表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の宮異聞  作者: WR-140
13/109

揺れる思い

翌朝。

サーニは、いつものように身支度を整えて朝食の席についた。

今朝は、まだリューの姿を見ていない。

彼のことだから、昨夜も遅くまで、フィールドワークの整理をしていたのだろう。

学者バカ、まさにそれが、彼だ。

あれから2日、彼とほとんど話すことなく、すれ違う時間ばかりが過ぎた。

それでいいと思う。

たまに、遠くから視線を感じることがあるだけで、今は十分。

ふたりのこの先は、なくてもいい。

でも、本当に?

気持ちが揺れている。

気がつくと、彼の姿を探して、庭園の方を見ている自分がいた。

 初恋が甘酸っぱいなんて、誰が言った?

私、ほんと、馬鹿みたいだ。

変に浮ついてたり、ぼんやり夢みたいなことを考えてたり、こんなの、病気でしょ。

 しっかりしろ!サーニ・ナルシオン・ダ=リマーニエ!

こんなんじゃ、自分のご大層な名前にも顔向け出来ないわよね。

一人で生きてくんでしょ。

そのために、いまここにいる。

自分の足で立つために。


「サーニ、ごめんなさい、お食事中に。」

入り口からひょいと顔をのぞかせたのは、彼女の女主人、ブリュンヒルデ妃だった。

「ちょっと外出するわ。お留守番、よろしくね。」

それだけ言うと、彼女はひらりと立ち去る。人というより、森から一瞬顔を出した仔鹿みたいな軽やかさで。

その足元にいたのは、小さな黒い猫?

 あんな猫、ここにいたっけ?

え、そ、それより、外出って!

サーニは、慌てて立ち上がって、後を追おうとするが、もはや手遅れだった。

ここから住人が外出する方法はいくつかある。本宮の何ヶ所かに直通のゲートはその一つだ。盟主が通勤に使用しているものは、内陣を囲む闇に通じていて、迂闊に踏み入ったら命にかかわるとの注意を受けていたが、それ以外はさほど危険ではないという。

まあ、ここの住人の基準では、だが。

妃と黒猫の姿は既になく、どのゲートからどこへ向かったかは、わからない。

呆然と立ち尽くすしかないサーニだった。


「おはよう、サーニ。どうした?」

「あ、レヴィさま。おはようございます。」

黒の宮の姿を見て、サーニは少しほっとした。歴史上稀にみる極悪犯罪者、のはずなのだが、何故か彼女はこの神族が嫌いではない。

何より、リューを助けてくれた人だ。

新月の東屋から、リューを連れ出すことは、人間には不可能だったのだから。

感謝してもしきれないだけの恩がある。

「レヴィさま、実は、姫様が。」

外出の件を告げると、彼はひとつ頷いた。

「結局、そうなったか。君は心配しなくてもいいよ、お嬢さん。」

「何があったか、お聞きしてもよろしいでしょうか、レヴィさま?」

「そうだな。知っておいた方がいいだろう。フランツ、君もだ。」

 え?リュー?

廊下から、おずおずと現れたのは、赤い目の学者バカ、フランツ・リュートベリだ。

「2人とも、そこに掛けてくれ。」

サーニとリューは一瞬目を見交わして、黒の宮に従った。

異世界の魔物について、ざっと説明を聞いたが、サーニにはそれと妃の外出との関係が分からない。

が、聞き終えたリューの表情が、強張ったのが気になる。

「では、ブリュンヒルデ様は、まさか?」

リューの質問に、黒の宮は頷いた。

「ああ。探すつもりだろうな、その吸血鬼を。」

「そんな!」サーニは青ざめた。

「千絵は、猫を連れていただろう?」

「は、はい。黒い猫でした。」

「ふむ。ならば滅多なことはあるまい。あやつならば、あのジャジャ馬を、何としても守り抜くだろう。だから、今は、そっちは忘れていてもいい。そこで、フランツ、君の意見を聞きたいのだが?」

「僕ごときでお役に立てるなら、何なりとご下問下さい。」

若い学者は、背筋を伸ばし、姿勢を正す。

表情は決意に満ちて、緊張感とともに、誇らしさで輝いてもいた。

黒の宮は、人類史上最悪の疫病と闘い、これをねじ伏せた天才としても名高い。

研究対象は違えど、そのような偉大な学者と直接意見交換ができるチャンスなんて、望んでも得られるものではないのだ。

それから始まった2人の会話は、サーニにとっては、とても理解できるものではなかった。

 医学的な内容、たぶん、生理学かしら?

薬理って、薬の作用に関係したことね?セイリカッセイって、何だろう?

そんな内容から、次第に、リューの専門分野である、生態学へと話題は移るが、専門用語が多過ぎて、ちんぷんかんぷんなのは変わらない。

 『リューの表情は、この上なく真剣だわ。私がいることなんて、すっかり忘れたみたいね。だから、こうして彼を見つめていられる。』

話の中身は相変わらずサッパリで、サーニ1人だけが置き去りにされている。だけど、少し幸せな気分で、サーニは、透明な赤い宝石の色をした、彼の目を眺めた。

やっぱり、大好き。

 初めてあの温室で出会った時から、この色を忘れたことがあったんだろうか?

たぶん、忘れたことなんてなかった。

これからだって、忘れはしないと思う。

 リューが、私を忘れても。


「では君は、その吸血鬼が、宿主と共生関係を築く可能性があると?」

黒の宮の問いに、リューは頷いた。

「前例は少ないのですが、憑依型の妖物の場合、宿主との共感関係が生じることがあります。つまり、一方通行ではなく、互いに意思疎通が可能になるし、ギブアンドテイクというか、契約関係に似た協力関係が築かれることがあります。僕は、今回のケースについて、その可能性が高いと考えています。理由は、」と、リューは、いくつかの推論を述べた。この内容ならサーニにもついて行ける。ただし、それが現実なら、決してありがたくはない。

 つまり、誰かが、自分の目的のために、その魔物と手を組んだってことよね?

殺人も、ひょっとしたら、操られてしたことじゃないかもしれないんだ…。

リューは、専門家だわ。

結局、魔物だけの発想では、傷痕を綺麗に隠すことは難しい、そういうことなのね。


結論は出なかったが、このイヤな可能性について、黒の宮とリューは合意に達したらしい。

「少し調べてみよう」そう言うと、黒の宮は席を立った。

続いてサーニも立ち去ろうとしたが、

「待って、サーニ。」

と、リューに手を押さえられ、再度座り直すことになった。

「何?」

「あの。僕、ちゃんと言えてなかったと思うんだ。鳥だった時、君に会えてなかったら、僕はいまこうして人の姿に戻れてなかった。ありがとう。」

「あ、それは、レヴィ様がいらしたからで、私なんて何にもしてないわ。」

 キス以外なんにも、だけど。

リューは、一度目を伏せ、正面からサーニを見つめた。その目は、怖いくらい真剣だった。

「上手く言えない。でも、君でなきゃダメだった、それだけは確かなんだ。鳥の時の僕は、ずっと、夢みたいな幻の時間を生きてた気がする。自分が何ものかすら忘れていた。君が来てくれたから、いま、僕はこうしていられる。ありがとう、サーニ。」

サーニは言葉を失ったまま、リューを見つめる。

しばし無言の時が流れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ