命短かし、恋せよ乙女
リューは、サーニの手を握ったままだ。
その目はどこまでも真剣で、サーニは彼から目を逸らせない。
彼女の戸惑いを見て、リューは何故か手を繋ぎかえる。
えっ!これって、こ、恋人つなぎ!?
人生初、というか、自分の一生で体験することがあろうとは思ってもいなかったイベント。
「ごめんね。君を困らせるつもりはなかったんだ。ただ、僕の正直な気持ちを知って欲しかった。それと、ちゃんとお礼が言いたかったんだよ。ここで君と出会えてなかったら、僕は永久にあの姿のままだったはず。妖物や魔物に取り込まれるって、そういうことなんだ。だんだん人ではなくなっていくが、自分ではどうしようもない。
だから、僕は毎晩、君を呼んでいた。
人間の言葉は既に失われて、僕には鳥の歌しかなかったけど、それでも君に届けたくて、必死だったよ。君に逢いたくてたまらなかった。レヴィ様が来られたとき、僕が正気を僅かでも保っていられたのは、君のおかげだ。だから、助けていただけた。」
「リュー…。」
「僕が完全に人間でなくなってしまえば、レヴィ様でもどうしようもなかっただろう。僕は、本来そうした現象の研究者なのに、ミイラとりがミイラだなんて、情け無いよね。
それで、あのさ。
こんな僕だけど、君を好きでいてもいい?
ずっと好きだった。初めて会った時から。
あ、誤解しないで。僕を好きになってなんて言わない。ただ、嫌わないでいてくれたら、本当に嬉しいんだ。駄目かな?」
真っ直ぐな眼差しで見つめられて、サーニは内心ため息をつく。
リューは、変わってない。
優しくて、思いやりがあって。
そして。
「あなたは、ズルいわ。そんな風に言われたら、私、どうしようもないじゃない?
だから、全部話すね。黙って聞いてちょうだい、リュー。つまりどういうことかって言うとね。」
家出の経緯。父から投げつけられた言葉と、父がやろうとしたこと。
ブリュンヒルデ妃を訪ねてここへ来て、なぜか幸いに就職出来たこと。
今の目標を話そうとしたら、リューに遮られた。
「待ってよ、そんな!だって、君の実のお父さんでしょ?
娘を売ろうとしたなんて!」
「ええ。貧すれば飩すってこと。
世間ではよくある話だわ。私にはとても受け入れられなかったけど。リューのご家族には、こんなこと、想像も出来ないでしょうね。でも、私にとってはこれが現実なの。他にもまだ色々あるわ。」
家計と学費の足しにするため、名前を隠してまで働いていたこと、そうして得た貴重な金銭も、父の目から注意深く隠さなければならなかったこと。父は、元々計画性なんてない人だから、目の前に金銭があればそれは自分のためのものと信じて疑わなかったこと、などなど。
話し始めたら、止まらなくなっていた。
リューにも、現実というものを知って欲しかったし、自分たちの境遇が、住む世界があまりにも違い過ぎていることを、改めて自分に言い聞かせたくもあった。
こうして口にしてみると、最低よね。
惨めだわ。何でこんなことになったのかしら。どこで間違ってたの?
リューに向かって話しながら、サーニはそんなことを考えていた。
父は、何を考えて生きてきたんだろう。
なぜ結婚して、私という子供を持ったの?
できるなら、父の子供になんて生まれたくなかったけど、仕方ないわよね。
母の顔は、記憶していない。
元々丈夫なひとではなかったと聞いている。子供を持つことも難しかったらしい。だから、あんなクズと結婚したの?
母は、幸せだったのかな。
一生の内で、幸せだと感じたことがあったんだろうか?
言いたいだけ言って、サーニは話を終えた。
恥ずかしいけど、惨めでもあるけれど、どこか爽快でもあった。
そう、これが私。リューに、私は似合わない。それをわかって貰えたらいい。
聞き終えて、彼は繋いだ手と、彼女を見つめる目に少し力を入れた。その表情は、輝いている。
「よく話してくれたね、サーニ。
君の父上が、君にしたことは許せないけど、感謝もしてる。だって、彼がいたからこそ、今僕の前に、君がいてくれるんだ。
サーニ、やっぱり大好きだよ。君じゃなきゃダメなんだって、改めて確信した。ごめん、僕は、欲張ってしまいそうだ。」
「何を言ってるのよ、リュー?それって、正気じゃないわ!」
サーニは、慌てた。理解出来ない。彼は、どうしてしまったワケ?
「ねえ、サーニ。僕は、一時の気の迷いで君と話してる訳じゃないよ。君は、僕らの境遇が違い過ぎてるって、そう言いたいんだよね?」
サーニは、頷いた。まさにその通りだ。
「僕はさ、生態学が専門だ。生態学はね、自分と違う者に対しての理解を深めようとする学問でもある。例えば僕を鳥の姿に変えてしまったモノについても、まだまだ知りたいことはあるんだ。危険は承知しているけれど、興味の方が大きいから。君はね、サーニ、僕の特別な人で、僕は君のことならなんでも知りたい。違いがあっていいし、違わないところがあってもいい。
だって、その全部が君なんだから。
だから、僕は少し欲張ってもいいよね。」
そう言うと、彼は笑った。
何の屈託もない、心からの笑顔で。
このひと、おかしい。ヘンだ。頭の中、どっかのネジがはずれちゃってるんじゃない?
こんなの、うまく行くわけないのに。
でも、この笑顔を見ていられたら、私、それだけで幸せなのかも。
私…。彼が、好き。
私の方こそ、欲張ってしまいそう。
廊下では、先ほどから入るに入れないでいた黒の宮が、やれやれと首を振っていた。
命短かし、恋せよ乙女、
『結構こじらせてるな。人間の一生は、そんなに長くはないと思うんだがねえ。』
「で、千絵ちゃんが、何でここに?」
「特別捜査官のお手伝いがしたくて♡」
「間に合ってら!第一にオレ、まだ死にたかねえんだけど、姫様よぉ。」
「あらあ。人間どうせいつか死ぬのよ。多少は誤差の範囲よね。」
巨大迷路、本宮の一角である。
対峙するは、小柄な男と、精々14.15の少女にしか見えないいでたちの女性。
つまり、苦虫を噛み潰したような表情のエド・カリスと、満面の笑顔のブリュンヒルデこと神原千絵の2人だ。
あと、もう1人、というか、もう一匹は、足元で2人の顔を交互に見上げている、小さな黒い猫である。
ため息と共に、猫が言うことには。
「大丈夫ですよ、カリス特別捜査官。姫に何かあれば、ご主人さまに殺されるの、ボクなんで。」
「何かの程度によるだろーぜ、少尉サンよ。そりゃかすり傷程度なら、アンタで済むかもだけど、それ以上だと、オレまで巻き添え食うに決まってんだろが。」
「まあ、ないとは言えませんけど。なんせ勅命なので、ボクはボクの使命を果たすだけです。」
黒猫は、長いしっぽをピンと立て、生真面目に答えた。
無論、バルト少尉の仮の姿の一つである。
ドラゴンである彼は、その気になれば好きな姿を取れるのだが、最近のお気に入りはこの姿だ。何故か、この姿だと、彼の仕える主君を『ご主人さま』と呼ぶ。
「私、多分お役に立てるわ、エド。ソレを見つけることができると思う。だから、」
「ああ。君なら可能だろうな。じゃ、行こうぜ。」
諦めた様子で、エドが言う。
どこへ、と聞く者はいない。
最初から、なぜ彼女がエド・カリスを訪ねたかは、全員承知の上だ。
2人と一匹は、行動を開始した。
面白かったら、評価、ご感想などお待ちしてます。