2人の魔法使いと英霊
「叔父上、これは?」
「とても古い術式だ。この宮より遥かに古く、もはや伝承する者もない。」
通常の五感が役にたたない、白い光に満たされた空間で、黒と白の2人の魔法使いは泰然と佇む。
上下左右の位置に関する観念がすっかり失われ、存在と非存在の境界すらあやふやなこの世界。
そこでは時間と空間、重力と素粒子に働く物理法則さえ正しい振る舞いをやめてしまったように見える。
「だが、ここはまだこの世の内に過ぎぬのだ。見かけが少し変わっただけで 本質は等しい。」
「じゃあ ここに囚われているこの人々は何なんだ?アンタの仕業か?」
冷たい口調で、紫の宮が言い放つ。
突然、周囲の景色が変わった。
白い無の世界のあちこちに、異質な色彩が生まれる。
赤と、黒。
バチバチと音を立てる、緑色の閃光。
縦横に白い世界を切り裂いて、閃光は別の色彩で全てを塗り替えていく。
そして。
緑の最後の閃光が消えたとき、世界は一変していた。
黒一色の世界。
それは、闇であって闇とも異なる濃密な実体である。
射干玉の帳の向こうには、何者とも知れぬ無数の気配。
魔法使い達は、動かない。
最初に変化したのは、臭気だ。
腐臭。
濃く、嘔気を強制する圧力に満ちた臭気が、全てを一気に満たす。
風は吹かないのに、強烈な風圧を思わせる悪臭は、まるで物理的な実体を持つかのように魔法使い達を打ち据えた。
が、ふたりは動かない。白黒二つの秀麗な石像さながら、立ち尽くしたままで、眉一つ動かそうとしない。
続いて、周囲の光景が変わる。
折り重なる身体。
無数の人体が重なり、重なり、重なりあっては更に上へ上へと。
生命なき身体。ねじれた四肢。耐え難い腐臭の檻。内臓が融解し、肉が、皮膚が、軟骨が、腐り押しつぶされ、やがて全体が腐肉の塊と化してゆく。
腐汁を滴らせながら、全ての軟組織が骨から剥がれ溶け落ち、下へ下へと堆積して。
「かつて、疫病が、人間の世界を壊滅寸前にまで追い込んだことがあった。その病原体は、元々人間の手によって生み出されたものだった。」
呟くように、黒の宮が続ける。
「だが開発者たちは、自分たちが開発したこの小さな怪物を制御できなかった。事故が起き、開発チームのほとんどが感染したが、致死率はその時点ではまだ3パーセントもなかった。一旦野に放たれたそれは、人から人へと感染る過程で、何故か強力な感染力と致死性を獲得した。」
病原体が菌であれウイルスであれ、それが繁栄するためには、強すぎる致死性は邪魔である。
うまくしたもので、致死率が高くなりすぎると、宿主がすぐに死亡してしまい、結果として、その病原体の株は生き残りにくくなる。
そう、そのはずだったのだが。
「致死率は、最大80パーセント近くに達したが、罹患してから死ぬまで、患者は比較的活動が活発だった。熱は40°近くまで上がっているのに、出歩くことができる者が一定数いて、なぜか彼らは他人との接触を好む。そして、感染力は非常に強かった。」
第7代盟主が即位したとき、病気はもはや全世界を覆って猖獗を極めていた。人々は恐れ混乱し、非感染者まてが感染を疑われ殺害される事態が日常化していたのだ。
病に倒れた者は人口の8割弱。
この巨大な災害により崩壊した世界で命を失った者が、1割。
残された者らも、人というより獣に近いところにまで堕ちていた。
死の恐怖があまねく地を覆い尽くした。
「俺はどうにか間に合った。病原体を駆逐することより、事後処理に遥かに手間がかかったが、文明の崩壊は回避した。恐怖と狂気が、ある者らを駆り立て、殺戮と掠奪のみを行う集団がいくつも生まれて、俺にも牙を剥いた。」
黒の宮がそのような輩に傷つけられることはなかったが、周囲の人々に対する被害は甚大だった。
有能で忠実な部下たちが、
未来を見据えて身を粉にして働いた人々が
次々と凶刃に倒れた。
「俺は無力だ。今も昔も。」
白い魔法使いは、淡々と呟く。
「?」
黒い魔法使いが、訝しげに視線を送った先は、白い魔法使いのマントとローブだ。
刺繍の呪術文字が、生地からゆっくりと浮き上がるように、光を放った。
「魔法は、魔法使いだけのものではない。行使出来るか出来ないかの差はあるが、全ての人の精神にそれは宿っている。災害によって失われた生命と、そのために慟哭し壊れていった生命は、強力な魔法を産んだ。いくつもの世界に巨大な裂け目を穿つ魔法を。」
裂け目を作ったのが魔法の力だったから、
封印も魔法の術式に依った。
700年前の無数の死が世界を穿ち、
人々の祈りと、黒い魔法使いの力が、死の
拡散を封印したのだ。
「お前も気付いていただろう。
ここの封印は完全な物ではない。裂け目に取り込まれた死者たちの魂も、解放の必要があった。その時期は今少し先のはずだったが、愚か者どもの要らざる介入により、前倒しになった。」
マントとローブの文字列は、今や完全に生地から離れつつある。
その清冽な光は輝きを増し、輝きは風となり、周囲の汚穢を吹き散らしていく。
「700年前は、俺の力不足で、封印はこれが限界だった。その時、協力してくれた多くの魔法使いや呪術師、神父や僧侶が、来たる日のため祈りを注いだのが、この衣装だ。」
彼は、甥を振り向き視線を合わせた。
「今は、お前がいる。力を貸してくれ。」
「承知。」
黒い魔法使いが首肯する。
白い魔法使いは、正面に向き直った。
「機は熟した。皆も今一度、俺の元に集え!」
杖の石突が音高く地を打つ。
それを合図に、魔法使いたちの周囲を取り巻いて、何人もの人影が立ち現れた。
古風な衣装に身を包んだ男女が、一斉に頭を垂れる。
年齢も身なりも様々な彼らだが、その表情は一様に輝いていた。
700年もの歳月、この時を待ち続けていた英霊たちが、最後の闘いに臨まんとしているのだ。
2人の魔法使いとともに。
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