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月の宮異聞  作者: WR-140
33/109

昔語り①

スクリーンでは、やっとのことで男の抱擁から逃れた少女が、部屋から出ようと、ドアノブに手を掛けた。

が、ノブは動かない。

ゆっくりと背後に迫る男の気配に、パニックに陥りそうになりながらも、少女は必死だ。片手でノブを掴み、もう片方でドアそのものを叩く。しかし、ドアはびくともしない。緊迫した時間が流れ、そして。

男の大きな手が、少女の長い黒髪ごと、か細いうなじを掴む。

観客が固唾をのむ中、冷たくも美しい男の声が囁く。

「動くな。首が折れるぞ。」

台詞は日本語で、字幕が表示されている。


その時。

最上段に近い客席で。

全く同じ内容の(但し神族の言語だが)セリフが、よく似た声で囁かれたことに気づいた観客はいなかった。

結界の効果だ。

コンパクトだが、類を見ないほど強力な魔法である。

魔法や呪術その他の脅威について、このような場所では、高度な監視センサーで対応するのが普通だ。

ご多聞に漏れずこの地下劇場にも、最新の監視機器と、それをモニターしたり、館内を直接監視する人員が配置されていたのだが…。

この魔法は、完全に両者を欺いて発動したのだ。

つまり、機械も人間の目も、一切の異変を捉えることは出来なかった。

セリフを口にしたのは黒の宮。

その手は、スクリーンとは違って、ごく軽く相手のうなじに触れている。

相手は、女だった。

40代半ばだろうか。見るからに高価な、流行の衣装は真紅だ。黒に見えるほど濃い色の髪は、複雑に編み込んで結い上げられている。

黒の宮と、当代盟主正妃は女の後方にいた。

顔は見えない。

「さて。お前とは初対面だが、俺が誰かわかるなら、お前の釈明を聞く必要がないことも分かるな?」

女の肩がビクッと震えた。何か言いかけたのかもしれないが、滑らかでもの静かな声音が無慈悲に遮る。

「だから死ね。」

女の後ろ姿の輪郭がブレた。

何が起きたのか、女が逃げようとしたのか、それすら妃には知るよしもなかったのだが、叔父の声の厳然たる響きは明白だった。

こうなったら、誰にも止められない。

彼の姪は、止める気もなかった。

呆気なく全てが終わったとき、そこに女の姿はなかった。まるで、はなから存在していなかったかのように。

ただ、高価で濃厚な香水の残り香だけが、女の存在を示唆していたが。

「ラグナ。返事は要らないが、俺たちの痕跡を消去せよ。」

そう呟いて、黒の宮は結界を解いた。

彼は魔法使いではあるが、実のところ魔法の発動に杖も呪文の詠唱も必要ではない。

集中力を高め、精度を上げること、更には強すぎる力が周囲にまで飛び火しないように制御することが、杖や呪文といった補助具の役割だ。

彼はハンカチを取り出して、女に触れていた指を拭った。

それからハンカチを一振りする。

まるで舞台で演じられる手品のように、ハンカチは彼の手から消え失せた。

「止めなかったな?」

「ええ、叔父様。」

「ふむ。場所を変えよう。年寄りの昔語りを一つ、聞く気があるかな?」

彼女は、微笑んだ。

「ええ。ぜひ。」


2人が立ち去ってまもなく、あの女がいた席に、1人の男が近づいてきた。

30代後半か。

地味で目だだない衣装は、それなりに高価で上品なものだった。

ただ、男の何かが、剣呑な世界の住人であることを示唆している。彼は、空席を見て戸惑った様子だ。

情報端末でモニタールームを呼び出し、何事か小声でやりとりしていたが、

「何だと?!」

出し抜けに大声をあげ、近くの観客達の、刺すような視線を浴びてしまった。

身振りで周囲に謝罪しつつ、モニタールームの声に耳を傾ける。

「き、消えました。マダムが急に。今分かるのはそれだけです。」

「…すぐに行く。」

どうなっている?

そんな馬鹿なことが起きるはずがない。

男の頭の中は混乱していた。

女は、彼の雇い主である。

このアンダーグラウンド・シアターや、多くの違法事業のオーナーでありながら、表の顔はリマノ社交界の女王的な存在だ。

華やかな美貌と人をそらさぬ話術とで、多くの取り巻きを獲得した社交界の華。

名士たちがこぞって媚びを売る、魅力的なトレンドメーカー。

だが、彼女の裏稼業の部下であるこの男が、常日頃彼女に対して抱いている印象は、世間の評価とは違っている。

 決して近寄ってはならない、薄気味悪い女。近寄れば、既に手遅れ。

逆らうなどとんでもない。

命が惜しいなら?

イヤ、魂の存在を信じるならば。

あの女は、人の魂さえ貪り食いかねない。

何故だろう、モニタールームへと急ぎながら、男は30年ぶりに、神への祈りの言葉を呟いていた。


石畳の広場を見渡せるレストラン。

予約が取れないことで知られるこの店の、

2階のプライベートテラスに、男女の姿があった。

プラチナブロンドと銀の瞳をもつ男と、今最も流行りの、某貴婦人風のメイクをした、若い女。

背中に流れる黒髪が華麗である。

2人ともひどく人目を引く容姿であった。

上流階級の若いカップルにしか見えないが、女は、男を叔父様、と呼んだ。

「美味しかったわ!デザートも最高。」

「気に入ったなら何よりだ。」

辛口のシェリーに似た酒を飲み干したのは黒の宮である。彼はあまり甘味を好まない。

甥と同じく、強い酒を水のように飲むが、酔うことはなかった。アルコールは、彼にとっても甥にとっても、人間に対するカフェイン以下の効果しかない。

だから、アル中などという形容は不当なのだが。


「さて。食事も終わったから、昔話を聞きたいか?楽しい話ではないが。」

「ええ。」

「大体500年前から始まる物語だ。その頃、俺は、ティオテラ星系の辺境、アシルワカという惑星にいた。位置はわかるか?」

「ティオテラって、あの、ハーレム外交の帝国がある場所よね。アシルワカという惑星は聞いたことがないけど?」

「アシルワカは、当時から辺境だったが、今では果たして人が住んでいるかも疑わしいな。ティオテラの帝国の名は様々に変わったが、帝国という名の独裁国家であることは一貫していた。地方に対する無関心もな。あの国に、民主主義は馴染まないんだ。それに、人身売買とハーレムは、もはやあの国の文化そのものだからな。」

「叔父様は、そこで何をしてらしたの?」

「地球でやっていたようなことの続き、かな。

俺たちがこの世界に来たのは、ざっと2万年ほど前のことだ。

俺と、皇帝である兄、つまり龍一の父と、臣下の同族たち。他にはお前のマネージャーと、ドラゴンたち。総数で数百。

国は巨大だったが、滅びを迎えた世界から脱出出来た者は、結局はほんの僅かに過ぎなかった。

数百年続いた、滅びの予兆は、何億の命を奪った。兄上にも、どうすることも出来なかったんだ。1人でも多く救いたかったが、俺たちはただ非力だったよ。

脱出が唯一の解決策だと見極めるのが遅かったのかもしれない。それは、俺にとっては容易い選択だったが、大多数の神族にとっては最後の手段だった。

移動の衝撃に耐えきれず、多くのものが落命していったな。命があっても治癒力の限界を超えてしまい、深刻な後遺症が残った者も多くいた。

肉体の不可逆的な変形。

人格の変容。

とっくに、種としての限界を迎えていたのかもしれぬ。


…知っての通り、俺は、俺たちの種族を残そうと足掻いていた時期があった。

俺たちは、もともと歪んだ繁殖形態を持つ生物なんだ。単為生殖は出来ないのに、一族には男しか生まれない。

つまり、種を維持するには、他の種族の女が必要だ。一種の寄生だな。」

「知ってる。でも、この世界の人型種族ではだめだったのよね?」

「そうだ。唯一の成功例が龍一だが、あいつは俺たちとは違う。元の世界での俺たちは、幾つかの人型種族の女と交わって子をなすことができたが、生まれた子は、母親の遺伝情報を何一つ受け継いではいなかった。遺伝子そのものもだし、その発現をコントロールするはずの因子すら、全く何ひとつとしてだ。」

「じゃあ、違いっていうのは、龍ちゃんの中の、おじさまの遺伝情報が、母方に由来するからってこと?でも、それって結局、神族の遺伝情報よね?」

「そうだが、母方に由来するという点で、決定的に違うんだ。まあ、それは置いといて、とにかく俺は、あらゆる方法を模索していた。で、アシルワカという惑星に、人類の亜種の痕跡があるという情報を聞いて、そこへ行った。」

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