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月の宮異聞  作者: WR-140
18/109

公私の私

ところ変わって、月の宮の浴室である。

妃の私室に隣接する設備で、寝室側からも出入りが可能だ。

浴槽にはブリュンヒルデ妃。

傍の椅子には、専属侍女サーニ。

いつもなら、妃は自分で全てを行うので、サーニが入浴に関わることはないのだが、

今日の妃は非常に疲れた様子だったのだ。

午後半ば、バルト少尉に付き添われて帰って来た彼女を見て、サーニは驚いた。

朝の出がけには、黒猫を一匹だけ連れて、踊るような軽い足取りで、宮を後にしたはずだ。

それなのに帰った時は、少尉に抱えられるようにして歩き、顔色もあまりよくはなかった。


「それにしても、信じられません。」

「何のこと?」

「少尉です!姫さまの入浴のお世話をしようとするなんて!」

「ああ。でも、初めてじゃないのよ。カイは着付の技術も完璧だから、手伝って貰うこともあるわ。それに、私には、彼はドラゴンにしか見えないの。何か不都合があるかしら?」

そういうものなのだろうか。

サーニにとっては、少尉は人形みたいに無表情な、人間の男性にしか見えない。しかし、妃の能力ならば、彼の擬態を透かして本性が見えるのだろう。

この、妖精のような人の着付けや、入浴のお世話をするドラコン?

アリかもしれない。

それはそれで、神話の1ページを描いた絵画そのものだろう。

だがしかし、そのジャンルは、時々18禁の世界に繋がっているのでは?


異類婚姻譚って、好きな人は大好きよね。妄想を広げやすいのかしら?

唐突に、リューの顔が浮かんだ。

ナイチンゲールに変えられていた彼。

それで、嘴にキスしたら人に戻って・・

あの、唇の感触って・・ああっ!

ダメだわ!そんなこと、思い出してちゃいけないでしょ、サーニ!

今は仕事中なのよ?しっかりしなきゃ!

何で思い出しちゃうんだろう?

私ってまさか、世間でいうスキモノ、とか、痴女なのかしら?

そんな!でも、ひょっとしたら?


「サーニ、あなたって…。」

ハッと我に帰る。

入浴中の妃と目が合った。

「な、な、何でしょう、姫さま?」

「面白い!見てて飽きないわ。」

目を輝かせつつ、くすくす笑う彼女は、帰ってきたときよりは、かなり回復したようだ。

目の下のクマが薄くなり、頬が上気して、漆黒の長い髪とのコントラストは、さすがの美しさである。

「それで、サーニ、彼とはどう?」

そう聞かれた。一瞬で、サー二は真っ赤になってしまう。

「ど、どうと仰られましても。」

それから言葉が続かない。

「ふうん。好きなのね。」

妃は、にっこりと笑う。優しい笑顔だ。

そ、そうだったわ。

姫様に感情は隠せない。

サーニはさらに狼狽えそうになる。

慌てて話題の転換を図ってみるが、咄嗟に何も浮かばず、仕方なく臨時ニュースに頼ることにした。

「そ、それより、陛下が緊急会議を召集されたとか。一体、何事でしょうか?」

少し前、携帯情報端末に入ってきた臨時ニュースだ。

「あ…それ、ニュースになってたの?」

「?はい。速報で流れていました。詳しい内容は分かりませんが、あの、どうかされましたか、姫さま?お顔の色が。」

明らかに青ざめた妃。

苦し紛れの話題転換が期せずして成功した形である。

妃は小さく何事か呟いた。

やらかしたわ、と聞こえたが、サーニには意味不明である。

「はい?あ、あの、姫様?」


「やらかした自覚はあるんだな?」

突如、2人の頭上から降ってきた、静かな声。

「龍一さま。」

サー二は慌てて立ち上がり、一礼する。


え?ドア、開かなかったわよね?

それに、こんなに早い時間に戻られるなんて、会議はどうなったの?

頭の中は?だらけだ。

妃のいつにない沈黙も気になるが…。

とにかく、まずはご挨拶。

「お帰りなさいませ。」

「ただいま、サーニ。さて、どうするんだ、千絵?記者会見でも開くか?」

バスタブの縁に座って、彼は手にしたタオルで彼女の長い黒髪を包んだ。軽く叩くように水気を拭き取っていく。いつもそうしているように、手慣れた仕草である。

「龍ちゃん、お仕事は?」

「今日はもうやめだ。誰かが、とんでもないやらかしを仕出かしたからな。

サーニ、あとは俺が引き受ける。もうさがっていい。」

実質的に命令である。サーニは一礼して、浴室から退出した。


妃の様子が気になるが、一介の侍女ではどうすることも出来ない。

各室の点検作業を機械的にこなしながら、首を傾げる。

会議の召集は、姫さまと関係があるってことかしら?やらかし、って?何かわからないけど、あまり穏やかじゃない。

龍一さまが、お仕事を切り上げるのも、滅多にあることとは思えないけど。

何かよくないことでも起きたのかしら?

考えても仕方ない。ため息をついて、彼女は次の仕事に向かった。


「何故だ?」

至って静かな声である。が。

「怒ってる?」

「そうだ。」

しばしの沈黙が流れる。

バスローブ姿でベッドに座った妃と、向かい合った椅子に座る紫の宮。

「会議はどうでもいい。対外処理をするのは、俺の仕事だ。だが、約束したな、無茶はしないと。約束を破るのは、何度目か覚えているか?」

「公私の、私ってこと?」

「そうだ。」

「ごめんなさい。心配かけて。」

「ほう?しおらしいフリは出来るんだな。だが、また繰り返すんだろう?ん?」

「だって。」

「放っておけなかった、と?」

妃は、こくりと頷く。子供のような仕草。

男の長く力強い指が、黒髪の一房に絡んで、それを弄んだ。

「事態を知って、心臓を刺されたように感じた。頼むからもう勘弁してくれ。」

「ごめんなさい。」

「言葉はあてにならない。お仕置きが必要だろうな。おっと、逃げるな。」

反射的に身体を引こうとして、彼女は逆に彼に引き寄せられ、その膝に抱き上げられた。髪をかき上げる感触に続いて、うなじに唇が触れる。背筋に、悪寒に似た戦慄が走った。

「どうして欲しい?朝まで、時間はたっぷりある。」

耳元で囁く声は甘くて滑らかだが、隠しようもない欲望に濡れている。

同時に彼女は、彼の恐怖も感じていた。

切ないまでの執着。

そして、身体を引き裂いてもなお癒されないであろう、深く果てしない悲しみ。

かつて、瀕死の彼女を見つけた時の、彼の絶望の記憶。

それに触れたら、彼女には何も言えなくなってしまう。無鉄砲で軽率だったのは、確かに自分の落ち度だった。

そのせいで、彼をあんなにも苦しめてしまった。謝って済むことではない。

だけど。

「卑怯だわ、あなた。」

「そうだな。」

笑みを含んだ声。背後から抱きしめられて身動きがとれない彼女の、バスローブの合わせから、彼の手が忍び込んだ。

触れられた素肌が熱い。

出そうになる声を抑えるため、唇を噛む。

「以前も言ったろ。俺は卑怯な男だし、お前を側に置くためなら何でもする。」

そのためになら、彼女の罪悪感をとことん利用することも、彼にとっての必然だろう。

全身全霊を持って、彼は彼女を求めている。

そのことがはっきりとわかる。わかってしまう。どうしても拒めない。

なぜなら、彼女もまた彼を求めているから。

あらわになった方の肩に、唇が触れた。のけぞるあごを、彼の指が掴んで、顔を横に向かせる。

そのままキスされ、同時に、喉を焼く液体が口移しされた。強い蒸留酒の香りが彼女の鼻腔を満たす。彼女は、アルコールが苦手だ。それを知りながら強い酒を飲ませた理由は…。


「卑怯者!」

「それは褒め言葉だな。アルコールは感覚を鈍らせる。こうでもしなければ、お前はすぐに気を失ってしまうから、俺が十分楽しめないんだ。さて、覚悟はいいかな?」

返事はできなかった。尋ねた本人が濃厚なキスで唇を塞いだせいだ。

まだ、陽が落ちてさえいないのに。


夜はまだ始まってもいないのに・・・。


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