公私の公ってなんだろう?
「おーい、まだ食うのかよ、千絵ちゃん?大丈夫なのか?」
司法機関エリアにはいくつかの飲食店がある。
今3人がいるのは、そのひとつ。この界隈ではレビューがまあまあいい方だ。
もっと評価の高い店や、エドのおススメ穴場とか、いろいろな地方の料理に特化した店などもあったのだが、人型に変化したバルト少尉は、
「とにかく、一番近いところで。」
と、譲らず、現在に至る。
ぐったりした妃の様子には、エドも少し慌てたのだが、目の前に料理が並ぶや否や、猛然と食べ始めたのには呆れた。
どこにそんな体力が?
少尉に支えられなければ、マトモに歩けもしなかっただろーが。
いやそれより、次から次へと消えていく料理の数々は、どこへ行ってしまったか?
このほっそい身体に、そんなスペースがあるわきゃねーし?
思わず、テーブルの下を覗いてしまった。
「そんなところに何もないですよ。」
面白くもない、という表情で、少尉に切って捨てられたが。
「聖力の行使は、消耗が激しいんです。それはご存知だったでしょう?」
エドはかつて、彼女が迷える魂を昇天させた現場に立ち会ったことはある。
その時は、説明されても、何が起こったか理解出来なかったが、彼女がひどく疲れた様子だったことは覚えている。
「ああ。だが、ここまでになったのは初めてだな。一体、あそこで何があった?」
「姫は少し、無茶をなさいました。」
少尉が遠い目で答えた。エドは嫌な予感しかしない。
「ま、まあいいや。頼むからそれ以上言うなよ。なんか、俺は知らない方がいいような気がするぜ。」
「賢明な判断です。」
彼女は元々、死者の声を聞くことが出来たし、死者の行くべき道を示すことも出来たのだが、真の意味で結婚して以来、能力が桁外れに強くなっているのだ。
『ご主人様との体液の交換に原因があるのかなあ。あの人、サディストだし、やることはほんと鬼畜だもん。普通さ、自分で育てた姫に、あんなことやこんなこと、できないよねー。
それ、完全に犯罪ですってば。
でも。今日のは姫が無茶苦茶だった。昇天した死者は、推計1万5千か、多分、もっとだよね。しかも、えらく凶悪なのがいっぱいいたし。
そりゃね、ボクにはどうせ、姫を止めらんなかったけどさあ。そんなの、ご主人さまだって最初から織り込み済みでしょ?
ご主人さまでも止められない姫の暴走が、ボクごときにどう出来るっていうの?それなのに、コレがバレたら、ボクが昇天させられちゃうかもなんて、理不尽じゃない?
ううっ。できれば、ひと太刀でお願いしたいですう、ご主人さまあ!』
内心は涙目の彼だったが、外見上は、まるで作り物のようなクールな表情のままだ。
たまに、人型ロボットかアンドロイドに間違われるので、見た目に不自然さがあることは自覚している。
人型の擬態は、あまり得意じゃない。
感情の表現なんて、絶望的に下手くそだ。
「おお!やっとか!」
エドの嬉しそうな声に、少尉は我に返った。彼の女主人は、両手を合わせて、ご馳走様、と呟いている。
顔色や肌のツヤは回復したようだが、まだ疲労がはっきりと見てとれた。
これは、確実にバレる。
というか、既にバレていると見た方がよいだろう。
カイのご主人は、あれでも最強の神族なのだ。一瞬にして相転移を起こした、1万5千もの魂の波動に気付かないはずもない。そんな現象が起こるのは、何らかの攻撃とか天災で、一瞬で膨大な人命が失われたようなレアケースのみだが、リマノに関してはほぼあり得ない。
惑星規模の地殻変動や気候の制御、テロ対策、多数の衛星による、リマノ防空管制は、全てAIラグナロクの直接制御下にあり、そのモンスターがマスターと認める3名のうちの1人が、当代盟主である。
つまり、天変地異だろうが、テロあるいは戦争だろうが、軍部が把握するより早く察知できるはずだ。
あー、詰んだわ、これ。
ドラゴンは諦めが肝心、だよねー。
わかってたさ。完全にバレるって。
短い人生、じゃなく、竜生だったな。
クールな表情で放心中の少尉の前で、残る2人は、クルトから聞き出した情報を分析していた。
放心状態ではあるが、少尉は防護障壁と、遮音障壁を維持し続けている。
腐っても、リマノ士官学校を首席で卒業した、近衛の情報将校なのだ。
が。
彼の無表情に、亀裂が走った。
表面上は、瞼がぴくりとした程度の変化だったが、同時に彼の女主人が、唐突に会話をやめた。
「ん?どうした?」
エドが彼女の異変に気付き、次いで、少尉の緊張にも気づいたようだ。
「一体何が?」
沈黙した2人を交互に見ながらエドが困惑していると、突然、少尉が床に降りて跪き、同時に障壁が遮光タイプに変化する。
あー、こりゃ、アイツだわ。
だが、なんかヤバそうな予感だぜ?
エドか悟ったとき、障壁の一部が白く光った。光は一瞬で消え、障壁内に忽然と1人の男の姿があらわれる。
全員がよく知る人物だが、その着衣は、エドにとって初めて目にするものだった。
うわっ!や、やべーわコレ!
反射的に身体が動く。気がついたら先に跪いた少尉の後ろで同じように跪いていた。
理屈ではない。白い簡素なローブを纏い、あの有名な〈盟主の仮面〉を付けた長身の人物は、エドのよく知る男でありながら、全く見知らぬ誰か、決して逆らえない何者かでもあった。
「陛下。正妃がご挨拶致します。」
この上なく優雅な仕草で妃が一礼した。盟主は軽く頷いたが、仮面に隠された表情は読めない。
「少尉。」
感情が読めない、冷たい声。
うーわっ!ご主人さまお怒りだ。
バルト少尉が、さらに深く頭を下げる。
「御前に。」
「報告を。」
「御意。」
遺体安置所での出来事を、簡潔に述べる少尉の報告に、エドはギョッとした。
『1万5千って?え?なんだそりゃ?待て待て待て!安置所の遺体はせいぜい5千だよな?』
彼は、あそこで何かが起きたことは何となく察していたが、実際の数字は想像をこえていた。
「釈明は?」
冷たく滑らかで、いつ聞いてもゾッとするほど美しい声が、彼の妃に向けられた。
が、彼女は昂然と顔を上げた。
「ございません。」
「在リマノ大使館の80パーセントから、異常現象についての問い合わせが来ている。3大宗教のトップからも連名で。司法省、国防省、連邦議会その他からもだ。」
カイとエドは、内心冷や汗をかいていた。
とんでもなく大ごとになっている。
それは確かだった。
や、やべえ。俺は何も知らねーぞ!
そ、そりゃ最初にハナシを持ってったのはオレだけど、彼女を巻き込んだのはてめー自身だろーが!
やっぱこうなるよね。知ってたけど。痛いのは嫌だなあ。また、かつらむきにされちゃうの?ボク、美味しくないよお!
2人とも内心、冷や汗どころでは済まなくなっている。顔を上げる勇気すらない。
ひとり盟主正妃のみが、真っ直ぐ盟主を見て、動じなかった。
「みなさんをお騒がせしたことは、お詫びします。ですが、私は間違ったことはしていません。あの場所の地下深くにあれほど多くの方々が埋められていたのに、どなたも対処されなかったのは、何故なのでしょうか?私は、その方々の希望に沿って、出来ることをしたまでです。」
堂々たる主張である。
「状況はわかった。会議を召集したので、その場で各方面へ説明を行う。少尉、妃を頼む。」
「御意。命に変えましても。」
来たときと同じく、盟主は唐突に立ち去った。
「えっと、つまり何だ、お咎めなしってことでいいのか?」
「公私の公、はこれで終わりです。貴方には落ち度なんかありませんから、元々処罰対象ではないですよ、特別捜査官。」
「それ、最初に教えとけよぉ!冷や汗かいちまったぜ。けど、何であんな場所に死体が?多分だが、相当古い話だろ?」
「700年前、ですね。未知の疫病で、リマノのあちこちに死体の山が築かれ、生き延びた人々も、埋葬する余力がなかったらしく、遺体はどんどん増え続けたそうです。
病原体は突き止められたものの、対処法が見つからず、感染拡大の原因とならないように、当時のリマノ第一病院の敷地内に深く巨大な穴を掘って、数万の死者を投げ入れざるを得なかったといいます。」
「あの辺りに数万か。とんでもねえなあ。そりゃ、迷いもするだろうぜ。」
暗い地の底、見知らぬ他人と折り重なって放り込まれる人々。
それはぞっとする光景だったことだろう。
「かなり凶暴化したモノも居ましたね。
それをですね、ウチの姫ったら!
ねえ姫、ほどほど、とか、無理のない範囲で、とか、そういう言葉、知ってます?」
「あーら。とことん付き合って、守ってくれるんでしょ、翼の騎士さん。今日だって、周囲に被害が出ないように、シールドしてくれたし。感謝してるのよ。」
「またそうやって開き直るんだから。ボク、そのうち陛下に殺されそうなんですけどね。さてと、本題に戻しましょうか。」
「賛成だ。で、被害者のクルトだが、結局殺人犯を見てはいないと。ただ、彼の血を吸っていたのは、女だったってことでいいんだよな?」
カイは頷いた。彼は、エドと違い、クルトの証言を直接聞くことができる。若い金持ちの女性、とクルトは言っていた。
特定に繋がるような、ホクロとかアザはなかった。目や髪の色もあいまいだ。
彼女と会うときはいつも、意識がぼんやりしていたという。
まるで夢の中にでもいるように。
吸血鬼が絡むと、だから厄介なのだが。
ただ一つ、手がかりらしいもの。
それは、クルトが殺人犯に首を切り裂かれた時、その短剣の柄に彫られた、六芒星の意匠だった。
次回水曜日です。
よろしければまたお付き合い下さい。