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月の宮異聞  作者: WR-140
101/109

長々しき夜を…

「マスター。少しは休まれては?」

本宮、盟主執務室。

「そうもいかないだろ。ダイレクトリンクなしでは効率が悪すぎて、時間が足りない。」

「問題はそこではありませんわ。ご自身のパフォーマンス低下をお認めなさい。睡眠不足は明白ですわね。」

完全に諭す口調である。

このラグナの端末は、筒にたくさんのフレキシブルアームを生やした奇妙な姿であるが、声はなまめかしい女性のものだ。

「独り寝は嫌なものだ。」

「あら。エドは寝るならひとりの方が絶対いいそうですけど?」

「つまりお前、奴にセクハラしたのか?」

「私には性別がございませんが?」

「だが、エドがセクハラと感じたならそうなるだろう?」

「そうですが、どちらかと言えば、パワハラかと。」

「自覚はしていたか。」

彼はフッと笑った。

笑うのは、何日ぶりだろう。

千絵が居なくなってから、感情の動きを無理やり制御し続けてきたのだ。

まるで彼女に会う前のように。


彼女は無事だろう。それは分かっていた。

何故逃げたか。

それも自明だった。

何処にいるのか。

推測はしていたし、確信もあった。

それ故にどうすることもできない。

己のどうしようもない無力さをただ噛み締め、募りゆく焦燥感に自我を焼灼されているかのような1秒1秒をただ耐える。

だが、当然タイムリミットはある。

それまでに彼が行動を起こさなければ、彼女は死ぬ。

そして、彼が彼女の生命を救ったとしても、彼女は決して彼を許しはしない。

やはり、永遠に彼女を失うことになるだろう。

何故こうなった?

原因は分かりきったことなのだが、いくら自問自答してみても、何故こんなことになるまで問題を放置したかの答えは出ない。

世界一の間抜けになった気分だった。

その可能性は当然あったし、そのことは知っていたはずだ。

見方を変えれば理由は簡単なのだ。

完全に溺れていた。彼女に。

どうしても歯止めが効かなかったのだ。


初めて会ったのは、彼女の生後間もないころだった。

その時既に彼女の両親は他界していた。

表向きは、事故死。

だが事実は、彼女を狙ったものどもの仕業だ。

まだ存命だった神原の曾祖父が幾重にも張り巡らした結界で、かろうじて彼女を守っていたが、それを突破されるのは時間の問題だっただろう。

だから曾祖父は、当時18歳に過ぎなかった曾孫の龍一に彼女を託したのだ。

とてつもない力を秘めた怪物に。

曾祖父にとっては、血縁であり唯一の後継者でありながら、ほとんど一緒に生活したことのない曾孫である。

更にその父が人でないことを知っていた。

普通なら、そんな得体の知れない者に赤子を託すことなどできなかったはずた。

だが、他に方法はなかった。

逆に龍一としては、突然赤ん坊を押し付けられたに等しい、無茶な話だったのだが。

他に彼女を生かす方法がないことはわかっていたし、曾祖父以外で唯一の、人間の血縁者であることも事実だった。

曾祖父が死ぬのは時間の問題だった。死なないまでも、元々龍一とは比較にもならぬほど非力で、歳とともにその力も減衰の一途を辿っていたのだから。

当時龍一は既に医師として働きつつ、病院設立のため奔走してもいた。

多忙を極めた時期ではあったが、千絵の保護は一刻の猶予もなかったのた。

だから、全てを引き受けた。

可能な場合は自ら赤ん坊を連れ、それが不可能ならば、強力な眷属に彼女を託した。

例えば、父である神皇・翠の君の側近、グラデエルファイラ将軍のような存在に。

最初は無我夢中だった。

何とかこの子を生かし続けようと、ただそれだけを考えていたのだ。

それが、いつから変わったのだろう?

愛?

そんなものは知らない。必要もない。

執着というならそうだろう。

常軌を逸した執着。その通りだ。

入籍した時も、時が来たなら彼女を手放そうと思っていたのは本心だったし、今もそうするべきなのは分かっている。

そのために人生がどんなに味気なく悲惨なものになろうとも、それは彼の自業自得。

当然の報いだ。

彼女を苦しめた。思うさま彼女をむさぼり、蹂躙してきた。

今なら、長年かけて彼自らが彼女に刻んだ守護の力が、彼女を守るだろう。

少し頼りなくはあるが、コータローも守護聖獣として、生命がけで彼女を守るはずだ。

孤高の青のユニコーンに匹敵する力を持つものは多くない。

以前は〝聖女〟たちの血で酩酊状態となり人間たちに捕らえられだ彼だった。

しかし、聖女と契約した今ならば、罠をかけて無力化することは不可能なのだ。

将軍もいる。サルラも暇つぶしに彼女の一生を見守ってくれるだろうし、カイを付けることもできる。

だから…もう、自由にしてやるべき時が来たのだ。

ただ、その前に絶対やらねばならないことが、たったひとつだけある。

彼女の胎内(はら)の子、つまり彼自身の子を、殺さなければならない。


「って、千絵、お、オメー、妊娠してるのか?」

門番小屋から、地下牢へと続く長い廊下。

スケートボードを胸に抱えた彼女とガラム、それに呆れ顔のオルテアが、廊下の中ほどで対峙していた。

「妊娠って、そんな驚くことないじゃない?私結婚してるって言ったよね?」

「あ、ああ。そりゃ聞いたが、だからってオメエ、やることやってたんたなあ?」

「なっ、何よ?そんなにしみじみ言うこと?何か恥ずかしいんだけど?」

「はあ。うん、まあ、意外っつーか。」

「何なの!そんなに色気ない、私?これでも女優なんだけど。」

「え…?女優って、オメエが?マジか?」

「これでも、〝美人〟女優って言う人もいるもん。ほんとだよ!」

そりゃ、龍ちゃんと比べられたらどうしようもないけど、と小声で付け足す。

やっぱり情けない。

「まあまあ、そこは置いといて。そんなわけですからガラムさん、彼女にスケボーはだめですよ。さっきも言いましたが、転びでもしたらお腹の子にさわりますからね。」

「おう。そりゃもっともだ。すまん、俺は知らなかったからなあ。」

長命種である魔族の場合、妊娠は稀である。

仮に妊娠しても、そこから出産までの期間がまた恐ろしく長いのだ。

しかも、生殖可能な魔族同士であっても、姿形や身体の大きさがかけ離れている場合、流産や死産、又は母体の健康が損なわれる確率は異常に高い。

長い妊娠期間は、この辺りにも起因している。

つまり、本来なら不適合な遺伝情報を長期間掛けて擦り合わせ、出生後生存可能な個体に調整していくわけである。

「だかよ、オメエの旦那、知ってんのか?その、子供のことを?」

「あ…。」

彼女は俯いた。

「気付いたと思う。私がいなくなったから。」

「ン?そりゃまたどういうこった?」

「……。」

黙り込んだことをどう解釈したのか、ガラムはそれ以上追求はしなかった。

「さあ、それをガラムさんに返して。ガラムさんは仕事に戻る時間ですから。」

「はい。」

彼女は素直にスケートボードをガラムに返した。

「ありがとう。じゃあ、又ね。」

「おお。」

ガラムは入り口へと引き返し、2人は地下牢に向かう。

「ねえ、あの大きさのスケボーってさ、ガラムさんが乗って大丈夫?」

「あれは、彼のものではありません。以前いた別の門番さんのものでしょう。ガラムさんよりはずっと小柄でしたから。」

「あ、そうなんだ。その人、辞めたの?」

「いえ。亡くなりました。」

「え?病気とか?」

「殺されたのです。休日に街へ出ていて、つまらない小競り合いに巻き込まれたのですよ。まだ若く、前途ある青年でした。」

「…お気の毒ね。」

「彼の両親が遺品を引き取りに来られたのですが、あれは置いて行かれたようですね。」

千絵は頷いて、自分の下腹部に触れた。

まだ腹は平らで、妊娠の兆候は全くなかったが、そこに新しい生命が息づくことを、彼女の感覚が教えていた。

医療機器を使用してもまだわからない時期だろう。

だが、龍一は彼女の生理周期を完全に把握している。

おまけに、産科の知識まである。

だから、猶予はなかったのだ。

彼に気づかれれば、この子は殺される。

彼なら躊躇いなくそうするだろう。

彼の母は、出産を待たずに亡くなった。

そもそも、妊娠自体が無理だったのだ。

神族の遺伝子は強力である。龍一の母も神原の巫女だったから、千絵程の能力はなくとも、叔父の遺伝情報を持っていた。

それ故、妊娠自体は可能だったが、そこまでだったのだ。

義父と叔父、共に神皇家の2人の能力を持ってしても、彼女の生命は救えなかった。

だから。

龍一は何としてもこの子を殺そうとするだろう。

彼女には分かっていた。

次回も宜しくお願いします。

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