太陽と黒曜石
「…どういうことなのかな?」
月の宮の小サロンで、手持ち無沙汰の黒猫が呟く。
盟主妃消失から数日が経過していた。
報告を求められたあの日から、まるで何事もなかったかのように日常は流れていた。
盟主はいつものように出勤し帰宅するサイクルを崩さなかった。
ただ、ダイレクトリンクのような無茶な仕事は控えているようで、その分公式行事や外交の場に顔を出している。
正妃は体調不良と発表された。
それにより、元々少ない公務は全てキャンセルされている。
まあそれはいい。
今後事態がどう推移するにせよ、今はそうしておくしかないのだから。
「どうした、カイ。」
声を掛けて来たのは黒の宮だ。
「レヴィさま…」
黒猫の目は潤んでいる。
「いっそ、ボクに罰を与えて下さい。このままじゃ、生殺しです。」
「おまえは、あいつのドラゴンだ。賞罰は俺の担当ではない。」
「だって!龍一さまは全くボクを相手にしてくれないし、ひ、姫様の消息はわからないし、もうどうしていいか…」
「ふむ…。」
傍の椅子に腰を下ろして、黒の宮はカイを見つめた。
黒猫の姿でいても、その憔悴は明瞭に見て取れる。
「何が知りたい?」
カイはハッとして顔を上げた。
「ひ、姫様は、ご無事ですか?」
黒の宮は頷いた。
「無事だ。安全に保護されている。」
「そのこと、龍一さまは?」
「推測してはいるだろう。失踪が千絵本人の仕業であることも、今どこにいるかもな。だから動かない。いや、動けないと言った方が正しい。」
「動けない。……姫様の意志。」
「だから気に病むことはない。お前の過失ではないし、それは龍一も知っていよう。ただ、解決の道筋はまだ見えぬ。今は動くな。よいな?」
「そう仰られるのであれば従います。」
「それで良い。」
黒の宮は立ち上がり、サロンを後にした。
残された黒猫はなおも考えにふける。
盟主妃の無事の知らせは彼にとって福音だったが、やはり問題があるのは間違いなさそうだ。
解決の難しい問題が。
「どこへ行ってたんです、あなた方は?」
「おー、オルテア!」
「ただいまー!外に出たりはしてないわ。門番詰所で、ネット見てた。」
「あっちの世界にもあるんだとさ。どうなってるのかねえ、魔法が使いにくい世界だって聞いたが?」
「だからぁ、魔法関係ないの。電波とか電気とか磁気とか、そーゆーの。」
「それがわかんねーつってんだ。奇天烈なこと言ってら。」
「私も魔法なんか使えないもん。」
「だが、家族は魔法使いなんだろ?」
「まあ、そうみたいだけど。」
「んじゃ、分かってそうなもんじゃねえかい?俺だって魔法は苦手だが、ネットは使えるし。」
「賑やかですね、あなた方すっかり仲良しだ。」
苦笑混じりにオルテアが割り込んだ。
「昼食にしましょうか、2人とも。手を洗ってらっしゃい。」
岩屋の壁から一筋の水が流れ落ち、何段かに分かれて迫り出した小さな岩棚を伝って、床に小川のような流れを作っていた。
澄んだ水は、もうずいぶん長い年月落ち続けていると見えて、岩棚にも床にも、水の侵食を受けてできた深い窪みが刻まれている。
千絵とガラムは言われた通りに手を洗い、流れの近くの石筍に掛けられていた白い布で、水を拭き取った。
不思議なことに、その柔らかな布は、汚れるということがない。
濡れても数秒で乾いてしまう。
これには生活魔法のひとつである、浄化の魔法がかけられているのだという。
「便利ね。」
という千絵の言葉に、ガラムは少し考える様子。
「確かに便利なんだが、魔法が劣化したら、また専門の魔法師に頼んでかけ直してもらわにゃなんねえんだ。結構、金もかかる。オルテアは器用で、自前の魔法で何でも出来るが、大抵は洗濯して乾かして、って方法をとるだろな。こういうのは、どっちかっつーと、贅沢品の部類だ。」
「魔法って、劣化するんだ。」
「ああ。当たり前にな。それに、魔法師の腕の良し悪しもある。お偉いさん方は、それ専門の技能者を抱えてるさ。屋敷の維持には膨大な魔力が必要なんだ。」
それゆえ、力あるものは豪壮な屋敷を維持することで、その権力を誇示するのだという。
「抑止力でもあるのでしょう。あなた方人間も、お金持ちや権力者と戦うことは避けがちなのと同じですよ。力を見せつけることで、不要な争いを避けているとも言えますね。」
「そうなんだ。どこもいろいろあるのね。」
「そうそう。庶民はそれなりに幸せに生きる方法もあるしなー。」
「そうよね!あー、あちこち出かけてみたいなぁ。きっと、美味しいものとか、いっぱいあるのよね?」
「おう。だがな、危険すぎる。オメエ、ホント美味そうな匂いがするからなあ。」
彼女は、真顔でガラムを見つめた。
「ガラムさん、私のこと、食べたい?」
「はあ!?んなわけあるかよ。」
「じゃ、いいじゃない。そういう人もいるんだから」
「いやしかし。おい、オルテア、何とか言ってやってくれよ。」
「それじゃ、昔語りをひとつ。気楽に食べながら聞いて下さい。お喋りしながらでもいいですから。」
オルテアは苦笑して、竪琴を取り上げた。
遠い遠い昔。
ヤギの角とワニの尾を持つ魔王が君臨していた時代。
異界から1人の巫女姫が、魔王によって、この地に召喚された。
まだ愛を知らない巫女姫シャ=ル・レイン。
哀れなる少女。
望まざる世界、望まざる暴君、望まざる後宮の暮らし。
彼女は耐え難い苦痛の果て、双子の子を産んだ。
「ああ、これはな、今の魔王さまにまつわる有名な叙事詩なんだ。」
ガラムが千絵に囁く。
「魔王様って、魔族なんでしょ?」
「魔族の中の魔族だ。俺たち力なき衆生がそれなりに生きられるのも、魔王様のお陰だと言われてる。だが、魔王様の母君は人間だったんだ。」
双子は太陽と月。
みめ麗しき兄と妹は一緒に育った。
だが、双子の母は魔王によって命を落とす。
哀れなり一輪の花よ。
再び故郷の地を踏むこととてなく…。
「その兄ってのが魔王様だ。成長して、父王に挑み、勝利された。」
「何故?実のお父さんなのに戦ったの?」
「先王は、別名を暴虐王ってんだ。ゲスい品性と、とんでもなく強力な魔力が合わさると、まあ、ロクなもんじゃあるめえ?」
「うー。何となく分かった。お知り合いにはなりたくない感じ。」
「だよなぁ。」
オルテアの物語は、魔界を二分した戦いで終わった。
ガラムは4本の手で、千絵は2本で惜しみない拍手を送る。
「いやー、何千年も前の出来事なんだろうがな。その後、魔王様は黒曜石の岩山を魔法で壮麗な城に造り替えたと言われている。この上の城がそれだが、今は封印され誰も住んじゃいない。それはいいが、オルテア、魔王様の妹姫様については、全然話にでてこないってのは、なんでだっけ。」
「双子の妹は、母そっくりだったと言われています。ただ、魔力はなかった。」
「それじゃ、ここでは生き辛いよな。」
「そうだったでしょうね。しかも、魔力はないが、千絵さんと同じく巫女としての能力を持っていた。ここにいては、良くて意にそまぬ結婚を強いられたか、あるいは力ある者の慰みものとして命を落としたかも知れません。だから、彼女は兄の力を借りて、母の故郷に戻ったと伝えられています。小さな国の都へと。」
「ほらな、千絵。魔王さまの妹姫でさえそんな風なんだぜ。」
だが、彼女は他のことを考えていた。
微かな可能性。だが。
「オルテアさん、そのシャ=ル・レインという女性はどこのご出身?」
オルテアはアルカイックスマイルを浮かべた。
「京。そう聞いています。シャ=ル・レインはここでの呼び名で、本来の名は別にあったとか。黒髪に黒い瞳の、美しい人でした。丁度あなたのようにね。」
100話です。
今少し続きます。
次回もよろしくお願いします。