21:邪悪の魔女
数十秒かけて放った「光の槍」は上方へ軌道を逸らされて黒雲を貫く。アリスがついに魔力欠乏に陥ってしまったのか、ふらりと揺れて膝をつく。
戦闘の余波によって綺麗に更地になったマイアナ大森林の一帯、邪悪の魔女が眼前に展開していた水壁の魔術を解く。「光の槍」は水の塊によっていとも容易く屈折し、ついぞその身には届かなかった。
――正直、完敗だった。アリスなら勝てるかもという甘い見通しは、開戦十分後くらいには粉々に打ち砕かれた。……全く油断しておらず、ひたすら防御に徹した邪悪の魔女に違和感を覚えるべきだった。
恐らく準備されていたのだ。マナの通り道である地脈の真上であるこの場所……魔女が不死者達を引き剥がされようと決して動こうとはしなかった理由であろう彼女の足元の魔法陣。恐らく、高度な魔術で地脈から魔力を引っ張ってきて利用している……魔力効率の悪い無属性結界を展開しながらも全然消耗しない様子から勘付いて、どうにか魔法陣を機能停止に追い込んだ時には戦いの趨勢は決していた。
リリィは荒れる息を整える。
先程までの爆発音が嘘のように収まった森に響くのは雨音だけ。耳を澄ますが剣戟による金属音などは聞こえてこない。不死者の軍団を引きつけてくれたルーとメイは、音が聞こえないくらいの所まで引き離してくれたのか。
……それとも。
頭の中に走った嫌な想像を必死に掻き消す。……大丈夫、彼らなら絶対……生きているはず。……多少強い不死者程度なら、買い込んだ聖水で有利を取れる。ルーもメイも一流の剣士だ……そう簡単に遅れをとったりはしないだろう。
『人間風情ガ……なかナか、ドうしテ手こずらせテくレる』
歪み切った不快な声が空き地に響く。降り頻る雨が脇腹の傷に沁みて、ズキズキという疼痛を伝えてくる。命が流れ出すような、血を失う感覚。
魔女は無言のまま、枯れ枝のような手をこちらに掲げる。
……もう終わらせるつもりだ。リリィとアリスを殺して、人類を滅ぼす。……そんな淡々とした殺意が私達を貫く。
「……リリィ……逃、げて。……キールに……伝え……て……」
アリスが息も絶え絶えに言葉を絞り出す。
「……アリスだけ残して逃げるのなんて……嫌」
俯き、か細い声で拒否する私を見て、「愚かナ」と邪悪の魔女は嘲り嗤う。……尤も、今から逃げようとして逃げられるわけがないことは邪悪の魔女が一番理解しているはずだ。……血を失いすぎて貧血に陥ってしまったのかクラクラする頭、脇腹に走る痛み、枯渇した魔力。……もし私が余力を残している状況なら、狡猾で用心深い邪悪の魔女はこんな無駄話に付き合ってなどいない。
『これで……終わリだ。忌々しい人類モ……お前達モ』
俯いていたままのリリィと倒れてしまったアリスを魔女は一瞥すると魔力を高める。禍々しい深黒の靄のようなものが風に乗って忍び寄ってくる。……アレに捕まったら無事では済まないという、根源の恐怖が刺激されるような悍ましい魔術の霧。今から逃げようとしても、もう間に合わないだろう。諦めたように目を瞑るアリス。私も観念したフリをして、力無く顔を伏せる。……目の前まで迫った邪悪な靄越しに、勝利を確信して油断した邪悪の魔女が背を向けたのが見えた。
【認める、私は吸血鬼】
絶好の機会。精神を集中させて呟く。瞬間、世界がスローになったような感覚。……この時を待っていた。遥か格上の相手……それもアリスですら勝てないような化け物を倒すには、私が多少本気を出すくらいじゃ全然足りない。最初から、吸血鬼の力を使って戦っていたとしても、今の「詰み」状況は逃れられなかっただろう。圧倒的強者相手に一太刀浴びせるには……それなりの工夫がいる。
【風よ、吹き飛ばせ】
偽装して残してあった魔力をありったけ込めて、速度重視で雑に魔術を使い、自分ごと黒い靄を吹き飛ばす。私の強みである「速さ」を最大限活かした不意打ち……風に背中を押される勢いのままに魔女に切りかかる。
『……ナにっ!?』
一呼吸の間に、手が届くところまで。魔女が突然のことに焦ったように障壁を張ろうとするが、それよりも速く、疾風のように踏み込んで右の剣で逆袈裟に魔女の身体を切り上げる。抵抗させる暇もなく、身を翻し左手で二の太刀を繰り出して、吸血鬼故の人間離れした怪力で大地ごと魔女を両断する。
一言発する間もなく、魔女の身体を構成するマナが黒い塵となって風に散っていく。……どうやら真っ二つにされるのは如何に神話存在であろうと致命傷たり得たらしい。……良かった、真っ二つにしても死ななかったら本当に「詰み」だった。
勝ったんだという実感と喜び、安堵が遅れて湧いてくる。
「た、倒せた……」
嬉しい。……圧倒的理不尽からアリスを……「好きな人」を守り切れた。あの時とは違う。忌み嫌ってきた吸血鬼の力と初見殺しの不意打ち頼りとはいえ……ささやかながら感じるのは達成感と爽快感。
「倒せた……の……?ナイス、リリィ……」
「……アリスが削ってくれてたからだよ」
倒れ込んでいたアリスが、頑張って身を起こすとしんどそうながらも嬉しそうに言う。……私の予想とは異なり、アリスは私の“事情”について何も反応しない。……気づいているけど、敢えて無視してくれているのか、それとも本当に気づいていないのか……自分でも、馬鹿らしいとは思うが、質問してみる。
「それより何か、気づいたこととか……ない?」
「……リリィ……腕上げた?多分……もうB級、受かる気がするよ」
「いや、そうじゃなくて」
滲み出すひんやりとした気配。尖った耳。強大な魔力。いつもの太陽のような快活な性格とは真逆に、今の私は暗い雰囲気を纏った別人かのように見える筈なのだが……アリスちゃんの目は節穴なのだろうか。いつもは頼れるお姉さんと言った風なのに魔力欠乏のせいでポンコツになっているのか。そんな失礼な感想が頭に浮かぶ。
「あ、あのっ!……私、今まで、嘘ついてたのっ!……実は、私……“吸血鬼”なのっ」
つい言ってしまった。察しがあまりにも悪すぎて、うっかり。
“うっかり”の中にはアリスなら吸血鬼の私も認めてくれるんじゃないかというある種の甘えもあった。私が吸血鬼でも……嫌わないでくれる、そう思えるくらいには彼女を信頼しているから。
……しかし、勢いのままに告白したのは良いけど、これでアリスに拒絶されたら……どうしたら良いんだろう。返事が来るまでの一瞬が永遠のように長く感じられる。アリスの反応が怖くて直視できずに目を瞑る。
「あ、アリス……?」
いつまで経っても返事はこない。……恐る恐る目を開けると、視界に入るのは力を失ったように倒れているアリス。
「!?」
近寄って様子を確認するが、脈はある。……恐らく、魔力欠乏で体力の限界がきて気絶してしまっただけだろう。
「はぁ……良かった、死んでない……」
安堵のため息をつく。……すやすやと眠る茶髪の少女の顔を見ていると、なんというか、吸血鬼がどうとかで悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。
……アリスが生きていて、私も生きている。魔力探知をさっき使ったらルー達も勝ったようで、みんな無事そうだ。
「みんなを守れて、理不尽を退けた」……今はその達成感に浸っても良い気がする。……私の問題は、邪悪の魔女の脅威と違って急がなければならないものでも無い。私は人を滅ぼすつもりなんて毛頭ない善良な不死者だし、眠ってしまったアリスが起きてから……それで良い。
そんなことを考えながら眠っているアリスの前髪を手で優しく漉かしたりしているうちに雨は止み、魔女が起こした暗雲は去り、雲の隙間から暖かな陽の光が差す。……戦いは終わった、改めてそんな実感を抱く。と同時に、身体に刺すような痛み。
「……ちょっと待って、痛い痛い痛いっ!」
やばっ、太陽光のこと完全に忘れてた。さっきまでの暗雲が嘘のように次第に晴れていく空……から差す光は吸血鬼の大敵だ、普通に死ぬ。っていうか、ほんとに死んじゃう!
【自己否定】
急いで固有スキルを使って、なんとか事なきを得た。……危ない。私としたことが、なんてミスを……、どうやら随分疲れているようだ。魔力を消費し過ぎたのかやけに眠いし、ひと休憩とった方がいい気がする。
……魔力探知に引っかかった反応からすると、暫くすればキールから応援の人員がやってくる。それまで、少し休むことにしよう。
リリィはそう決めると、アリスの横で寝転んで目を瞑った。




