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月の宮異聞  作者: WR-140
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月の宮の夜明け

「何用か?」

静かだが、聞く者の意識を一瞬で鷲掴みにする声が響いた。

紫の宮は、悠然と立ち上がる。

裸体であることなど、微塵も気にする様子はない。

その片手には、奇妙な生物が捕らえられていた。

一見すると、ウツボとオオカミウオを足して、口にサメの歯を植え付けたように見える。しかし、その皮膚の、乾いてざらついた質感は、魚類というより爬虫類に近い。

体長は1.5メートルほど。

4つある目には、それぞれ2個ずつの瞳孔があった。

凶悪で禍々しい印象は、主にその目から発散されているようだ。

ガチガチと噛み合わされる牙の音。

しきりに身体をくねらせて、自由になろうともがくが、その首を掴んだ手は微動もしなかった。

かなり重量感のあるそれの体重を支えて、まっすぐ前方に伸ばされた腕もまた、びくともしない。

彼の目がすっと細められ、その舌が、唇についた血を舐め取る。甘美な余韻を楽しむように、舌はゆっくりと口の中に戻り、目は閉じられた。

少し仰向けになったことで、完璧すぎる喉のラインが露わになる。

喉仏が上下し、嚥下の動作が完了した。

閉じた目が、半ばまで開かれる。


 これ、わざわざ見せつけてるのね。ほんと、性格破綻してるわ、龍ちゃんって。

サディストで俺さまなアル中変態色魔。

露出狂で、ストーカーで、ワーカホリックで執着僻のついでに王さまですって?

誰よ、こんなのに権力なんか与えたの?

そもそも私、何でこの人を愛してるのかしら?馬鹿なの、自分?

おかげさまで、人生ハードモード確定なんだけど?


バスローブを羽織りながら、妃はため息を飲み込む。

いつものことなので、いまさら嘆いてみても、しょうがない。

愛してしまったものは、仕方ないから。


妖物は、狂ったように暴れるが、元より逃れるすべなどない。血への渇望が、強力な酸のように身内を焼く。

いま男が嚥下したのは普通の血でないことを、妖物の嗅覚が教えていた。

かつて、今よりずっと弱く小さな存在としてこの世界に来たのは、この場所だったはずだが、その時ここには、こんな甘美な芳香を持つ血の女はいなかった。

こんな、恐ろしい男も。

ああ、あの血!

あれが欲しい、ホシイ、欲しい…

一口でいいから!


ここを離れたあと、コソコソと人から人へと移りなから、少しずつ少しずつ力を蓄えてきたのだ。

ビクビクと、オドオドと。

力無き存在ならではの用心深さで。

ようやく、ある程度の力あるモノになれたのに、これでは全て台無しではないか。

あの女のせいだ。あの女が、どうしてもここに来たがったから。

あの女が!!


「用はないのか。では、死ね。」

そっけない言葉の意味を、妖物が把握するより速く、首の圧力が消えた。

男の手が離れたのだ。

 よし!逃げられる!

一瞬の歓喜。

だが、次の瞬間。

何が起きたか、その吸血の妖物が理解する日は永遠に来ないだろう。

そいつが目にしたのは、フラッシュライトにも似た、一瞬の閃光のみだった。

湿った音を立てて床に落ちたのは、二つのよく似た物体である。

それは、頭の先から尾の先まで、綺麗に両断された、妖物の体だった。


どさっという音。

ドアの前で、1人の女がくずおれた。

痩せ細り、やつれたその姿は、まるで老婆のようだ。

床についた両手で辛うじて上半身を支え、ガックリとうなだれ、顔は見えない。

パサついた髪の先端は、床を這っている。

乾いて水気を失った皮膚。

高価なナイトウェアを着た、カカシのような姿。

本来の姿を知るものにとって、目の前の女が彼女であるとは、にわかに信じらないはずだ。


「ローザ・ガートルード・ロッシ嬢。ここに何用だ?」

女の肩がピクリと動き、顔がゆっくりと上がる。肉が落ち窶れ果てた顔の中で、その両眼のみが、ギラギラとした生気を放っていた。

生気?

いやこれは、もはや狂気だ。

あの妖物と合体する事でかろうじて保たれていた生命であっただろうに。彼女に超常の力を与えていたそいつは既に滅びた。

否、最初からこの狂気こそが、彼女の露命を繋いでいたのかもしれない。


「なぜですか、神原さま?なぜそのような賤しい女を妻になど!たしかに外見は美しいかも知れませんが、その女は、サンクチュアリの女優風情。それも、男と肌をあわせ、あられもない姿で大衆に媚を売る下品な娼婦なのです!

あなたはその女に誑かされていらっしゃる。

なぜ、わたくしではないのですか!?

わたくしならば、あなたに富も権力も、名声だって与えて差し上げられるのに!」

一気に捲し立て、彼女は言葉を切る。

息が続かなくなったのだ。

肩で荒い息をしながらも、ギラつく視線は愛する男から離れない。


「君の祖父といい君といい、少しは礼儀を弁えてはどうだろうか。」

ため息混じりに彼は続ける。

「富、権力、それから名声と言ったか。

そんなものに興味はない。無論君自身にもだ。何度言えば理解出来る?」

「いいえ!あなたは騙されているのです!あ、あなたを救えるのは、私だけだわ。お願いだから、正気に戻って。そう、そうだわ、その女さえ…」

ゆらりと、骨ばった身体が立ち上がる。

背後のドアにもたれるようにして。

ともすれば、ズルズルと崩れ落ちそうな体を持ち上げながら、ギラつく視線は、相手を射殺しかねないほどの憎しみを湛えて、ライバルに据えられている。

「なぜ、わからないの?神原さまにふさわしいのは、私。この私だけ。私の母は、リマノ貴族出身なのよ?あなたのような下賤な泥棒ネコは、さっさと立ち去りなさい。身の程を知るといいわ。さっさとお下がり!」

呪詛のような言葉を吐き散らしつつ、大きくふらつきながらも彼女は、一歩、また一歩と歩みを進める。

愚かで浅ましい姿だが、妃は彼女に憐れみを覚えた。


このひとは一体、どこで間違ってしまったのだろう。

愛したこと?

出会ってしまったこと?

ロッシの令嬢の言う愛は、私の思うそれとは全く違っているけれども。

 もし、立場が反対だったら?

龍ちゃんが、誰か他の人をあんな風に抱いている場面を見てしまったら、私はどうするんだろう?

そう思うとやりきれなくなる。

目の前の幽鬼めいた女の感情が伝わってくる。遮断しなければならないのに。

悲しみと嫉妬。裏切られた思い。

ショックが心臓を刺し貫き、身体中の血液という血液が泡立ち逆流する。

世界の全てが、自分に敵対しているかのような疎外感。


「少尉。」

突然、紫の宮が呟くように呼ぶ。

「御前に。」

言葉に続き、ゆらりと空間が揺れた。

隠形を解いたバルト少尉が、床に跪き、主命を待っている。

「侵入者を捕縛せよ。」

「御意。」

捕縛と言っても、必要なのはストレッチャーと医療だろう。ストレッチャーは少尉によって、既に廊下に準備されていた。

「ボク、出来るペットだもん♪」

少尉の謎の呟きと共に侵入者は手際よくストレッチャーにベルト固定された。

彼女とて、大人しくそうされたわけではない。掠れた叫び声を上げつつ、身体状態の悪さからは考えられないほどの怪力を発揮して暴れようとした。

少尉でなければ捕縛までに彼女自身が怪我をしたであろう勢いだが。

「手足の運動機能を遮断したか。」

そう論評したのは、ストレッチャーを運び入れた黒の宮だ。

「器用な真似をする。微調整が大変だろうに。」

「恐れ入ります。」

少尉は一礼すると、主君に向き直った。

「陛下、妃殿下。カリス特別捜査官には連絡済みです。まもなく到着の頃合いと存じます。証拠品は、パックしました。」

証拠品とは、あの妖物の死骸である。

「よくやった。」


その夜の残りは慌ただしく過ぎて行った。

事情聴取、現場検証自体はさほど時間がかからなかったのだが、色々と調書に残せないことが多過ぎて、その擦り合わせに時間が必要だった。

月の宮は、治外法権である。

それでなくても、侵入者の目的が何だったのか、盟主と正妃がそこにいたのかいなかったのか、などなど、争点は山積みだ。

「どうせ、調書作んの俺だよ。おまえ、ハナから俺に丸投げする気だっただろ!」

と、いささかキレ気味のカリス特別捜査官の捨て台詞で、慌ただしい夜が終わったのは、朝焼けの頃だった。


「何か、疲れちゃった。」

ベッドでポツリと妃が呟く。

彼女の夫はベッドサイドの椅子で、酒を舐めながら調書のチェックをしていた。

エド・カリスは優秀で、まめな男だ。

捜査は、いくらか進展していた。

クルトら少なくとも4名の被害者の殺害を計画したのは、ロッシの孫娘で間違いなさそうだが、まだ解明されていない点が多すぎる。

被疑者の回復を待って聴取は再開されるだろうが、果たしてどこまで真相が解明されるかは疑問だった。


ビューワーを消して彼は妻に向き直る。

「何かが起きている。ロッシの孫娘の件も無関係ではなかっただろうが、もっと厄介なことがありそうだ。」

「厄介なこと?」

「六芒星。エドが色々調べた。叔父上にも意見を聞いてみなければな。だが、その前に。…疲れただと?お前は、本当に俺を煽るのが上手い。」

「も、もう朝だよ!何をするつもり?」

「続きに決まっているだろう。」

「正気?」

「至って。こら、逃げるな。出勤までまだ時間がある。では楽しもうか♡」


何を考えてるかなど、聞くだけ野暮だと彼女は知っていた。

身も心も溶かされ翻弄される、容赦ない時間がまた始まるだけのこと。

一番不条理なのは、彼女もそれが嫌いでないという事実なのだが。


夜明けの最初の光が、ゆっくりと月の宮を照らして行く。






 

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