死者たちの声なき声
「クルト・キムアク、男性、26歳2カ月。リマノ出身、商社勤務。仕事ぶりは真面目そのものだったそうだが、遺体で発見される6ヶ月前あたりから、様子が変わった。
思い詰めた表情、食欲減退、気分がころころ変わる、無断欠勤。その頃からストーカーっぷりがエスカレートしてったんだろうな。そして、こうなった。」
エドは、醒めた目で遺体を見下ろした。
かなり広い、四角い部屋。
白っぽい間接照明。
装飾は何もなく、天井まで届く可動式の金属リフトと、小さなコンソールボックスが寒々しい印象を強調している。
見上げるばかりに高い三方の壁には、全面にタイルのように整然と並んだ、四角い引き出しがあった。
その一つ、床から数えて2段目が手前に大きく引き出されていて、エドと盟主妃はそれを覗く形で床に立っていた。
引き出しの奥行きは凡そ2メートル。
透明なカバーがすっぽりと遺体を覆うようになっていて、臭気などは感じられない。
エドが言った通り、遺体の状態はよくなかった。
欠けた部分が多すぎる。というか、ここに収容された部分が少な過ぎた。
重さは全部で5キロ程度だろうか。生前中肉中背だったとすれば、1/10以下しか回収出来ていないことになる。
「食い残しなんだ。マディラ街の裏路地に捨てられた死体は、早めに見つかっても大抵こんな具合になる。」
マディラ街は、スラムの地下にあり、同じく地下にある歓楽街と接している。
別名、スカベンジャー街。屍肉食いの妖獣が徘徊することで悪名高い。
ただ、そこにいる妖獣達は、生き物を襲わない。
これに対して、地上のスラムの中心部分、廃墟が連なる直径3キロほどのほぼ円形の区画に徘徊するモノどもは、生き餌しか食べない。
こちらは物騒過ぎて、立ち入りが全面禁止されているのだが、物見高い人間や、廃墟で手に入るお宝を狙って、あえて侵入を繰り返す、自称冒険者の類いは引きも切らない。
スラムにしてからが、当初危険なエリアと安全なエリアとの堺に設けられていた空地に、いつのまにか怪しげな連中が住みついたのが起源なのだ。
結局、スカベンジャーも捕食者も、人間とある意味で共存しているとも言えた。
それがリマノなのだ。
「金のない連中は、スカベンジャーに身内の遺体を処理してもらうことがあるんだ。葬儀や埋葬費用はバカになんねえからな。宗教上の理由からそうする場合もあるし、それなりの作法もあると聞いてる。
作法に従って、3昼夜放置すれば、遺体はかけらも残らねえ。
が、この遺体の場合は、そうじゃない。
ただ無造作に放り出されていただけだった。だから、近所の住民が届け出たんだ。彼らにとっちゃ、迷惑な話だからな。」
話しながら、エドは背筋にゾクゾクする感覚が忍び寄るのを感じた。
それを忘れたいがために、言わずもがなの解説を喋り続けていたのだ。
彼には、いわゆる霊感はない。
ないが、その手の話には滅法弱い。
相手が生きた人間だろうと凶悪な魔獣だろうと、微塵も怯まないエド・カリスだが、死んだ者だけはどうにも苦手だった。
そして、この巫女姫は、その分野にめっぽう強い。
自分の目に見えないものを信じることが苦手なエドだったが、彼女が死者と生者を繋ぐことが出来ることは信じていた。
彼にとっては不本意ながら、信じるというより、知っている。つまり、単なる信頼ではなくて、確信している。
彼女は、死者の声を聞く。
この、漂白したように無機的な光に照らされた、うすら寒い場所は、一体、彼女にはどう見えているのだろう。
思わず、周囲を見回してしまう。
何も異常なものは見当たらないが、肌が粟立つ。
ま、気のせい、ってヤツだよな。
廊下とかより、少し室温が低くなってるんだろう、うん。
そうに違いない。そうしとこう。
無意識に自身の腕をさすりながら、空調のせいにしてみた。
あーあ。
と、黒猫カイは、落ち着かないエドの様子を眺める。
これって、見えてなくて幸せなんだろうなあ、たぶん。
見えるようにしてあげられるし、きっと捜査の役にも立つんだけどさ。
でもぉ、そんなことしたら、きっとボク、一生恨まれるね。やめとこうっと。
エドにとって実に幸運なことに、これはカイにしては良識ある判断だった。
黒猫は、改めて周囲を見回す。
壁の3方向は、それぞれ180の引き出しが設置されていて、この部屋だけで540の遺体の収容が可能だ。
そのほとんどが埋まっていることを、カイは見てとっていた。
何故ならば。
三方向の壁一面に、天井までびっしりと、死者たちの姿が並んでいたのだから。
さっきのカイの思念波に従い、彼らは依代である生前の肉体の存在する場所へと整列しているのだ。
好きでそうしているわけではない。
恐怖に動けないでいるのに近い。
ただ、死者たちの感情は、生者とは違う。
彼らはただ粛々と、まるで昔の集合写真みたいに、何段かに別れて並んでいる。
ある意味壮観だが、楽しい見ものとは言い難かった。
ほとんどは、もと人間のようだった。
ようだった、というのは、その遺体の状態とか死に際の状況のせいで、現在の見た目が千差万別だから。
欠けた人体パーツ。着衣を染める、大量の赤いシミ。
膨れ上がった舌。黒ずんだ皮膚。
ねじれた四肢、飛び出した眼球。
更に、一部の死者たちは、そもそも人の姿でさえなかった。
彼らはしかし、ある渇望を込めて、一様に盟主妃を見つめていた。
それは憧れであり、嫉妬にも似た強い執着であり、救いへの願いでもある。
ここにいるものの大半は、いわゆる非業の死に見舞われた死者だ。
突然の暴力、多くは他者の悪意によって、理不尽にも人生を中断された者たち。
混乱し恐懼し、未だに自分が死んだことにすら気付かない者もいる。
彼らには巫女姫の姿が、一筋の清らかな光として認識されているのだ。
そして彼女は、彼らの声なき声を聞いている。
救いを求める、魂の叫びを。
死者たちは又、別の存在も感知している。
生者には小さな黒猫にしか見えないソレだが、今の彼らにとっては雄々しく輝かしい白金の竜だ。
強すぎる光輝に目が眩み、恐怖のあまりすくみ上がるしかない強大な力の権化。
カイの立場からすると、無礼な死者たちが巫女姫を煩わせないように、ほんの少し牽制しているだけで、他意はない。
無論、逆らう者には容赦しないが。
巫女姫は、先ほどから1人の死者と、無言の会話を続けていた。
彼は最初ただ戸惑っていたが、今は落ち着いた様子だ。
身振りも交えて、会話に没頭している。
外見は、遺体の状態と違い、ごくまともな青年である。
死んでから喰われたわけだから、それは当然だろう。
黒っぽい癖毛と、明るい茶色の目。
着衣までが実直そのものだが、柔らかそうな色白の頬と口元には、繊細な感性も見てとれる。
あなたは、ロマンチストなのね。
彼は、ロマンス向きではないけれど。
軽い胸の痛みと共に、彼女はそう伝えた。
神原龍一という人物に魅入られて、破滅した人と会話するのは、初めてではない。
青年、クルト・キムアクは少し俯く。
ー分かっていました。
ーだけどあの人は、あまりに美しかった。眩しくて、近くで直視することも出来ないくらいに。ただひと目、遠くからでも見られたらと、それしかもう…
クルトは泣いている。
生者の嘆きより、純粋な死者の嘆き。
なぜ、人はこうも簡単に恋に堕ちるのだろうか。
ただ、出会ってしまったから。
そこにその人がいたから。
万に一つの望みさえないことがわかっていても、恋を諦めるなんて出来なかった。
巫女姫は、死者の声を聞く。
これまでも、これからも。
更に必要な情報を聞き終えた後、彼女は、彼に軽く触れた。
ーああ!感謝します、姫さま。
その声なき言葉と静かな笑顔を最後に、彼の存在は、この世界を後にした。
これが彼女の能力の一つだ。
仏教的にいえば、迷える者を成仏に導く力である。
彼らが何処へ向かうのか、彼女は知らない。
ただそれが正しい道であることはわかっていた。死者が長くこの世界にとどまれば、変質してしまうことは免れず、死者自身も苦しむし、周囲の生者にも負の影響を与えてしまうのだ。
それから。
奇跡が、爆発的に顕現した。
能力のある者は、驚愕を持ってリマノの空を仰ぐ。
行政区画、内宮の外れの一角から成層圏へと立ち昇った、巨大な光の柱を。
それは、聖なる導きの光であり、浄化の光でもあった。
それを見ることが出来た、様々な宗教の聖職者たちは、こぞって彼らの祈りを捧げた。
一部の高位能力者は、この奇跡が誰の力であるか、気付いていただろう。
彼らもまた、祈りをささげる。
声なき祈りと、死者たちの歓喜が、光を巡り辿って、遥かな高みへと昇って行った。
光が消えた時。
崩れ落ちる巫女の身体は、人間型のカイに抱き止められた。
「もう!無茶しすぎですってば!」
「ど、どうした?!」
全く状況を理解していないエドをちらっと見て、カイはため息をつく。
このまま、月の宮まで飛んでもいいが、それでは情報共有が遅れる。
幸い、彼女に意識はあるようだ。
「歩けますか、姫?」
「大丈夫。」
「それは重畳。さて、捜査官、この近くで、たっぷりした美味しい食事ができる場所をご存知ですか?」
「おう、そんなら任しとけ。行くぜ。」
事態は半信半疑だが、カイことバルト少尉が求めているものは明白だった。
ならば行動あるのみ。
建物から出しな、エドはふと振り返る。
妙に、空気が爽やかだ。
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