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月の宮異聞  作者: WR-140
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新月到来

サーニの就職に関する手続きは、万事滞りなく完了した。

月の宮についてのいわく因縁は、一般にはあまり知られてはいなかったが、元老院から人事の委託を受けている、本宮人事課にとっては、この件は頭痛のタネだった。

仮にも、盟主正妃の宮なのに、その格式にふさわしい人員を配置出来ないとなれば、職責を問われても仕方ないだろう。

幸い、古色蒼然たる外観に似合わず、宮での生活自体は高度に自動化されていたので、使用人がいなくてもほぼ問題はない。

だがしかし、正妃が本宮で賓客の接遇などを行う際、専属の侍女1人すらいないというのは問題だった。

普通に人材募集すれば、希望者は殺到しただろうが、戴冠式前、試験的にスタッフを集めてみたところ、精神の均衡を崩す者が続出したのだ。

中には、未だ立ち直れないものや、行方不明になった者までがいたため、人事課は、ついに匙を投げた。

月の宮に関しては、そもそもの所有権が神族皇家にあるから、管理運営費は連邦で引き受けるが、人事までは知らない、と。

当代の盟主、紫の宮こと、初代盟主の名を継ぐディーンズムーア親王は、これを受け入れて、側近らと妃の住まいとしたのだ。

妃自身は人間であるが、親王の母方の血に連なる身であり、ブリュンヒルデの名は、他ならぬ神皇家始祖より、内親王として与えられたものである。

そういうわけで、月の宮は、至って家庭的な場所とも言えた。


「どうなさいましたか、姫さま?」

石造りの宮のテラスで、何やら憂い顔のブリュンヒルデ妃に、サーニが話しかける。

時は黄昏、テラスは鬱蒼とした庭園に面していて、一足先に宵闇の気配が忍び寄っていた。

「今夜、新月なのよ。」

「はい。それが何か?」

「新月と、満月の日、ここでは普段と違うことが起こりがちなのよね。龍ちゃんが居ればまず問題はないけど、今日は遅くなると思うの。」

龍ちゃんとは、第15代連邦盟主を指す。

尤もそう呼ぶのは盟主正妃である彼女だけで、他のスタッフは、龍一さまと呼称している。どちらにせよプライベートな呼び名に違いはない。

「今日は、バルデス帝国の皇帝がお越しとか。」

「ハーレムごと、ね。閨房外交は、あの国の得意技だから。」

「龍一様がそんなものに興味を示されないことがわからないのでしょうか。」

ここに来てまだ半月のサーニだが、盟主である紫の宮が、この歳若い妃を溺愛していることに、疑問の余地はなかった。

彼はそれを隠そうともしない。

その濡れた視線は執拗に彼女を追う。

彼女の手に、髪に、顔に触れる時、この上ない優しさと同時に激しい欲望が、彼の視線に炎の意思を宿らせる。

灼熱の氷。 

傍で見ていてもゾクっとしてしまう。

あんな目で見つめられるって、どんな気持ちなんだろう。

サーニにとっては、未知の領域だ。


溺愛と、執着。

どれほど夜遅くなっても、宮は必ずここに帰ってくる。妃と夜を過ごすために。


「この世に永遠の愛なんて、存在しないもの。彼が私以外の女性を愛する日が来るかもしれないわよ。」

なんなのだろう、妃のこの達観?

サーニとて、恋愛至上主義には疑問を持っているが、全く夢がないわけではない。あれほど愛されている妃が、冷めたセリフを吐くには、それなりの理由がありそうだ。

「どうやって、龍一様と出逢われたんですか?」

思わず口をついた質問に、妃は淡々と答える。

「覚えていないわ。だって、私たち家族だもの。 私を育てたの、彼だから。」

「は・・・?」

「父母は、私が産まれてすぐ亡くなったわ。私の母と、龍ちゃんのお母様は従姉妹同志。妙なモノを引き寄せる体質のせいで、彼が私を引き取って育ててくれた。

他に私を守れる人がいなかったから。

彼がいなかったら、私は子供の内に死んでたでしょうね。

で、16歳になった時、入籍したの。それは、私を法的に守るためだった。

最初は、ただ形だけの結婚だったけど、彼がその時どういうつもりだったかはわからない。でも彼、その時付き合っていた女性との関係をあっさり清算したわ。ずっと後になってから、私から提案したの。責任取って、って。彼が私を欲しがっていたことは知ってたから。」

「そ、そんなこと、私ごときに仰ってよろしいんですか?」

盟主妃は、頷く。

「本当のことだもの。私は、確かに彼を愛している。そして私たちは、一刻も早く務めを終えて、故郷に帰りたい。でも、戦争は本当に多くのものを破壊してしまった。それを修復するには、長いながい時間が要るでしょう。時間短縮のために、彼はとんでもない無理をしているわ。命掛けでね。」

ふう、とため息をひとつつき、

「ほんと、馬鹿なんだから。」と、呟いた、これは独り言だろう。サーニは聞こえないフリを決め込んだ。

「あのう、姫さま、新月の晩には、何か特に注意しなければいけないことがありますか?」

妃は、首を横に振った。

「何が起こるかわからないの。今夜は、そうね、自分の目と耳を信じない方がいいかもしれない。常識より、直感の方が正しいこともあるわ。」

漠然とした答えだが、何となく分かる気もする。ここ半月だけでも、色々あった、と、サーニは思った。


普通なら、一生経験しないであろう出来事の数々。砂と岩だけで構成されている庭園は、全く手入れするものがいないのに、いつも完璧な流水紋を刻んでいるし、雑草を見かけることもない。

最初の日に見かけた、生垣の小人は、少なくとも100匹以上はいるだろう。

樹木の繁る庭園に点在する池には、何かが棲んでいる。おかしなことに、それはたぶん、住まいである池より大きい。

月光をバックに、池から空に向けて伸び上がる、幾つもの巨大な影を見た限りでは、池は単なる大きめの水溜りなどではなく、地面に穿たれた穴であるように感じる。

どこに続く穴なのかはわからない。

知らない方が良いのだろう。

ブリュンヒルデ妃暗殺を期し、送り込まれた暗殺者たちの何人かは、穴の先を見たのかも知れない。暗殺者のうち多くのものは、綺麗さっぱりこの世から消えてしまったのだから。

歩く木。図鑑にない異形の動植物。

巨大な昆虫。

それらは、何故かこの離宮の敷地から外へ出られない。

庭園に住み着くものもいれば、いつの間にか消えてしまうものもいる。

空中を漂うカラフルな幾何学立体。

シャボン玉に似て、表面に虹色の揺らぎを持つ、頼りない外観の泡が、ふわふわと漂っていく。

いつの間にか現れ、知らないうちに消えていくそれらが何処から来るのか、今度確かめてみよう。


「すっかり暮れてきたわ。もう、中へ入りましょ。」

「そうですね。」

サーニは改めて、庭園を振り返った。

木々の上にはまだ、残照が薄明るく見えていたが、庭園には濃密な闇がわだかまり、人の侵入を許さない沈黙を守っている。

月の宮に、新月の夜が訪れたのだ。


次回から、月曜、水曜、金曜の隔日投稿予定です。

よろしくお願いします。

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