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月の宮異聞  作者: WR-140
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2人と一匹

「これが、最新の被害者のいる場所だ。」

リマノ合同庁舎、通称本宮の東北の外れに、司法関係の機関が固まるエリアがある。

警察本部の建物の地下に、犯罪が疑われる状況で亡くなった遺体を収容する施設があるのだが、今、エドと同伴者は、その遺体保管所の入り口についたところだ。

巨大都市リマノは、それ自体が迷宮である。

様々な場所からこの迷宮に引き寄せられ、迷宮に囚われて、非業の死を遂げる人々は数多く、身元を特定することが出来ないまま葬られる遺体も数多あった。

戦後の混乱はいまだ続き、ここには常に、万を数える遺体が収納されていた。


「一応言っとくが、あんま見てぇようなモンじゃねえぜ。その遺体はDNA照合で身元はとっくにわかってんのに、遺族が引き取りをためらってるせいで、まだこっから出られてないんだ。」

同伴者、神原千絵は、あっさりと頷いた。

エドには話していないが、こういう場所は彼女にさまざまなことを語りかける。

死者たちのざわめきは、既にうるさいほどだった。彼らとまともな会話は成立しにくいし、中には危険な存在もいるのだが。

彼女は、巫女。

人と人でないものを繋ぐ存在だ。

足元の小さな黒猫は、耳をピンと立てて、何かの臭いを嗅ぐようにヒゲを動かす。

猫がよくやる仕草。彼は今まさに索敵をしている。死者は彼の脅威ではないが、彼の姫君に纏わりつく五月蝿い羽虫だ。

こんな薄暗い存在どもが彼女を煩わせるなど、騎士としては断じて許さない。

 去レ。

静かな思念を、ごく弱いエネルギーの波に乗せて放つ。

潮が引くように、周囲の気配が遠ざかった。

浮遊していた死者たちは、生前の肉体にしがみつき、息を殺しているだろう。

最初から息はしていないが。

肉体が残っていなければ、どこまで行ったかは不明である。

死者だけではない。

半径数キロ以内に隠れ潜んでいた魔物や妖物の類は静かなパニックに襲われていた。

逃げ惑うモノたち。逃げることも叶わず、恐怖にすくみ上がる者ら。


 『露払い完了♪んー、地球のスーパーにこんな虫よけなかったっけ?置くだけとか、吊るすだけとかさ♡ボクって、優秀な虫除けグッズだよねー。』

やってることと考えていることの巨大なギャップなど、黒猫カイは気にしない。

というか、気付きもしない。

彼のお姫様はちらりと足元の黒猫を見下ろした。

 まあいいわ。この程度なら。カイにしては、常識的な範囲よね?

無言の攻防は一瞬で終わり、2人と一匹は、遺体安置所の建物に入った。


地球年齢と、リマノでの年齢は、偶然だが、殆ど変わらない。

つまり、彼女は今24歳で、故郷では子役時代から20年のキャリアを積んだ女優でもある。

エドは、横目で彼女を見るが、いつも納得が行かないのだ。

『ありえねー。どっからどう見ても、やっぱガキにしか見えねーわ。』


戴冠式のドレスは、古式にのっとったデザインで、つまり普通の体型の女性にとって、拷問級のコルセットなしでは、とても着られないシロモノだった。

しかも、露出度が高い。

だが、彼女はコルセットなしで、それを着こなしてみせた。小さな頭部と、スッキリ伸びた細い首。ありえないほど華奢な骨格にもかかわらず、蠱惑的で豊かな胸。滑らかな、磁器の如き肌。

露出した肩から鎖骨のラインは、おそろしいほど扇状的で、男の目を釘づけにしたはずだ。

長身の盟主と並ぶと、ハイヒールを履いていても頭一つ分以上の身長差があり、彼女のガラス細工のような繊細な顔立ちとあいまって、悲劇の巫女姫などという、根拠のない噂を独り歩きさせたのだろう。

盟主正妃とは、元々人類が神族への請託のあかしとして供与する、全てのものの象徴的存在である。

だからこそ、その女性としての魅力を殊更に強調するラッピング、つまり苦行のようなドレスと過剰な装飾品による、執拗な飾り立てが行われてきたのだ。

それは、今日に至るまで、歴史上暗黙の了解とされてきた。

生け贄の象徴という役割。


が、エドは知っている。

そもそも、当代盟主が即位に際して提示した条件こそ、妻である彼女の同行であり、側室を置かないことだったのだ。

盟主は、彼女を正妃としてお披露目するつもりもなかったのだが、これはさすがに元老院の強硬な反対にあった。

彼女が、サンクチュアリの神原家の巫女であるのみならず、内親王の称号を与えられている以上、格も権威もこれ以上の姫君は存在しないのが最大の理由である。

かくして、それぞれの都合を擦り合わせた結果、今の形に落ちついたのだが。


 何度見ても、別人だ。

エドは、改めて思う。

戴冠式の映像。それとは別に極秘ルートで目にした、彼女の主演映画のワンシーン。

映像記録の彼女は、凛とした気品に満ちながらもセクシーな、美貌の女優だったのだが、今エドの横にいる彼女は、まるで妖精だ。繊細で儚げ、夢みがちな少年達が思い描く、理想の美少女としか見えないのだ。


なぜこうなのか?

エドは、今日も悩む。

職業柄、精巧な特殊メークや変装術の類いは幾らも見てきたが、これは違う。

ここまで完璧に偽装されたら、検挙しようがないんじゃないか、と、根っからの仕事人間であるエドは、そこに危惧を覚える。


「チートとかじゃないもん。」

突然、彼女にそう言われ、彼は、呆気に取られた。

「あ、あの、オレなんか言ってたか?」

「ううん。私が読むのは、感情だけ。

でも、エドって、思考パターンが、すっごく分かりやすいから。

で、つまりうちの一族って、昔から短命な人が多かったんだけど、実年齢よりずっと若く見えるのね。龍ちゃんなんて、あれで42だよ。」

「ああ、知ってる。けど、それは神族だからじゃねえのか?」

実際、彼は20代前半にしか見えない。

その目を覗き込みさえしなければ、だが。

「まあ、レヴィ叔父様だって、外見は龍ちゃんと同じくらいに見えるんだけど。私たちには、その叔父様の遺伝情報が組み込まれてるから、若く見えるんだと思うわ。」

「え?そ、そうなのか?」

「…何引いてるのよ?」

彼女にじろりと睨まれて、エドはしどろもどろに言い訳を試みるが、形にならない。

彼女に、あの世紀の極悪人、いや、極悪神族の血が流れているなんて、初耳だった。

 だが、あり得る。

黒の宮と言えば、天才遺伝子工学者として史上名高い神族だ。

マッドサイエンティストの代名詞になっているくらいの存在である。

「叔父様と私は種が違うから、そのゲノム全てを読み込むことは出来ないの。でも、龍ちゃんなら出来る。それで、龍ちゃんは、お義父さまより叔父さまによく似てるって訳ね。」

「ってことはよ、黒の宮は、あの顔だってのか?」

「髪と目の色は違うけど。そうね、かなり似てるわ。」

「うわっ。ありえねーわ。そんじゃ、女なんて入れ喰いかよ。やりてー放題だったんだろうなあ。どこまで不公平なんだ!」


そんな雑談(?)をしながら、エドは更に二つのドアをくぐった。それぞれのドアには、認証システムのためのカードスロットや、テンキーパネルがついていたが、彼はそれらに触れることもなくフリーパスだ。

特別捜査官の肩書きは伊達ではなく、エドは、普通の司法警察員よりも、かなり高度なアクセス権限を保有している。

一握りのエリートとして、多くの警察官たちの憧れなのだ。

同時に、厳しい守秘義務も課せられ、彼の肉体と精神の情報は常に記録、分析されていた。

これには便利な面もあった。

わざわざIDを提示しなくても、情報アクセス権限の範囲内なら、フリーパスで通過出来るのだ。

犯罪被害者や、変死体の収容施設程度なら全く問題はなかった。

が、神原千絵と黒猫は事情が違う。

彼らは警察関係者ではない。

片方は軍人だが、彼はそもそも人間ですらないのだ。


「バルト少尉、その、あんたどこまでのアクセス権限を?」

「かなり上のほうですね。正確にはお伝え出来ませんが、ボクはご主人さま直属の情報将校でもあるので。」

黒猫は澄まして答えるが、実際にはそのアクセス権限を使うなどという面倒なマネはしていない。

電磁波を自在に操る彼の権能の前には、あらゆる電磁的セキュリティは無力なのである。

黒猫がその気になれば、リマノ中枢を麻痺させることなど一瞬だった。

その場合は、あのモンスターAIラグナロクと対決することになるのだろうが、化け物同志の闘いがどう決着しようと、とばっちりで失われる人命は天文学的な数だろう。

ここいらの物騒な事実を、エドは知らない。知らなくていい。

ただ、ちっぽけな黒猫には絶対に手を出してはならないことを、本能で悟っているので、それで充分。

黒猫は澄まし顔で、息をするより容易くセキュリティを欺く。

彼らの会話は記録されることはない。

監視カメラにその映像が残ることもない。

録画されるのは、エド・カリス特別捜査官の姿のみ。

そして、一行は、目的の遺体の前に到着した。

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