は捕縛、法に基き処刑されたが、黒幕は捕まらなかった。


「それが第二の後悔だ。その時、追跡していれば、あるいは…、いや、続きを話そうか。」


ジャスは、翌日から精力的に遺跡の調査を開始した。

建設当時は、今残っているよりずっと広範囲で運用されていたらしく、すでに倒壊した部分も多かったという。

黒の宮が探し求めていた、失われた種族がこれらを建設したのだろう。

ジャスは、極地の揚水遺跡にすっかり魅せられていた。

建造された時代は言い伝えより古そうで、当初ほどの能力はなかったが、少なくなった人口を生かす程度には稼働していた。

連日、地下水路をたどり調査を続けるほどに、ジャスは失われた民族そのものにも興味を抱くようになっていった。


「実務派として有能な奴だったが、本質はロマンチストだったのだろう。俺はその民族の、生物としての側面にしか興味はなかったが、ジャスは彼らの文化や言葉、宗教、芸術に強い関心を持っていたな。

だが、俺は確信していたことがあったんだ。この民族が滅びた原因について。

それは、飽くなき貪欲のせいであろうと。…果てしない渇望、永久に癒やされない喪失感。」

「私が感じたものね。

ええ、叔父様のお考えは正しいと思う。

あれは…余りにも異質だったわ。

あんなモノを生かしておいてはいけない。人の姿をしていても、あれは人間とかけ離れた何かだった…」

「そう確信してはいたが、お前が俺を止めようとしなかったことで、最後の疑念が溶けたよ。

アレが、ジャスを殺した。なぜあんなものが生まれたかはまた別の物語りとなろうが。

あの者は、数千年の時を生きてきたはずだ。あの遺跡の美しさからは掛け離れた存在に見えるが、間違いなくあれの同族が建造した水道施設であったのだろう。

宿命という言葉は好まぬが、環境と生物としての種、その相互関係から生まれる文化文明の中には、宿命的に毒の種子を育む物があるのだろう。

彼奴の飽くなき貪欲は、何かを想わせるものではなかったか?」

「蟲毒、ね。」

「そうだ。経緯は不明だが、彼らは互いに殺し合ったのだろう。生き残ったものがああなった。が、少し先を急ぎ過ぎたな。」


ジャスは、遺跡に魅せられると同時に、1人の女にも魅了されていた。

定期船に、たまたま乗り合わせたのだという。

思いがけず話が弾んで、楽しい船旅を共有した。

黒の宮には、あまり詳しく話さなかったが、ジャスの表情は輝いていた。

遺跡調査にも、女が同行しているフシがあったが、黒の宮はむしろ微笑ましく受け取っていたのだ。

女は、リマノで商売をしている一族の末席

なのだと名乗っていた。

よく知られた家門で、彼女は間違いなく名乗り通りの者だっただろう。

その肉体は、という意味でだが。

人間やその亜種は、どのようにメンテナンスしても、同一の肉体で千年を生きることは不可能だ。

生まれ変わりや、憑依については、古くから呪術分野で研究されてきたが、そのようなケースがまれにあることは報告されている。

女は、肉体から肉体へと憑依することで、千年以上を生きてきた。

これと目星を付けた胎児に憑依する。

術式は複雑で、胎児はか弱く、実にリスキーな方法なのだ。

予め加護の呪文を掛けたり、魔法や呪術を使う才能に恵まれた肉体を選ぶことはできるが、それでもリスクはゼロにならない。

飽くなき貪欲と、無くした何かに対する並外れた執着だけがこの方法を繰り返す原動力だったのだろう。

それと、復讐心。

疫病の時代、ロワ補佐官が壊滅させた、最大の人身売買組織のオーナーこそ彼女だったのだ。

狡猾で残忍。

誰も信じず、誰も必要とはしない。

腹心の者をさえ躊躇いなく切り捨てる。

それが彼女だ。

何度目かの奴隷商売の買い付けに舞い戻った故郷で、そんな女が、思いがけず旧敵に遭遇したのだ。

かつて煮え湯を飲まされ、もう少しのところで暗殺に失敗した相手である。

今こそ。

女は、彼に狙いを定めた。


「あとは…まあ、そういうことだ。

ジャスと急に連絡がつかなくなっても、俺は危機感を持たなかった。何十年も連絡を絶つのは、珍しいことではなかったからな。ただ、極地近くで地震が起こり、水が枯れたことから引き上げを決めた。」


黒の宮は、広場の石畳に目を転じた。

いつのまにか午後の日は傾きはじめている。華やかな装飾の旗や、花壇と噴水の辺りでベンチに座ったり、その前を忙しげに通り過ぎる人々。

午後の太陽光に混じる淡いオレンジ色の光が、夕暮れが近づいていることを示唆していた。


「最後に遺跡がどうなったか見に行こうと思い立ったのは、ただの気まぐれだ。

そして…、ジャスを見つけた。

静かな顔だったな。だが、きれいに残っていたのは、顔だけだ。あとは、ひどいありさまだった。事故や天災の結果ではない。かれは、殺害されていた。」


黒の宮は捜査を開始した。

容疑者はすぐ判明したが、すでに惑星から立ち去った後で、証拠は何ひとつない。

黒の宮はリマノへ飛んだ。

女の身辺を調べるにつれ、疑惑は膨れ上がっていく。

女は、ジャスに名乗った通り、有力な一族の、妾腹の娘なのだが、実質的に家門の全てを支配していたのだ。

これは、おかしい。

いかに優秀だとしてもありえない。

年も若く、後ろ盾もない娘が?

更に調査を続けてみて、黒の宮は確信していった。

この女は、見かけ通りではない。

おそらく、人間ですらないだろう。

永い歳月に磨かれた狡猾さ。

恐怖を持って一族を支配し、自身は表立って目立たぬよう立ち回る周到さ。


「俺はこの女を殺すことに決めた。

だが、女は、俺の存在に気付いていたようだな。そして、自殺した。

無論、次の身体に憑依したのだろうさ。

だが、俺にはそれ以上の追跡は出来なかったんだ。おまえの能力があれば可能だったかも知れない。だがまあ、一旦ゲームオーバーだな。

そして、今度の一件だ。あの六芒星だが、ありふれ過ぎたマークながら、ふと思い出したことがある。

ジャスを見つけた、崩落した地下遺跡には、全体の制御系統図が刻まれた石板があった。

そこに刻まれたシンボルマークが、まさにあれだった。

あの女が、疫病の時代に暗躍していたなら、埋葬場所を示した六芒星は偶然ではなかったかもしれない。

俺は歴史を洗い直した。

見え隠れする、あの女の影を追って。

そうして、確信した。

月の宮の封印を破壊しようとした勢力にも、あの女が一枚噛んでいる、とな。

確実に滅するためには、不意打ちしかなかったから、第一の獲物はあの女にした。

狩りはまだ続くがな。」

「アレの、最後の感情が少し不可解だったの。…深い安堵。なぜ?」

「…そうか。」

黒の宮は目を閉じると、微かに微笑んだ。

「あやつも生命体だったということなのかもしれぬ。永く生きすぎたか。」

「叔父さま…」

「帰ろうか。龍一が要らぬ心配をしそうだ。」

「そうね。」

2人は立ち上がり、店を後にした。


今回は少し長くなりました。

お付き合いいたたいて、ありがとうございます。

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