アンダーグラウンド・シアター
朝は当たり前に訪れた。
封印は成ったものの、世界には目に見えるような影響はない。
だから幸いとも言える訳だが。
「さて、反撃だ。」
小ホールに集った住人たちに、家主であるところの黒の宮がそう言った。
「誰に?」と盟主妃。
「まずはそれを特定する。」
黒の宮は、まだ白い魔法使いの衣装だったが、あの燦然とした輝きは失せていた。
一面に施されていた刺繍は、力強い立体感と生き生きした印象を失い、アンティークらしいくすみが全体を覆っている。
英霊たちの思いから解放されて、本来の姿に戻ったということなのだろう。
「死者たちにはふさわしい葬列を。生けるものには何を用意するか。まぁそっちはお前の仕事だ、龍一。」
ソファに座った盟主妃の膝を枕にして、目を閉じていた盟主に、全員の視線が向く。
「俺は今日も通常業務です。」
ため息と共に彼は起き上がった。
青ざめた顔に疲労の色が濃い。
それはそれで絵になる風情だが。
「魔法なんてガラじゃない。慣れないことはするもんじゃないですね。」
「剣は魔法とはあまり相性が良くないんだ。ましてやアレは神剣。自業自得だな。バカかお前は。」
「あなたの甥ですから仕方ないかと。」
「おお。それはそうかも知れぬ。」
「…真顔で肯定しないで下さい。」
「仕方なかろう。事実は事実だ。さて、千絵、今日は俺とデートしようか♡」
「うん!」
「な……?!」
盟主が凍りついた。
「あ、ボクお供しまーす!」
三角帽子を取り戻してご満悦の黒猫が、招き猫よろしく片一方の前足を上げる。
「いや、お前は留守番だ。今日にも招かれざる客が来よう。フランツ、サーニ、お前たちも心せよ。少尉の指揮下に入り、その命に従え。」
「はい!」期せずして、2人の声が揃う。
黒猫は、これでも連邦軍屈指の情報将校である。
そのことは2人とも知っていた。
しかも、その戦闘能力ときたら、ワンマンアーミーどころか、連邦の誉れである宇宙軍を壊滅させるなど造作もない、正に天災級の存在なのだ。
「さて少尉、必要とあらば、俺の名において戦闘行為を許可する。よいな、龍一?」
「問題ありません。しかし叔父上、今日にも、とは?」
「ここの状態を監視していた者達がいた。
それはお前も気付いていたはずだが。
そのネズミの一匹が今朝から見えぬ。
何らかの重大事を報告に行ったか、或いは昨夜、ドラゴンの結界に干渉しようとしたか。」
後者なら、命にかかわる。
人が不用意に触れぬよう、外周には警告の意味合いで、方向感覚を失わせるシールドが敷設されているのだが、監視者がある程度以上の能力者だと、この安全シールドを突破する可能性があるのだ。
しかし、その場合は、己れの半端な能力を呪いたくなるに違いない。
ドラゴンのシールド本体は、苛烈である。並の能力で太刀打ち出来るような、生半可なものではないのだ。
それに干渉しようとしたり、侵入をはかろうなどとしようものなら、良くて重傷、もしくは死が待っている。
「どちらにせよ、ネズミの飼い主は動く。そういうことですか。」
「恐らくな。」
「で?」
「ああ。こっちは、打ち合わせた手筈通りに。お前が行く訳にもいくまい?」
なぜか、アルカイックスマイルの黒の宮。
対する紫の宮は渋面である。
彼らを交互に眺めて、盟主妃。
「…何を企んでるのかな、2人して?」
笑顔が剣呑だ。
紫の宮は目を逸らし、黒の宮はスマイルのままだ。ただアルカイックがチェシャ猫に変わりはしたが。
「楽しいデートに期待しようか、我が愛しの姪よ。」
「嫌な予感しかしないんですけど?」
「そう言うな。俺とデートして、楽しめなかったことがあったか?うん?」
「それはないけど…」
「そうだろう。そこの若造と一緒にするな。」
紫の宮は何故か更に目を逸らした。
明らかにおかしい。
リューとサーニは目で会話して、お互いに何のことかさっぱりわからないことを確認した。わからないが、らしくない。
黒猫は、我関せず。
「えーっと、千絵、出勤前に回復を…」
「イヤ。」
にべもない。
「相当疲れてるんだが?」
「杖の代わりに神剣なんか使うからよ。」
「いやその、だって俺、魔法使いじゃないし、そんなつもりは…」
「知らない。着替えてくる。」パッと立ち上がって、彼女はそのままホールから出て行った。
「よし、では解散としよう。」
黒の宮が立ち上がり、他のものが続く。
1人残された紫の宮は深くため息をついて、肩を落とした。
「叔父様、何なのここ?」
数時間後、リマノ某所。
本宮の宮殿ほどではないが、複雑怪奇に入り組んだ建物の一角である。
この辺りの特徴として、目の前の建物がどこまで一棟の建築物か、どれほど目を凝らしてもわからない点が挙げられる。
目の前の建物も、正にそれだ。
うかつに足を踏み入れたら、どこに続くか分からない。
繁華街からちょっと奥に入った路地という立地も、どことなくいかがわしい。
「大丈夫、俺がいる。」
姪の肩を抱いて、黒の宮。
最新流行のカジュアルなスタイルは、どこから見ても若く裕福なリマノの特権階級そのものである。
彼の姪もまた、それにふさわしい高価なスーツを着こなしていた。
露出度は低いが、体のラインをくっきり見せることで、上品だがセクシーで奔放な、リマノっ子好みの令嬢のイメージだ。
長い漆黒のストレートヘアが、無造作に背中に流れている様はゴージャスである。
「とにかく、入ろう。」
「叔父さま、このドアって…」
「気づいたか。そのノブは偽物だ。」
彼は、一枚のカードを取り出した。
サイズはカードだが、印字された情報は何もない。それは、ただの薄い金属の板で、鈍い銀色の光沢を帯びている。
それをドア脇の、一見して汚れにしか見えないシミにかざすと。
ドア表面に、文字が現れた。
ようこそ劇場へ
その飾り文字の下に、いくつかの項目が並んでいる。
ミュージカルや舞踊、歌手の公演など、近頃リマノで評判の演目だ。
いずれもチケット入手が困難なことで知られている。
だが、黒の宮の指はそれらの末尾、何も書かれていないブランクにかざされた。
シュッ
空気が抜けるような、微かな音とともにドアが下へスライドした。
その奥には短い下り階段がある。
幅は結構広い。
階段の突き当たりは、さらに広い踊り場になっていて、映画館にありそうな、古風な両開きのドアに続いていた。
ドアの左右には、暗い間接照明。
「何だか怪しげな雰囲気ね。」
「行くぞ。」
非の打ち所がないエスコートに導かれて、彼女は階段を降りた。
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