花冠と剣
「姫ぇ、何やってんですか、この非常時に?」
黒猫は非常に不満げである。
「見てわかんない?花冠編んでるの。」
妖精めいた、淡い紫の薄物のドレス。
花盛りの野原には柔らかく香しい風が吹き過ぎていく。
日差しは穏やかだ。
淡く優しい光が辺りに満ちていた。
少女のような盟主妃は花の中に座り、その言葉通りに花冠を編んでいた。
その彼女の周りには、何人かの子供達の姿がある。
最も年長の子で、せいぜい5歳くらいか。
子供達は、性別も外見も様々だった。
綺麗に整えられた金髪と、古風で高価な着衣の男の子は、どこから見ても高貴な生まれの貴公子然としている。
立った姿勢で、不思議そうに周囲を見渡すその佇まいまでが端正だ。
その隣で、両脚を投げ出すように座る女の子。着衣は質素なものだが、その瞳は明るく輝いていた。
妃から手渡された、シロツメクサの花冠を
両手に捧げ持っている。
女の子が、瞳を巡らせ、傍の男の子に何か言ったようだ。
遠くを見つめていた男の子が彼女を振り返る。2人は目を見交わして微笑んだ。
声は聞こえない。
見渡す限りの花園には、あちらこちらに子供たちの姿があり、かけ回ったり、歌を歌っているらしい様子は見えるのだが、声は一切聞こえないのだ。
「あのー、姫?」
「なあに、カイ?」
「ボク、何でこっちなんです?あっちの方が、楽しそうなんですけど?」
黒猫カイの言う「あっち」とは、現在2人の魔法使いたちが絶賛戦闘中のエリアである。
カイも盟主妃も、ほんの少しだけ「視る」方法を変えれば、薄膜を透かすように2重写しになったその世界を見ることが出来るのだが。
「あれが楽しそうなの、少尉?」
盟主妃の言葉は冷ややかだ。
「えーと、ボクって軍人ですしぃ 使い魔だし。」
「あら、そう。だからって、役目を忘れては駄目よね?」
「シールド維持しても、あんなヌルい戦闘くらい軽く……」
妃は、ため息混じりに手を止めると、黒猫に向き合った。
「カイ。よく聞いて。あの戦闘狂のおバカな魔法使いたちはね、力をセーブして戦う為に、杖だの剣だのを使ってるの。もしどっちかが少しでも興に任せて足を踏み外したらどうなるかしら?」
黒猫の丸い目が、更にまん丸く見開かれた。
『あー、だからあのお菓子って、猫の目って名前なのかな』
などと、丸い焼き菓子を思い浮かべて、どうでもよさげな感想を抱いた盟主妃。
硬直する黒猫。
全く違う思惑のせいで、しばし見つめ合いが続いてから、
「ボクが間違っていました…」
ガックリと項垂れ、黒猫が呟いた。
人間の姿なら、恐怖に青ざめ全身から冷や汗を垂れ流しているところだ。
「わかればいいのよ。」
花冠を編む作業に戻りながら、盟主妃は軽く頷く。
シロツメクサの花冠は、いつのまにか女の子の手から男の子の頭に移っていた。
2人の子供は並んで座り、おしゃべりをしているようだ。
楽しそうな笑顔。
声は聞こえない。
聞こうと思えば聞くことは出来るが、なぜか妃も黒猫もそうしようとはしなかった。
子供たちの生は、既に終わっていたからなのか、それとも、彼らの笑顔だけで充分だったからなのか。
柔らかな光の中、永遠の送別を行うその時を待ちながら。
殺戮の音が戦場に響く。
辺りを圧する鬨の声。爆音。
ただ黒一色だった世界は、いつしか厚い雲に覆われた空と、泥濘に満ちた黒い大地に変わっていた。
見渡す限り繰り広げられるのはただ闘いのみである。
陰鬱な舞台で演じられる、戦闘のエキストラたちは、男もいれば女もいた。
年齢や服装は様々である。
戦闘向きの衣装だけではない。
およそ場違いな正装の者、パジャマとしか思えない軽装から半裸まで。
数万、或いは数十万人?
何者かの悪意か無関心なのか、この戦場には統一感が欠けていた。
矢が飛来し投石器が唸る。
破城槌が見えない城門に突進する。
雷鳴と稲妻は、生あるものの如く地上に絨毯爆撃を仕掛け、局地的にブリザードが吹き荒れる。
一方で、銃器の音とともに火花が閃き、低い雲の向こうから飛来したミサイルが地にクレーターを穿って、盛大に爆発の閃光と爆風を撒き散らす。
いずれの時代、いずれの戦いが再現されているのかはわからない。
だがそこには、ある種の法則も見て取れる。
即ち、核兵器や殲滅級の魔法など、視野の全てを一気に消滅させる類の兵器は使われないこと。
刺され、焼かれ、撃たれ、爆風によってバラバラに吹き飛ばされて、地に撒き散らされても、新たな兵士がすぐに立ち現れること。
兵士たちの表情は、恐怖に満ちている。
絶望する間もない恐怖である。
この混沌と異臭、轟音と閃光が交錯する戦場に2人の魔法使いはいた。
彼らの周囲には、白い影のように佇む者たちの姿がある。
黒の宮に従い、かつては彼とともに戦った者たち。
死してなお再び彼の元に集い、最後の戦いにその魂を投じようとする英霊の姿である。
壮大な封印の術式を完成させるために、黒の宮は呪文の詠唱に入っていた。
その彼に、じわじわと、異形のものどもが近付こうとしている。
それは、かつては人間であったはずのものなのだろう。
だが今の彼らは、もと人間だったとは信じられないほど変貌を遂げていた。
個性豊か、といえばそうだろうか。
地を這うものがいる。
仄暗い鬼火のように、不定形の姿でふんわりと空中に浮かぶモノがいる。
巨人のごとく丈高い姿に、頭部の左右から屹立する2本のツノ。
剛毛に覆われた、巨大な蜘蛛の横には、地獄の餓鬼さながら突き出た腹と痩せこけた四肢を持つ首なしの群れ。
700年の時間を通して変貌を遂げた者なのか、死の病の落とし子か。
百鬼夜行。
黒の宮がかつて潜んだ、平安の京の闇から呼び出された魔物の群れでもあろうか。
壁のごとく周囲から迫り来る異形の群れ。
突如、紫の閃光が、その一角を切り裂いた。
更に、一閃。続いてもう一度。
プロボクサー並の動体視力を持つ者ならばそこまではカウント出来たかもしれない。
実際にはその何倍もの回数、閃光は繰り返し百鬼の群れを切り裂いていた。
紫の宮である。
召喚した愛用の剣を手に佇む姿は、静謐そのものだ。
特別な構えを取ることもなく、四肢のどこにも緊張はない。
ただその姿が消える時、紫の閃光が、さらなる群れを切り裂くのみ。
紫の宮に倒された者らは、復活しない。
黒の宮を守る英霊たちも善戦していたが、彼らに倒されたものの一部はすぐ復活するため、そちらの攻防は一進一退である。
紫の宮は、黒の宮の術式を観察し、分析、記憶しながら剣を振るう。
彼は、封印の術式に介入するタイミングを見極めんとしていた。
英霊たちの一部、高位魔法使いの数人が、詠唱に加わった。
その時は、近いと見える。
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