恋って、ナニ?
リューと離れて、自室に逃げ込んだサーニだったが、どうにも胸が騒いで落ち着かない。
私、ほんと変。
なぜ逃げ出したんだろう?
話したいことは、いっぱいあったわ。
彼の身に起こったことも、詳しくは聞いてないし、私がここにいる件だって、説明していない。
なのに、1番気になってたことは、彼に付き合ってる人とか、約束した人がいるかどうか、だなんてね。
なんて自分勝手なんだろう、私。
ええ、もう認めるのよ、サーニ。
私、リューが好きなんだ。
でも、それは意味のないこと。私たちに何か進展があっても、それはお互いのためにならないわ。
私は、学費を貯める目的があってここで働く。
彼は、研究が終われば出ていく。
それでおしまい。
雑踏ですれ違う赤の他人のようにね。
一瞬だと思ってた時間が、ほんの少し長くなるだけのこと。
だから、この気持ちは、伝えられない。
でも。今日で終わりじゃない。
明日も彼の顔を見られるなら、嬉しいな。
「そうですか。ならば、もうお話する必要もありませんね。」
本宮の小会議室のひとつである。
対峙しているのは、医療技官の制服を着た神原龍一と、ウラジミール・ロッシ。
ロッシの椅子の後ろには、2人のボディガードたち。
ロッシは、財閥と称される、一大企業帝国の創始者である。老いてなお、その存在感は、他人を圧倒するに余りある。
実際、企業中枢の幹部達や、ロッシ家の血族ですら、まともに彼と対峙するには、ありったけの精神力を動員する必要があった。
だが、年若い医療技官は気圧される気配すらなく、立ち去ろうとしている。
「ま、待ちたまえ。私の話はまだ終わってはいない。私は、君を後継者にしたいと考えている。」
「過分なお言葉ですが、興味ありません。」
にべもない態度である。
本来のロッシなら、ここで引き下がったはずだ。仮にも1人で、一大企業帝国を築いた男である。
当然、数えきれないほどの修羅場を経験し、時に裏切られ、時には敵を味方にしてきたのだ。だから、今はこれ以上押しても無駄であることはわかっていた。
しかし。
彼の脳裏には、憔悴しきったローザの顔が浮かんだ。ローザ・ガートルード、愛する孫娘があんな状態になったのは、目の前のこの男のせいではないことは百も承知していたのだが、歯止めが効かなくなっていたのだ。
「一度、君の奥さんと話させてはくれないだろうか。聞くところによると、女優だそうだが?」
「妻は関係ないでしょう?」
技官の、芸術品めいた顔に、僅かな苛立ちを見てとったロッシは、更に言葉を継ぐ。
「随分と美しい女性と聞いている。そう、素晴らしいプロポーションだとか。しかも君の妹君に似ておられるそうだな。それほどの美女なら、我々の映像部門でプロデュースさせてほしい。そうすれば、煽情的な映画で男と絡んで、これ以上大衆にその裸身を晒す必要も、」
彼は、最後まで続けられなかった。
言葉が途中で雲散霧消した。
強烈なめまい。座っているのに、そのままどこかへ崩れ落ちてしまいそうだ。
必死で気力を奮い起こすが、体が動かない。
四肢が完全に麻痺したかのようだった。
首も動かせず、息が苦しい。肺の中の空気が一瞬で全て押し出されたように感じる。何が起こったか、よくわからない。
はっきりしたのは、踏んではいけない地雷を踏んでしまったという事実。
この間、神原技官は、一歩たりとも動いてはいなかったが、いつもロッシに随行している2人の護衛は、床に倒れていた。
気を失っているようだ。
ロッシとて、椅子に座っていなければどうなっていたかわらない。
「な、何者だ、君は?」
必死に絞り出す声は、無様に掠れていた。
「ほう。まだ話せますか。あなたをみくびっていたようだ。」
技官は優雅な動作で立ち上がった。
ロッシを見下ろす、美しいが冷たい微笑。
「妻を侮辱することは許しません。これが最後の警告です。では。」
天鵞絨の声。静かで滑らかだが、抜き身の刃よりも剣呑なその響き。
そのまま、何事もなかったかのように、彼は部屋から出て行った。
わ、私は、一体何者と関わってしまったんだ? 優秀な医療技官?由緒ある家系の当主だと?
違う。そんな生やさしいモノじゃない。
あれは…あれは人間か?
数多の危機をくぐり抜けて来た本能が、最大級のアラームを発している。
化け物だ。あれは。
この時、天啓のように閃いた情報のカケラがあった。
それは、検証の出来ない、ある未確認情報。
神原龍一が当主である、サンクチュアリの神原家には、神皇家の血が組み込まれている。それ故に、ブリュンヒルデ妃は、神皇より内親王の位を賜った、と。
もし、それが事実なら。
あれは、神気?
妹だと?
そう、現在の盟主は、神皇の嫡子だ。
ならば当然、妻であるブリュンヒルデ妃の、義理の兄でもある。
妃と、サンクチュアリの有名女優である神原夫人は非常によく似ているらしい。
盟主正妃にかかわる、巷の噂。
愛する男と引き裂かれた、悲劇の巫女姫。
だが、噂の根本が間違っていたら?
つまり、神原夫人こそが、ブリュンヒルデ妃なのだとしたら?
あの男なら、妻を誰かに差し出すことなど決してあり得ないだろう。
ということは、答えはひとつ。
上級医療技官神原龍一は、当代の盟主その人である。
決して荒唐無稽な話ではない。昨日までのロッシなら、一笑に伏す類の夢物語だったが、あの凄まじい気を浴びた今、彼が人間だとは到底思えなかった。
ボディガードたちは、まだ目覚めない。
厳選された、極めて有能な男たちが、一瞬で昏倒させられたのだ。
ロッシは、震えた。
ようやく息をつくことが出来たが、同時に冷たい汗が額を伝う。
何ということだろう。俺は、老いた。これ以上、彼に関わってはならない。
関わってはならない相手に、許されざる暴言を吐いた。この場で殺されてもおかしくはなかったのだった。
あの怪物にはその力がある。
在位中の免責特権など持ち出すまでもない。ロッシの帝国の総力を挙げてさえ、彼にとっては、蚊を捻り潰すよりもささいな力で対処出来るだろう。
あれが、盟主。あれが、神族という種。
生き延びた僥倖に感謝して、二度と関わり合いにはなるまい。
椅子にぐったり沈み込んで、彼は深々と、ため息をついた。
「よ、リュウ。」
執務室へ続く長い廊下に曲がろうとした手前で、神原龍一は呼び止められた。
「ああ、エドか。久しぶり。どうした、珍しいな。」
「そっちこそ。何だよそれ、医療技官サマの制服か?ったく、おまえ、自分が魔性っての、自覚してんのかよ。ほんと、罪作りな男だぜ。何で人生は俺に冷たくて、お前にばっかり甘いんだろうか。」
「ははは。で、ここにいるってことは、俺に用があったんだろ、エドガー・カリス特別捜査官どの。来いよ、中で話そう。」
という訳で、2人は内陣の闇を通る。
「うー、いつ来てもゾッとするぜ。なんかとんでもない気配が多すぎる。何なんだ、ここは?」
「さあ?どこかに繋がっている空間なんだが、ここ自体はどこでもない。宙ぶらりんの通路だ。」
「さっぱりわかんねー。けど、物騒なのだけはわかる。」
エド・カリスは、男性としては小柄だ。
長身の盟主と並ぶと、肩のあたりまでもない。成長期の栄養不足が原因だろう。
首都惑星、リマノのスラム出身で、30歳独身である。22年前のスラム暴動で家族を亡くし、自らも顔に大火傷を負って両眼を失明した。機械的処置で視力自体は戻っているが、両眼は、今も白濁している。
再生医療の発達したこの世界なら、見た目を元に戻すこともできるのだが、彼は、敢えてそれをしない。亡くなった家族と、暴動によって失われた故郷への、喪に服しているのだろうと、盟主は見ている。
即位からまもない頃、ある事件を通じて知り合った。医療技官として。
盟主の正体を知ってからも、彼の無遠慮な態度は変わらない。
小柄な体躯ながら、胆力は一級品だった。盟主はそこが気に入っている。彼の卓越した捜査能力も。
エドは主として、国内犯罪を取り締まる部署に配属されていたが、時折常軌を逸した行動に出ることがあり、その重大犯罪摘発件数にもかかわらず、上司の頭痛のタネになっている。
上司は、彼が盟主と親しいことは知らない。ストレスで、薬が手放せない上司に、これ以上頭痛のタネを増やしてやることもないだろうから、今後も知らせる予定はなかった。
エドは、犯罪者検挙に、異常なまでの執念を持って取り組んでいる。
座右の銘は、『使えるものは何でも使え』なので、こうして時々、盟主の力を借りに来るのだ。
盟主執務室は、簡素を通り越して、殺風景である。しかし、2人を迎えたのは、艶めかしい女性の声だった。
「お帰りなさいませ、マスター。ようこそ、カリス特別捜査官。」
「ラグナ、茶を頼む。」
「承知致しました。」
あっという間に、小型の汎用アンドロイドによって、緑茶と和菓子がサービスされる。エドは大の甘党だ。モンスターAIラグナロクは、客の好みを忘れない。
「いやあ、いつ聞いても色っぽい声だなー。ゾクゾクするぜ。キカイだなんて、とても思えねえや。」
「ラグナが直接操縦する、専用の女性型アンドロイドもあるぞ。ただし、戦闘用端末だが。」
「うえっ。そいつは遠慮しとく。俺は声だけでいいや。で、本題なんだが。」
捜査官は、いつもの椅子から上半身を乗り出した。
「モノは、数件の殺人事件だ。単発に見えるんだが、どうやら相互に関係してる気配がある。普通に関係者の身辺を洗っても、大した関係性は見えてこない。が、なんか引っかかるんだよなぁ。」
首を捻りながら、彼は腕の情報端末を操作した。被害者の情報が空中に投映される。
名前、性別、年齢、職業、出身etc。
「バラバラだな。」
「ああ。」
「どこが引っかかった?」
「おまえん家。」
「は?」
「被害者の共通点だ。月の宮が、な。」
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