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月の宮異聞  作者: WR-140
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再会

アビスブリンガーは遥かな水底から世界を眺めていた。

そこは、水中でありながらそうではない。

がらんとした密度の低い空間でもあり、見方を変えればみっしりとした実質によって充填された場所でもある。

光は届かない。

深淵のさらに深み。

海溝の闇の奥底。

時にまどろみ、時に覚醒し、己の存在を精査する。

アビスブリンガーとは何か。

それは、一振りの剣。

遥かなる過去、もしくは未来のどこかで鍛えられた、はずだ。

あるいはそれは、触手ある巻貝。

どれが真実かは、見方による。

全ては真実、あるいは全てが偽りであるのかも知れない。

ただ一つ、アビスブリンガーにとっての真実とは。

沈黙の闇に、ある言葉が響く。

『疾く来たれ、我がもとへ』

その言葉、その波長!

唯一無二のオーダー(命令)

アビスブリンガーという存在の、唯一の主人(あるじ)からの召喚。

限りない喜びを持って、剣はその命令に応えた。

『我は御手(おんて)に、我が主人(あるじ)

そして…


水から上がって、彼は辺りを見回した。

暗闇と静謐に満ちるこの場所は、洞窟なのだろうか?

光学的には真の闇に近いが、半神族である彼にとって、環境掌握の手段は1つでない。

目的地が近いと感じたとき、彼ば迷う事なく水の流れに身を投じた。

本能のまま最短コースを辿り、流れの深みを泳ぎ渡った。

息を止めていたのは、10分以上になる。

魔法を使えば、空気の被膜を作り出すことはたやすくできたが、既に魔界と呼ばれる世界に踏み入った以上、誰かに感知される危険は避けたい。

そして上昇し、水面から地面に上がったのがこの場所である。

意外だった。

千絵を、彼の最愛の妻を保護している存在が推測通りならば、ここはその人物の住まいであるはずだ。

伝承の言うところでは、そこは壮麗を極めた宮殿であるという。

だが、この場所は地下洞窟に若干の手を加えただけの簡素な造りに見える。

しかも、この場所に満ちるのは、清浄で荘厳な気…、俗に言う神気である。

通常、神気は聖邪とは関わりのない純粋な力そのものであり、存在することが即破壊力という側面を持つ、厄介なものだ。

だがこの地の神気は、丹念に濾過と浄化を施され、洗練を加えた純粋な聖力…癒しの力に他ならない。

魔族=邪な存在ではないが、これは冗談のようなレアケースである。

しかも。

何なのたろう、このどこか懐かしい気配は?

奇妙なことだった。

しかし今は、そんなことに気を取られている場合ではないし、目的地はここでまちがいはない。

ならば、やることはひとつ。

目的の遂行に障害があるならば排除するのみである。

たとえそれが、何であっても、誰であっても。

石の床に、滴が落ちる。

全身から滴る水が、彼の足元に水溜りを作っていた。

そのまま身体の状態をチェックする。

服はボロボロだが、血と汚れはあらかた洗い流されたようだ。

深い傷にはまだ痛みが残る。出血は止まっているし、擦り傷には既に治癒したものもある。

身体に欠損はないようだ。

疲労感は否めなくとも、手足は自由に、滑らかに動く。

結構。ならば、これから行う手技に支障はない。

半物質の剣、カルバウィングならば、目的の生命のみを切断することが出来よう。

それは彼女の子宮の中にあるはずだ。

マーカーは要らない。

ターゲットは、彼自身の遺伝子を持つ細胞群であるのだから、事前に特定する必要はなかった。

彼は、ゆっくり歩き出す。

彼女の存在を感じる方向へと。


洞窟は深い。

最初上陸した流れから、曲がりくねった迷路の暗闇を歩くこと30分。

微かな、ごく微かな明かりが見える。

どこまでも清浄な気が洞窟を満たしていたが、その発生源は特定出来なかった。

千絵の気配は、わかる。

だが、それ以外の気配がない。

時々カイがやるように、広範囲のサーチを試みるが、妻の庇護者と思しき気配は皆無なのだ。

遠くに幾つか、生命体の気配はある。しかしそのどれもが、脅威となるようなレベルではなかった。

ただ、ある方向から、多数の生命体が接近してくるのが、何やら不穏ではあるが、これは彼の目的とは関係なさそうだ。 

しかしこの配置は、キナ臭い。

戦争は4年前に終わらせたが、戦時中頻繁に感じたある種の予感めいたものを、背筋に感じる。

衛星軌道上から敵を殲滅することは容易かった。しかし、彼はあえて自らの足で戦場に降り立った。単身で。

危険は承知の上だったが、今よりは慎重に防御していたから、何があろうが生命までは失わずに済んだだろう。

ただ、無傷とはいかなかった。

必要とあらば、手足の1、2本は失う覚悟でそんな行動に及んだ理由、それは衛星軌道からは見えないものを見るためだ。

総司令官の行動としては、まさに暴挙以外のなにものでもない。

場合によっては自軍を危険に晒し、神族という存在が持つ絶対の求心力すら低下させかねなかった筈だ。

だが、そうせずにはいられなかった。

地球でも、他の場所でも、戦場は人々の営みと隣接して存在している。

時には、戦場の只中に、多くの非戦闘員の生活があるのだ。

それが、宇宙からは見えない。

衛星軌道から発射される高機能殲滅兵器は、その弾道に捉えられた全てを破壊し尽くす。

実に、平等主義的だ。

効率も良い。

ある地点で反抗する勢力を全て殲滅し尽くせば、周辺への強い抑止力ともなる。

見せしめだ。

その戦場周辺を、戦わずして制圧するには効果的な方法である。

戦術と、戦略。

規模の違いはあるが、それらのロジックからは、往々にして生きた人間が排除されるのだ。

それが我慢できなかった。

小さな避難民のコミュニティ。病院の体裁さえ整わない野戦病院。捕虜収容所。戦場に取り残されたスラム。

ピンポイントで位置が特定出来れば、そこを守ることはできる。

全てを救えるとは思っていない。

手段を選ばず行動に移さざるを得ないことも多かった。

戦線は無数にあり、時間はあまりに限られていたのだから。

たから、自分が手を差し伸べられる範囲、広大な前線の、ほんのちっぽけな場所。

せめてそこだけでも、悔いを残したくなかったのだ。

彼がそういう行動に出ることを、彼女は見越していた。それがいかに馬鹿馬鹿しくかつ危険なことかなのかも。

だが、彼女は彼を止めなかった。

『泣きまねしたら、やめてくれる?』

ほのかに光が射してきた洞窟の暗闇に、そんな声と笑顔が鮮やかに甦る。

『龍ちゃんは絶対やめないって知ってる。だから止めないよ。』

あれは初夏の砂浜だった。

薄い生成りのワンピース。

まだ肩までしかなかった黒髪が揺れた瞬間のきらめきと、裸足の足の眩しい白さ。

波は穏やかだ。

愛しさに、胸が苦しい。

だが自分には、初めから彼女の側にいる資格などなかったのだ。

これが、未練とかいう奴なのだろうか。

我が子を手にかけようとする自分が、一体何を甘えているのだろうと、今更ながら呆れてしまう。


光が強くなってきた。

曲がり角を更にひとつ、ふたつ。

突然、視界が開ける。

小さなホールのような場所だ。

そして。

千絵!

石で出来た平らな台の上に、毛皮のような白い敷物が敷かれている。

そこに座っているのは、女性と見まごうばかりの、華奢な金髪の男性だ。

その膝にもたれている小さな姿。

眠っているのだろうか。

無事であることは知っていたが、実際に彼女を目にした瞬間の安堵は大きい。

だが、続いて沸き起こるこの凶暴な感情には覚えがある。

嫉妬。

同時に、彼の本能が最大限の警鐘を鳴らしていた。

気配が、ない。

実体はあるのに、気配が全く感じられないなど、これまで一度として経験した覚えのない感覚だ。

いや、強いて言えば気配はあるのだが、それはこの場所に満ちている清浄なる癒しの気配そのものと同質なのである。

と、いうことは。

水から上がってから、音も気配もなく歩んできたつもりだが、相手はとっくに気付いているだろう。推測ではない。それは、結界をすんなり抜けた時に確信していた。

つまり、彼こそが。

「来ましたね。」

静かな声とともに金髪がサラリと揺れる。

「お座りなさい。」

閉じた目。白い肌。

龍一は、立ったままで一礼した。

「太陽と黒曜石の君に、神原龍一がご挨拶申し上げます。」

そう、彼が何者であるか疑問の余地はない。が、目的は果たさなければならない。

出来れば、彼女が眠っているうちに。

それは、今。

流れるように距離を詰めるには、0.01秒も掛からなかった。

その間にカルバウィングを実体化し、切先に全ての技巧を込める。

究極まで研ぎ澄まされた感覚。

音のない必中の気合いとともに、鋭い突きが繰り出された。

眠る彼女の腹に向けて。


いよいよあとわずかです。

終結まで何回かはわかりませんが、宜しくお付き合いくださいませ。

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