狩りの始まり
二重の扉を開けた途端、正面の大スクリーン一面に、半裸の男女の姿が映し出された。
「…!!!」
その場に凍りつく盟主妃。
スクリーンの女優は、まだほんの少女に見える。必死に逃れようと抗う彼女を陵辱しているのは、ゾッとするほどの美貌の男。
「ふむ。そろそろいいところだな。こら千絵、どこへ行く?」
「帰る!」
「とりあえず、座ろうか♡」
スクリーンと同じく、必死に逃れようとする彼女だが、背後から軽々と抱きすくめられて、そのまま空いた座席へ運ばれた。
「まあ落ち着け。とりあえず、俺の膝か座席か、好きな方を選ぶんだ。」
彼女は叔父を睨みつけるが、渋々シートに掛けた。深く俯いて視線をスクリーンから逸らす。
叔父のやることには、大抵それなりの理由がある。しかし。
「ひどいわ、叔父様。一言あってもよかったんじゃない?」
「時間の無駄だろう。しかしいつ見ても美しい映画じゃないか?」
「…信じらんない。」
「何ともそそられる。あいつが羨ましいね。我が姪は、実に魅力的だ。」
上機嫌で姪の肩を抱き、黒の宮は彼女の耳元に唇を寄せた。
「見ての通り、地球からの違法輸入データだ。主演女優が余りにも、いとやんごとなき貴婦人に似ていると、いまリマノで密かに炎上中の問題作なんだがね。」
叔父の言葉は、日本語だ。
内緒話モードである。
彼女は少しだけ視線を上げた。
2人がいるのは客席の最後列、つまり最上段だがら、前の方の席はあらかた埋まっているのが見てとれる。
観客達の熱狂、生々しい欲望の渦。
感嘆、憧憬、渇望、嫉妬、自己欺瞞。
ため息をつきたくなった。
俳優の仕事には誇りを持っているけれど、どうしてもこの映画は直視出来ない。
色々な事情が絡んで、仕方なく出た作品だった。無論、怪しい低予算映画なんかではなく、巨匠と呼ばれた監督渾身の大作であり、内外の映画賞を総なめにした名作とされているのだが。
否応なく耳に届く音声だけで、そのシーンを撮った時のあれこれが生々しく蘇る。
彼の手に触れられた熱い感触。
灼熱の氷のような、あの眼差し。
合わせた肌から伝わる激情…
「それで、私は何をすればいいの?」
雑念を振り払い、彼女は叔父を見た。
「索敵だな。」
「それなら、カイの方が適任でしょ?」
「カイにできることなら、大抵は俺にも出来るぞ。」
そういえばそうだった。
なら、叔父が知りたいこととは何なのか?
「今から挙げる項目がクロスする者の位置と、そいつの今の感情。」
そう前置きして、彼はいくつかの奇妙な要素をあげた。意味は不明だが、わざわざ彼女を連れてきたからには、反撃とやらに必要なことなのだろう。
頷いて、彼女は探索を開始する。
まずは、映画に集中していないものというのが条件だ。
客席は広い。
扇型で、階段状に配置されている。
総数でおよそ2,000、8割以上埋まっているようだ。
違法コンテンツだから、それなりに高価な価格設定になっているだろう。
そういえば、あのロッシの令嬢はこれを見たのだろうか?
いや、見てはいないはずだ。
賤しい女優風情、娼婦、泥棒猫などと、好き放題に罵られたが、これを見ていれば、寡黙でサディスティックな美貌の男優が誰なのか、一目瞭然だ。
その本人に向かって、あなたの妻はいやらしい映画に出て、アラレもない姿で大衆に媚びる、娼婦のごとき女だとは言わないだろう。
彼に向かって、あなたは騙されている、と力説してもいたっけ?
騙されるも何も、片棒を担いでいたのは、他ならぬ神原龍一なのだが。この映画に出る羽目に陥った理由だってそうだ。
固定資産税滞納だとか、ありえないミスをしたのは彼だし、このシナリオを書いた監督は最初から彼に執着していて、彼女をダシに彼を説得したのだ。
勘繰れば、騙されていたのはこちらかも?
まさか、彼と監督ってグル?
「こら千絵。集中しろ。」
指先でほっぺたを突っつかれ、我に返る。
ぷうっと膨れてみるが、途中で馬鹿馬鹿しくなったのでやめた。
仮にそうだとしても、映画が公開されて久しい。何千万、いや、億の人々の目に触れていてもおかしくはない。
今更、である。
そもそも商業コンテンツだし、これを撮った監督は、生粋のエンタメ職人である。
どんな高尚な意図に満ちた芸術作品だって、面白くなければ、誰も観てくれない。
その上で、解釈は観る人しだい。
それが監督の主義だ。そんなこと、子役時代から知っていた。
体質のせいで、まともに学校にも通えなかったから、映画やドラマの撮影現場が彼女の社会との主な接点だったのだ。
家族といえば、目の前のスクリーンから辺りを圧倒している、傲岸不遜なアル中男だけだし、家族に準ずるのは、マネージャーをはじめとしてほぼ人外。人としてまともな生育環境とは言い難い。
だからロッシの令嬢の罵りも、一抹の真実を言い当てていたのかもしれない。
「…少ないわね、映画に無関心な人。
それと、喪失感?更に性的要素のない渇望だよね?」
「そうだ。」
彼女は目を閉じて集中する。
安くない対価を支払って、わざわざ映画を観に来ていながら、無関心?
客観的に見ておかしいが、絶対にありえないことではない。
それとも、観客のフリをした、興行主がわのスタッフか?
その方が現実味がありそうだ。
違法ならば、そのスジが絡んでいる可能性は大きい。
リマノは巨大な都市である。
表の顔は、豊かで華やかな政治と文化の中心地だが、裏の顔は、うっかり足を踏み入れてしまった犠牲者を呑み込む、アリ地獄のごとき犯罪都市だ。
そこでは、様々な反社会的勢力がしのぎを削り、弱い物は常に強い者の餌食だ。
弱肉強食。
それが唯一の掟である。
そこで、この規模の地下劇場を、小綺麗に維持するのは大変だろう。
あまつさえ公正厳格をもって知られる当代盟主の、妃に絡んだ違法データを公開するなど、いくら金と力があっても自殺行為。
巷の噂を真に受けて、正妃にはもともと恋人がおり、盟主は妃に無関心であると考えているのかもしれないが、この映像データが公になれば、スキャンダルには違いなく、違法データの所持拡散は、れっきとした犯罪だ。
リスキーな案件だから、収入は見込めるものの、小さな組織ではデータの入手すら困難だろう。
地球は神族皇帝の聖域であり、その出入りは厳しく制限されているのだから。
「見つけた。」
「どこだ?」
「3列下。右端。」
彼女は、こめかみを押さえた。
「なに…、なんなのコレ?」
嫌悪感と混乱が滲む声。
「当たりだな。すぐに遮断しろ。」
黒の宮は姪を抱きしめて、低く補助呪文を唱える。彼女が何を覗き込んだかについては、確信があった。
「大丈夫か?」
「ええ。私は平気。…許せないけど。」
最後の言葉は、口の中で小さく呟かれた。人間ならば聞き取れない程の音量だが、黒の宮は聞き逃さない。
姪の手を取って、甲にキスしながら立ち上がる。
「行くとしよう。」
「どこへ?」
黒の宮は、獰猛な笑みを浮かべた。
「獲物の元へ。狩りの時間だ、姪よ。」
「お供いたします、叔父上。」
彼女も立ち上がり、優雅な身振りで叔父に一礼した。
面白かったら次回もお付き合いください。
評価、感想など、何でもお待ちしてます!