99.対峙
僕が外の木の近くに転移すると、ルシウスの幻影体は壁をすり抜けるようにして建物の中から出て来た。
僕の幻影体なら、壁にぶつかる。肉体を持たないルシウスの幻影体だからなのか、他にまた別の魔法を使っているのか。
それすらも判別出来ない今の自分を歯痒く思うけど、未熟なのは仕方がない。これから学んでいくし、みんなに手助けしてもらいながらも、今やれることをやる。
だから、怯まず対峙すると決めていた。
「僕は、どっちも選ばないよ」
リュラを守って、見知らぬ他人の命が奪われることも。
それを知ったリュラが傷付かないように、守ることをやめることも。
「選ばないというより、両方を選んだというところでしょうか。よく神が許したものです」
僕がやったことは、ルシウスから見れば両方を選んだという表現も正しいだろう。
「この国の者、全員に加護を与えるなど…正気の沙汰ではありません」
無表情で声も淡々としているから、怒っているのか呆れているのかは分からない。
僕や聖者様も、サリアに提案されたときには規模の大きさに唖然とした。
だけどルシウスの目的が神への信仰を削ぐことなら、リュラを犠牲にすれば他の人間に手を出さないなんてことはないだろう。ルシウスもそうは言っていない。
だから、これはやって良かったと思っている。
そしてこれなら、リュラだけが異物扱いされることもない。
他者と違うことで排除されるなら、みんな同じにしてしまえばいい。
そして、僕にはそれが可能だったというだけだ。
みんなと別行動をして、国中に守護をかけて回った。
それだけなら1週間もかからなかったけど、さらに旅の進行を早めるための細工もした。
そのために、変装したダンに噂を流してもらうことが重要だった。
復活した聖者様が通る地から祝福が広がっていくらしい、と。
それに真実味を持たせるために、まずは聖峰の麓に戻ってから通った集落の順に人の気配を探っては守護をかけ始めた。そしてこの先通る予定の村や町では、ダンが噂を流した翌日には守護と同時に広域治癒も使った。
治癒は守護よりも、効果がすぐに分かる。病やケガが突然治り、人々は色めき立った。
聖者復活に伴う奇跡だと。
それは信仰心を高めるには十分なほど、人々の心を惹きつけた。
あとはその「祝福」がゆっくりと広がったと思わせるように魔法をかけて回った。この加減がなかなか難しくて、僕はみんなと合流する度にサリアと地図を見ながら確認をして、今ではもう国中どこにでも転移で行けるようになっている。
これで聖者様の行く先ではもう病気は治っているし、守護の力でケガ人も出ていないから、聖者様は人々に語り掛けながらも足を止めずに進むことが出来た。
そして今までのように「まずは教皇猊下に報告しなければなりませんので」という言葉で過剰な歓待も避けて、たった1週間で首都の手前にまで旅を進められたのだ。
本来、聖者様やルルビィのような称号持ちだけが受けられる加護を、こうも広く多くの人にかけていいものかとは思ったけど。
いけないのなら神が止めるなり、先んじてルシウスへの対処をしてくれればいいのだ。
それがない限りは、やれるだけのことをやると決めて、今日を迎えた。
リリスがまだ戻らないのが気がかりだけど、やったことは最初にサリアが提案したことだけじゃない。あれからもいろんなことを話し合って、何が出来るかギリギリまで考えた。
それを実行するためにも、リリスを待つためにも、話を引き延ばすようにルシウスに応じた。
「神が許したかなんて知らないよ、何も伝えてこないんだから。僕は怒ってるんだよ、やれることは何だってやる」
ルシウスは、少しだけ笑みを含んだような息を零した。
「神の子ともあろう者が、憎しみなどの負の感情に身を任せるのですか?」
「……憎しみ、とはちょっと違うよ。大事な人が危ない目に遭って怒ってはいるけど、憎むほど知らないからね」
神に背いた堕天使だとは、伝説のように聞いていた。
だけど直接知っているリリスとマリスの話からは、悪い印象はない。
目の前のルシウスはただ変わってしまったのか、変異の影響なのか、それすらも分からない。
「深く知ろうなどと思っているのですか? 憎悪で魂を堕とすことになるかもしれませんよ」
また淡々とした口調に戻って、表情も読み取りにくいし、言葉も真偽がはっきりするような使い方はしない。ルシウス相手には審判を使っても無駄かもしれない。
だけど前回は、魂を消滅させた罪を持っていることは感じられた。気を抜かずに様子を伺う。
「何も知らないままよりいいよ。僕は自分が神の子だってことも最近まで知らなかったんだ。もっと早く関心を持ってたら良かったって思ってるんだから…」
言葉の途中で、ルシウスの無表情が崩れたのを感じた。
眉をひそめて何かを言おうと口を開きかけたけど、呑み込むように軽く首を振る。
「…何も言ってこないとは、今回に限らずあなたが生まれてからも変わらずということですか」
何だか、聖者様が神に対して悪態をついているときの表情を思い出す。
神と意見が対立したという点では、ふたりは似ているのかもしれない。だけどこんな話でルシウスの余裕の態度を崩せるとは思っていなかった。
「そうだよ。母さんにだって、地上に生まれてからは言付けも何もない」
正確には、僕だけになら言付けは一言だけ受け取っていた。タタラのような存在を見つけたら出来れば拘束してほしい、と。
だけどそれだって、神が自発的に寄こしたものじゃない。旧文明の聖者だった人が伝えて来ると申し出て、初めて僕個人に伝えられたものだ。
「……愛する者が出来て子まで成したというのに、相変わらず頭の固い…」
額を押さえながら呟いたのは、さっき呑み込んだ言葉だろうか。
ついルシウスに同意したくなるところだったけど、丁度そのときに魔法が使われたのを感じた。
聖者様の、浄化魔法。
それは地中――感覚的であるけど、深い地下にある一点を示している。
ルシウスに隙が出来たこのときに、それが来たのは幸運だ。
僕はその地点に向けて、すかさず魂縛の魔法を放った。




