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月の宮異聞  作者: WR-140
21/109

招かれざる客

数時間後。

真夜中の月の宮である。

忍びやかな気配が庭園から石回廊、そして建物へと、ゆっくり流れていく。

それは川霧とともに、霧より密やかに移動して行った。

何者かの意識とともに、気配は霧に溶け闇に触手を伸ばす。

 ココジャナイ・・

それは、音にならない言葉。

ほんの僅かな霧が、ドアの隙間から室内に侵入して、また音もなく去る。

静かに。気配も残さず。

室内には1人の青年。赤い目をした学者が膨大なデータと格闘中だった。

彼にとって幸いなことに、霧に潜む何者かにとっては、目当ての者ではなかったらしい。


霧はゆっくりと廊下を進む。

別のドアだ。

赤毛の若い娘が、ベッドで眠っている。

赤い目の青年の時とは異なり、霧はベッドの横まで忍び入る。音もなく。

霧は密度を増し、ベッドサイドにぼんやりした像を結んだ。

それは、人影のようでもあり、霧で出来た柱のようでもあった。

 メザワリダ。コンナオンナガ、ナゼココニイル?

霧から、突如腕が生えた。

細く筋ばった腕は、女性のものと見える。

しかし、手首から先は異様だった。

男の手よりもはるかに大きな手。

骨としか見えない、長い五指の先には、5本の黒いかぎ爪が生えている。

禍々しい光沢を持つ爪が、毒蛇の素早さでベッドに伸びた。

だが、それは、眠る少女に到達することは出来なかった。

パチン、という音とともに、弾かれるように手が引かれる。

 エエイ!イマイマシイ!

月の宮職員に支給される護符が、効果を発揮したのだ。市販品とは、比べものにならない品質である。

霧は一時だけその場にとどまったが、形が揺らぐと同時に希薄化し、ドアに吸い込まれるように立ち去った。


「あ…」

半ば開いた唇から、切ない吐息が漏れた。

体力には自信があったが、悔しいことに、彼の相手をするには全く足りない。

彼女の血が彼にとって万能回復薬となるのと同じく、彼の体液は、彼女にとっても強力な回復効果を発揮するのだが。

昼間の浄霊のため、失った体力はとっくに回復していた。

しかし、今夜の彼は執拗だった。

「だめ。お願い、もう許して……」

「まだだ。」

笑みを含んだ声音。彼女の本気の哀願を、美しい音楽のように愛でつつ、一向に行為をやめる気配はない。

明かりを落とすことも許されない。

彼女の血を欲するわけでもなく、まるで彼女に体重などないかのように滑らかに体位を入れ替えつつ。

「まだ足りない。俺にはまだまだおまえが足りないんだ。」

しなやかだが、強靭な筋肉は、完璧なバランスを持って配置された芸術作品だ。

長い手足、優雅な肩から背中にかけてのラインは、引き締まった腰へと続く。

それは肉食獣のエレガンス。

帝王の衣装よりゴージャスな裸身。

その胸に抱かれた彼女は、まるで嵐に翻弄された、可憐な花の風情だ。

今にも崩折れそうな、華奢な肢体。

汗で乱れた長い黒髪が頬に、額に、剥き出しの肌に絡みつく。

濡れたまつ毛に縁取られた、潤んだ瞳。半ば開かれた、柔らかく甘い唇。

切ない吐息。上気した頬。

しがみつくように、男の背に回された手の指は細く、折れそうにしなっていた。


ふと、彼女の動きが止まる。

何か言いかけたその唇は、唇で塞がれた。

次いで、耳元で囁かれた言葉は、日本語だった。

「れいな、続けるぞ。」内緒話モードだ。

彼女は、返事の代わりに、彼の首に軽く歯を立てる。

「れいな」は、彼女の、女優としての芸名だ。すなわち、演技開始の合図である。

観客は、既に室内にいた。

あの、霧に潜む何かだ。

ドアの前に佇む、朧な影。

宮への侵入は、人間以外の住人と巫女姫にとって、先刻承知の事案だった。

目的を知るため、あえて泳がせていたのだが、どうやら、侵入者は目的地に到達したと見える。

だが、それは動かない。

ドアの前で、濃い霧が凝って、ぼんやりした人型となったまま、微動もしないのだ。

「意識は二つね。ショックと、欲望?」

睦言を交わすかのごとく甘い口調だが、内容は情報伝達である。

彼女が読み取った、侵入者の感情だ。

「対象はわかるか?」

「龍ちゃんかも。知り合い?」

「自称知り合いが多すぎてな。」

「片方は女性だよ。茶色のロングヘアで、青い目。背が高いわ。すごく痩せてる。あんなに痩せてなきゃ、綺麗な人ね。」

後ろから抱きすくめられ、愛撫で自由を奪われつつ、まるで熱烈な愛の言葉を囁くごとく、彼女は続ける。

「渇望。…血、かしら?この色は。」

「ふむ。」

彼の手が、彼女の長い髪を梳いて、その首筋を露わにした。

頚動脈のあたりで素早く一閃する指先。

溢れる、ルビーの赤。

傷口は唇で覆われたが、一筋の血が白い肌を伝い流れた。

血にまみれた唇を割り、舌が独立した生き物のように、流れる血液を舐めとる。

無惨でありながらも、あまりにも美しく、官能的な光景だ。


「来るぞ。」

甘い囁き。

その刹那。

霧の彫像がふたつに裂けた。

大蛇?それは、獲物に飛びかかる、毒蛇そのものの動きだった。

激しく、素早く、禍々しい。

それは、容赦ない飢えと渇望。

捕食者は、牙を剥く。

霧の一部であったはずのそれは、今や確かな黒い実体だ。

飢えたアギトは、稲妻の速度で宙を疾る。

一直線に。餌食の白い首へと。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

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