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月の宮異聞  作者: WR-140
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封印

詠唱は佳境だ。

朗々たる声が戦場の喧騒と爆音を圧して響き渡る。

その言葉は、今はもう失われて久しい異界の言語。

その音律は、古の異界の帝国にのみ伝承された音楽。

いずれもがこの世界で生まれたものではなかったけれど、その美しさは圧倒的だ。

それはまた、白の魔法使いを取り囲む英霊たちに力を与えると見えた。

どこか曖昧だった彼らの輪郭が、時間とともにはっきりする。

死してなお使命を果たさんと、ここに集った戦士たちの覇気が、不退転の決意が辺りを薙ぎ払った。

今や、その姿は生者となんら変わりなく見える。

剣や槍、弓を構えた武人たちは、各々の得物で百鬼の群れを蹴散らす。

魔法使いや呪術師の一軍は、主として後方支援を担っていた。

かつての主君の詠唱を妨げないよう、結界を維持すると共に、前線の者らに様々な魔法効果を付与する。

一部は属性魔法を駆使し、敵に直接のダメージを与え続けていた。

百鬼どころか、総数では何万体のオーダーであっただろうが、さしもの異形達も、残りは僅かだ。

稲妻の速度で剣を振う、黒い魔法使いが地を蹴るとき、一気に薙ぎ払われた異形のものが百体なのか千体なのかはわからない。

はっきりしているのは、壁のように周囲から押し寄せ、白と黒の魔法使い達を押し潰し蹂躙せんとしていた怪物どもの数が、激減している事実だ。

もはや戦いの趨勢は明らかだった。

黒い魔法使いは既に剣の切先を地に突きつけて立て、その柄に両手を添えたままで動かない。

軽く閉じられたその目は、遠い空に向けられていた。

緩いウェーブを持つ漆黒の短髪。

生きた人間でありながら、人の理想形を追求した、無謬の彫像すら超える端正。

微動だにしないその姿勢は、大地に屹立する一振りの剣であり、天と地を繋ぐ孤高の石柱とも見える。

百鬼の群れがほぼ壊滅した今、広大な戦場で繰り広げられていた、無数の戦闘は、急激に精彩を失い、舞台の書き割りの一部に近くなっている。

ただ恐怖のみを湛えていた、エキストラたちの顔には、別の表情が現れていた。

それは、希望。

彼ら、死せるもののロジックは、生者のそれとは違っているが、それでも生ける者が、今の彼らの表情を読み違うことはないだろう。

それは、解放への希望。

永き年月、この地の頚城に囚われ、絶望に縛られて、もはや己が何者であったかすら忘れ果てた、虜囚たちの希望。


解放の時は、近い。


柔らかな光に満たされた草原。

草花に埋もれるように座っていた黒猫が、つと頭をもたげた。

「カイ、行くのね。」

「はい。お呼びなので。」

「気をつけて。」

妃の柔らかな微笑みに、猫なりのやり方で答礼し、そのまま黒猫の姿は消える。

後にはあの三角帽子だけが残された。


陰鬱な戦場に、一瞬、銀の閃光が疾った。

眩く鮮烈な光。

風が巻き起こる。

「来たか。」

黒い魔法使いのロープが、激しい風にはためくが、彼自身は微動もしないままだ。

閉じられていた目が、ゆっくりと開いたとき、彼の前には、巨大な白金のドラゴンの姿があった。

「御前に。」

声ならぬ声が響く。

長い頸が、地面近くまで下げられた。

牛をひと呑みに出来そうな巨大な頭部。

黒い魔法使いは、予備動作なく跳躍する。

着地したのは、ドラゴンの頭の上だ。

「カイ、帽子は?」

囁く程度の声で、ドラゴンの主君が尋ねた。

「あ!…あのぅ?」

「却下。さっさと飛べ。」

「ううっ…」

なぜか涙目のドラゴンは、長大な翼を広げてふわりと浮き上がった。

羽ばたく必要はない。

もとより翼だけで飛ぶことなどあり得ない巨体である。

地上数メートルで一瞬ホバリングし、そのまま音もなく上空へと舞い上がる。

浮き上がるついでに、長い尾の一振りで異形の怪物の残党どもを屠るが、姿勢は僅かも揺るがない。

高度を増すにつれ上昇スピードは加速する。

ドラゴンの全身は特殊なシールドに包まれているため、空気抵抗はあまり問題にならないのだが、騎乗者が彼の主君でなければとっくに振り落とされていただろう。

十分と思える高度まで上昇して、ドラゴンは静止した。

真下には白い魔法使いとその臣下が、ゴマ粒ほどの大きさに見える。

そして、白の魔法使いを中心として、遥か彼方までの大地を覆い尽くす、巨大な魔法陣が、今その全貌を現しつつあった。 

地上に居ては、その存在さえ気付かないだろう。

巨大かつ緻密、荘厳かつ華麗。

刻まれだ標章や言葉は、呪文と同じく異界のものである。

「この位置を保て。」

「御意。」

ドラゴンの頭上から地平線をのぞみ、彼は剣を高く頭上に掲げる。

その口から詠唱の言葉が紡がれ始めた。

滅びた世界の言葉。

かつて存在した、異界の帝国。

彼が決して踏むことのない父祖の地の言霊が、新たな音律を得てこの世界に流れ出したのだ。

ドラゴンの先祖たちもまた、彼の地から主君たちとともに世界を渡って来た。

ドラゴンたちと、その主君らの強大な力を持ってしても、滅びの運命から救うことが出来たのはほんの一握りに過ぎなかった。


ドラゴンたちは、この世界で無事に世代をつないできたが、彼らの主君である、古の帝国の皇帝とその同族たちは、数千年の時をかけて、漸く次世代を産み出したに過ぎない。

そういう意味では、生物として既に限界を迎えた種族なのかもしれないのだが。


2人の魔法使いの詠唱が重なるにつれ、巨大魔法陣に異変が生じた。

全体がゆるゆると発光し始めたのだ。

美しい音楽のような詠唱とともに、光は輝きを増していく。


花の中で、薄紫の袖がふわりと舞った。

膝立ちになって、盟主妃は両手の指を絡ませる。それは、祈りの形だ。

周囲で無心に遊び、笑い、語らう幼いものたち。

彼らに捧げる祈りであり、彼らと共に失われし命と生命の営みに思いを馳せる祈りでもあった。

余りにも儚く散る草花のように、

見送り、また見送られる生きとし生けるものの全てに想いを込めて。


時が、動く。

固く抱き合う恋人たちも、それを悟った。

永く停滞していた、凍りついた時間が動き出す。


魔法陣の輝きが明滅する。

最初の白い光から、赤、青、紫へと変化しつつ。

地平線まで続く巨大な円陣は、そのままの形で浮き上がるかに見えた。

否。

光の明滅と共に現れた、そっくり同じ魔法陣が、いま地上を離れて空中に浮かび始めたのだ。

最初の魔法陣は地上にとどまったまま、

もうひとつのそれは次第次第に高度を上げていく。

今やその光は、七色に波打つような明滅を繰り返していた。

地上のオーロラと、それから別れて上昇していく、天のオーロラ。

それ自体には、音はない。

しかし、その輝かしい光は、薄っぺらくなった闘いの喧騒を圧倒し駆逐する。

いつしか静寂が天地を繋いだ。

詠唱の声も二つながら沈黙した。

魔法陣は尚も上昇を続けて、白金のドラゴンと黒い魔法使いを透過し、更に高みへと向かう。


そして。

沈黙のうちに、時は来た。

天と地、二つの光の明滅は目まぐるしくシンクロしていき、七色の光は再び白一色へと収束し。

双方から発した光が世界を包む。

飽和した光のため、戦場も草原も薄明の空間も、或いは他の重なり合う空間の全てにおいて、形あるものは輪郭を失った。

その刹那世界は静止し、

…そして再び世界は時を刻み始めた。


封印は破壊後、再構築されたのだ。


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