好奇心は猫を殺す、かも?
黒の宮の意見はこうだった。
①憑依しているそいつらを見分ける方法はない。
②憑依されている人間の人格は残っているが、憑依されている自覚はない。
③魔物が体を使いたいとき、いつでも人間の人格を眠らせることができる。人間は、この強制に抗えない。気づくことも不可能である。
④この異界の魔物には、何か目的があるようだが、データ不足。
シャワーを浴びた盟主が寝室に入ると、妃は軽い寝息を立てていた。
時刻はもう真夜中近い。
彼女を起こさないよう、ソファで寝ることを検討するが、さすがにサイズが小さ過ぎた。190センチ近い彼が、2人がけサイズで横になれるハズもなかった。
それでも、何通りか試してみる辺りが彼らしい。以前から同じことを繰り返していたが未だ正解には辿りつかない。
ベッドから、クスクス笑う声が聞こえた。
「お帰りなさい。待ってたんだけど、結局寝ちゃって。」
「起こして悪かったなあ、奥さん♡」
日本語。関西のイントネーション。
彼は、流れるような一連の動作で、不毛のトライアルを締めくくる。それは、寝室の暗がりで、大きな黒いジャガーが、ラブチェアと戯れているように見えた。
それから彼は、足音なくベッドに歩みより、床に膝をついた。
「貧血は?」
密やかで、限りなく優しい声音。
彼女の小さな手をとり、キスして、頬に押し当てる。
「私は大丈夫。だから、遠慮しないで。
いま貴方が倒れたら、戦火が上がるでしょう。ましてあなた自身が暴走したら、誰にも止められない。」
彼女は微笑んで、もう片方の手を彼の顔に伸ばした。親指で唇の輪郭をなぞる。
「愛してるわ。だから、一緒に帰ろうね。私たちの、あの古い家へ。」
彼は、彼女の両手をそっと握り、微笑む。
暗がりでディテールは見えないが、それが哀しげで、切なさを滲ませた微笑なのを、彼女は知っていた。
そして、彼の目に、濡れた光が宿る。
もう、数えきれないほど身体を重ねてきたのに。
誰よりも安心出来る家族のはずなのに。
彼女は、今も恐怖を感じる。
嵐に翻弄され、自分自身からも引き剥がされて、見知らぬ世界へと投げ落とされる。
死の苦痛にも通じる、激しすぎる快感と、どこまでも落ちて行くかのような恐怖。
いや、逆にどこまでも登って行くのだろうか?ジェットコースターの速さで動く、双極の螺旋に乗って。
暗黒の太陽。燃え盛る虚無。
絶対0度の果て。熱平衡。
それが、彼の内面世界の一部であることは、本能的に知っていた。
ああ、今彼と共鳴している。
そして、彼女は何度も意識を失う。
絶頂の瞬間、彼に切り裂かれる頸動脈。
刃物は使われない。短く整えられた、人差し指の爪だけで、彼はメスより鋭く正確な手技を見せる。
痛みはない。溢れた血は、一滴残らず舐めとられ、彼の疲労を癒していく。
同時に、傷はふさがり始める。
神原の血を持つ男女の体液には、元々弱いながら癒しの効果があるのだが、その力は神族の因子を持つ者に対して、極めて強力に働くのだ。つまり、同じ神原の一族に対しても、奇跡のような効果を発揮する。
翌朝には、いくら探しても傷痕などない。
浅い傷ではなかったはずだが。
まどろみから覚めたのは、腕の中だった。
「起きたんか、千絵。」
彼女は、返事の代わりに、彼の胸に頬を擦り付ける。
「猫かいな。」柔らかく笑って、彼は妻の額に唇を寄せた。
「ねえ、龍ちゃん、何で昨日制服着てったの?誰に会った?」
「ああ。相手は分かっとるやろ。それで、何が知りたいんや?」
彼女の唇の両端がニィッと吊り上がる。
言い逃れは許さないというサイン。
「全部。」
彼に逃れる術はなかった。
「信じらんない!相手、お年寄りなんだよ!亡くなったらどーすんの?」
「手加減はしたで。しかし、思てたよりタフな爺さんやったなあ。護衛は気絶したんやけど、爺さん喋ってたさかい。」
「気絶って、それ、手加減て言わない!」
「あー、エドは逆に何で殺さんかったんや、あんなクズを、て。」
「ん?エドって、カリス特別捜査官?
ふーん、昨日会ったんだ。ということは、何か事件でも?」
彼は内心少し慌てた。憑依型の吸血鬼などという厄介そうなシロモノに、最愛の妻を近づけたくない。
彼女の好奇心と大胆さときたら、もう。
だが、結局は洗いざらい白状するハメになったのは、当然の帰結だ。
「ふうん。叔父さまは、そう言ったの。
憑依している時は、見分けられないって。
でも、私にはわかるよ、それ。」
そう。そのことにはおそらく、黒の宮も気付いていただろう。
こういう風に、彼女の好奇心に火を点けてしまわないよう、言葉を選んでいたのだ。
もはや逆効果だが。
「ここの封印が不安定化してるのは、私でも分かる。叔父様が解決されるでしょうけど、こちらに出て来てしまったものは、どうしようもないわよね。ソレは、私たちがここに来る前、誰かに憑依して結界を抜けた。目的って、何かな?」
「データが少ない。で、被害者が、殺された理由はどう思う?」
「一つは、自分の存在を知られたくないから、かな。人に憑依して、別の人を襲うのよね?
龍ちゃんみたいな器用なマネが出来るわけないから、何か特徴的なアトが残るんじゃない?吸血鬼映画みたいな、キバのあととかさ。」
「ふむ。精神支配を得意とする妖物には、支配対象の身体構造も作り変えるモノが居る。あり得るなあ。殺害時に、吸血の痕跡が破壊される様にしたらええ訳やから、手口はバラバラでかまへんし。」
「それと、被害者の内、出入り業者って人がここにきたのは、最近?」
「いや。戴冠式前の準備期やな。」
「じゃ、1番最近、ここと関わったのは、龍ちゃんのストーカーかあ。その人、男性?女性?」
「男。調べたら本宮の総務課事務員の親戚やった。」
「あー。ありがちね。」
住所の入手経路のことだ。
「犯人がここの結界から出たのに、わざわざ近くに戻ってくる理由が知りたいな。
最後の被害者との接点が、この界隈と仮定しての話やけど。」
それが妖物の意思なのか、それとも、別の理由があるのか。
「んー、気になるわね!」
「お、おい、千絵?」
「退屈って、嫌い。大丈夫、カイは連れて行くから。」
「どこへ行く気や?」
「内緒。退屈過ぎて死にそうだったんだ。じゃ、そういうことで。お休みなさい。」
好奇心は猫をも殺す、そんな言葉が浮かんだのは、カイの名前が出たからだろう。
カイは、ドラゴンでも最強の部類だが、最近は何故か、猫の擬態にハマっている。
最初は、盟主自身の命令で、ある任務のため、小さな黒い猫の姿をとっていたのだが、それが気に入ってしまったらしい。
こんなことになるんじゃないかと思ったと、第15代連邦盟主はため息をつく。
まあ、起こったことは仕方がない。
カイに与える命令は単純だ。
彼女にとことん付き合って、不可能でも守り抜け。
それは、いつものこと。
理不尽な命令とわかってはいるが、失敗は許さない。
彼は、再度ため息をついて、目を閉じた。
まもなく夜明けだ。
明日はどんな日になることやら?
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