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閑話②:アリス=カガミ

 少女はやがて泣き止んで、


「すみません。服、汚しちゃって」


 泣き腫らした目で言う。


「大丈夫だよ。――宿に戻って、私の部屋で一緒に寝よっか」


 少女はこくりと頷く。アリスは少女の手をとると、ゆっくりと歩き出す。キュッと、絶対に離さないようにか、繋いだ手が握り込まれるのが分かった。


「……ねえ、アリス。アリスは何故こんな遅くまで、起きていたのですか?」


 少女が落ち着きを取り戻したみたいに、平静な調子で言う。でも、アリスは知っていた。極力人を頼りたがらない少女が、我慢出来ずに涙を流すのはこれで何回目か。出会った当初もそうだったが、泣いたぐらいで簡単に癒える心の傷(トラウマ)ではないんだろう。そう推測すると、この少女の境遇が心底憐れに思われた。しかし、憐れまれるのも気丈に振る舞おうと努めている少女には不適当だろう、と極力表情に出さずに、ただ手を優しく握り返すにとどめた。


「私もちょっと眠れなくてね。ずっと窓から外を見てたんだ」


 なるほど、と少女は頷く。ついで、聞いて良いのか迷ったような顔をした後に、少女はアリスに問うた。

 

「アリスも、何か辛いことを思い出したりしたのですか」

「まあ、ちょっとね」


 話すことによって楽になれば――辛さが薄れれば。アリスの力になりたいと真心から気遣った少女の言葉にしかし、アリスはそうはぐらかすと黙り込む。少女を追いかける時は、憂鬱な気分を忘れていたが、心の奥底にはまだ感傷的な気持ちがこびりついて離れないことを、少女の言葉に意識させられた。


 黙って夜道を歩く。何も話さないアリスを見て、聞いてはいけないことを聞いてしまったかも、と気まずそうな、申し訳なさそうな顔を少女はする。

 


 晩夏の夜――雲が流れて、一瞬夜空を照らす月が翳って、また顔を出す。薄いネグリジェ一枚で外出するわけにはいかない、と急いで羽織ったコートは、今の季節には暑いくらいである筈。なのに、アリスには何故か少し寒いように、素肌に触れる布の肌触りが冷たく感じられた。


 アリスは顔を俯いて、少女の表情の変化に気付かないほどに深く、心の底の感傷に触れていたが、気付けば自然と言葉が口をついて流れ出していた。


「私には、大切な人がいる()()()んだ」


 少女は繰り返すように呟く。


「大切な、ひと……」

「そう、大切な人。その人の事を考えるとギュッて胸が苦しくなって、理由もなく寂しくて泣きたくなって、切実に会いたいって思える……そんな人」


 うん、と少女は頷く。一言でも聞き逃すまいと真摯に、月光が陰翳を深めるアリスの横顔を見つめる。


「でも、その人の名前が分からない。顔が思い出せない。彼だったか、彼女だったかすら、私には……分からない。何でその人のことを大切に思っているのか……それすらも……」

「記憶喪失……ということ、ですか」


 うん、と(うけが)う。普通に返事をしたつもりだったのに、呟くような声量しかアリスには出せなかった。


 心のパーツが欠けたように胸にずっとある喪失感を、少女に説明することで改めて意識させられて、寂しさと哀しさが心を冷たくする。けれど繋いだ手から少女の微かな温もりが伝わってきて、何故か目元が水気を帯びた。そんな湿っぽく話すつもりはなかったのに、どんどんどんどん感傷的に、言葉が勝手に(あふ)れてくる。


「でも今の私には、リリィやルー、メイ……そしてイリア。みんなが“その人”よりも大切だって、みんなといる時間が一番愛おしいって……そう思われるの。……そう心から思っているのに、でも、理由もなく、何かが私を駆り立てて、早くその人に会いに行けって急がせる。みんなとの生活を捨てて、ほら早く……って。私の心の中に……私のものじゃない領域があるような、そんな風に感じられる」


 もはや止まることなく、アリスの独白は流れるようにして続く。


「もう本心では、大切な人は……どうでも良い、とすら思ってる。前世にいるその人の元へ行こうと(もが)くのはやめにして、今の私の心からの大切な人との時間を大事にしたいって……思っているの……思っている筈なのに……!なのに、いつまで経っても消えない……消えてくれない、私のものじゃない気持ちが、ずっと心の奥底にある。いつまで経っても、夢に出てくる」

 

 震える声で喉が揺れる。


「でも、それは本当は私の夢じゃない。私の、私が見た夢じゃないみたいに感じる。誰かの夢を、願いを、背負わされているように、感じる。……過去の私が、私を自由にしてくれない……そんな風にすら……思え、る……」


 喉が締まりすぎてしまって、アリスには掠れた声しか出せなかった。


 心の中にあるどうしようもない気持ち。右も左も選べない袋小路に迷い込んでしまったかのような閉塞感。やるせなさ。……でも、心の中には「会いたい」って気持ちが、確かに脈打っている。砂漠にいる人が水を希求するように、胸の中心から身体の端まで「その人に会いたい」と感じられるのは確かだけど、その願いに理由がつかなくて(因果がないから)、自分のものじゃないみたいに感じてしまう。だから「会いたい」にずっと囚われるのを苦痛に感じてしまう。でも確かに……心の底から「会いたい」。でも「会いたい」と思うこと、それそのものが……辛い。でも……それでも、どうしようもなく「会いたい」という気持ちが胸から湧き続ける、心を蝕み続ける。


 どんなに幸せだって思っても……直ぐに自分自身に冷水を浴びせかけられる。


 その様はさながら理性と感情の迷路に迷い込んでしまったようで、答えが出ない。多分、その人に会ってみないと答えは出ないんだろう。


 しかし涙は溢れて来なかった。この世界に来てから幾度泣いただろう、絶望しただろう。今だって悲しさはある、寂しさはある……耐えきれないくらいの辛さだってある。でもそれに心が麻痺してしまったのか、フレームの向こう側の世界の出来事みたいに、何処か客観的に感じられてしまう。目を軽く潤しはしても、その事で涙することはもはや無かった。

 

 アリスは沈んだ気持ちで俯き、足元の段差を避けながら道を進む。急に、繋いだ左手を引っ張られて、引き戻される。どうやら突然に立ち止まったらしい少女の方を見やると、


「すみません……急に……立ち止まっちゃって」


 月明かりで少女の目元が煌めく。少女は涙を手で拭いながら声を震わせた。


「ご、ごめんなさい……アリスが泣いてないのに……私が泣くのも可笑しな話、ですよね。……でも……、どんなにか辛いだろうって、想像すら……出来ないけど。もし私が記憶喪失で……それで、私の中にある感情(気持ち)だけが……残ってたら……って。そう思うと……すごく呼吸(いき)が苦し……から……」


 少女の目から煌めく涙が幾つか落ちた。雫は、宙を泳いで、月光に輝き、石畳の地面を、少し濡らした。


 気付けば自然に、アリスは少女を抱き寄せていた。今までは全然そんなじゃ無かったのに、急に涙が一滴、ニ滴……目に溜まって(こぼ)れてくるのが自分でも分かった。悲しさでは無かった。悲劇的な運命に、いつまで経っても消えないこの気持ちに、ある程度慣れていた筈だった。涙するほどの辛さも、寂しさも、苦しさも……慣れてしまって大丈夫だったはずなのに。涙が出てくるのは……何でだろう?


 ポツリと少女の額を涙で汚してしまう。少女は驚いたように潤んで輝く目のまま、此方を見上げる。アリスはそんな少女を一層優しく、大切に抱きしめた。


「もう少し……このままで。……居させて貰っても、良い……?」


 少女は頷いた。そして鼓動が聞こえるくらい密着するまで、身を更に寄せてくる。布越しに感じる柔らかさと、人よりも冷たいけれどしかし確かな温もりに、優しさに……涙がどんどん溢れ出してきて、もう止まらなかった。


 ……ありがとう――私の話に共感してくれて。私の為に泣いてくれて。


 少女が流した涙は、一生忘れられないくらいに、瞼の裏に強く焼き付いた。瞳を閉じても、それが月光を反射して、宝石みたいにキラキラした輝きを放ち続けているのが、克明に目に映った。

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