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70.浄化

「火傷も、あんたがやったの…?」


 ガルンの言葉を聞いたシャシルが、壁際から怒りに任せた歩調でガルンに歩み寄った。


「脅すなんて、そんなわけないじゃない! あの子はあんたの言いなりにしか出来なかったのに!!」


 ガルンにシャシルの声は聞こえていない。

 だけどまるでそれに反応したかのように、跳ね上がるように椅子ごと後ろに退く。


「俺…今、何を……」


 強制催眠が解けても、記憶は残っているようだ。口を両手で強く押さえているけど、出て来た言葉はもう隠しようがない。


「私にも直接話させて!!」


 あれほど人前に出るのを躊躇っていたシャシルが、ガルンに言葉が届いていない苛立ちで悲鳴のような声を上げる。

 こんな状態で話をさせて大丈夫なのか。聖者様も少し考えている。


「…いずれ出て来ないといけないしな」


 小さく呟いたあと、聖者様はガルンの話に憔悴している司祭の肩にそっと手を置いた。


「実はもう1人、気配を隠していました。今から姿を現します」


 あまり驚かせないようにという配慮だろう。だけどこれから、もっと心労をかけてしまうことになる。


「は…はい……」


 事態に混乱しながらも司祭が頷いたのを確認して、僕はシャシルの気配隠蔽を解く。


「…シャシル?!」


 司祭はやっぱり驚いてしまったけど、それは突然現れたからではなく、現れた人物を見てのようだった。


「無事で良かった…皆、心配していたのですよ」


 立ち上がって側に寄る司祭に、聖者様が差し障りのないことだけ説明する。


「樹海にいたのです。村に帰りづらいようでしたので、ひとまず姿を隠したまま連れて来ました」


 樹海と聞いて、司祭は顔を曇らせた。


「首都で辛い思いをしたのではありませんか? まともな仕事に就くなら、身元証明書が無ければ難しいし……」


 首都で働くという、嘘の書き置きを信じていたんだろう。だけどそこから言い淀む司祭に、シャシルは全身に悪意を纏わりつかせたまま、強く言葉を発する。


「知ってるよ! だけどどうせ、私なんかじゃ無理でしょ!!」


 身元証明書の発行は、おじいちゃんもやっていた。それに聖者様に付いて村を出るときに、僕も発行してもらったから知っている。

 そこには親の職業まで記載されるから、墓守りではまずどこにも雇ってもらえない。それ以前に墓守りの人手が足りていないし、風習としても村長が許可しないだろう。


 聖者様がルルビィを連れ出せたのは、聖者という立場と「弟子にする」という建前を使った、本当に強引な手段だったのだ。


「とにかく家族も心配しています。連絡しましょう」

「会いたくない! それに私は…」


 出来ればこの村で顔を出したくなかったのだし、樹海でしていたことを伝えればシャシルだって拘置されるかもしれない。


「この少女については、私から話すよりも本人に懺悔して欲しいと思っています」


 シャシルが勢いを削がれた顔をして、聖者様に視線を向ける。


 懺悔とは、罪を反省して司祭に告白し、司祭を神の代理として赦しを請うことだ。

 懺悔を聞いた司祭には守秘義務があり、それがたとえ犯罪でも、告白内容を理由に罪に問うことは出来ない。


「ですがまだその決心がつかないようですので、説得の時間を頂きたいのです。…そうですね、今夜一晩待っていただきたい」


 本来なら懺悔はその性質上、人に説得されて行うものでもない。これは今晩…つまり、タタラが予知した時刻までシャシルの行動を見届けるための口実だろう。

 シャシルもそれに気付いたらしい。反論もせず、黙って顔を背ける。


 そして聖者様の口ぶりから、懺悔の内容が些細なことではないとも分かる。司祭は心配そうにシャシルを見つめたけど、今ここで聞いてしまっては懺悔にならないことも理解しているはずだ。


「分かりました、シャシルの家族には明朝まで待つように連絡しましょう。ご用がありましたら深夜でも構わずお声をお掛けください。お食事と寝室も用意しておきます」


 村の人たちの対応をした時間稼ぎは上手くいっていて、ここで話した時間も思ったより長かった。時計を見るともう夜の10時近い。あと2時間ほどでタタラの予知した時になる。


 司祭は席を外そうとして、口を押えたまま冷や汗にまみれているガルンをどうするか思案するように見つめた。


「シャシルの説得には、もう少しこの者の話も聞かなくてはいけないのです。このままで構いません」


 聖者様は司祭を労わるように微笑みながら、今は理由を言えない、とばかりに口元に人差し指を当てて退出を促す。

 この整った顔でこんな仕草をすると、老若男女問わず見惚れて言うがままになってしまいそうだし、聖者様自身が分かっていてやってそうだから僕には胡散臭く見えてしまうけど。


 そんな聖者様が司祭を部屋の外に送り出して扉を閉めると、その音で我に返ったようにガルンがシャシルを睨み付けた。


「お前、忌咎(きこう)族の…お前がフィナに余計なこと吹き込んだな?!」

「何が余計?! お母さんが流行り病になったときのこと? 樹海の危ない場所? あんな小さい子が1人で森に行こうとしてたら、声かけて当たり前でしょ! あんたみたいに酷いこと考えてるなんて思わないし、分かってたら告発してやったのに!!」


 2人とも、悪意のぶつけ合いで共鳴するように興奮が酷くなっている。

 そしてそれは、ダンとサリアにも影響していた。


「ホントにどうかしてるよ! なんだって嫁さんや子どもにそんな酷いこと出来るんだよ!!」

「妄想も甚だしいわね。首都で他国の騎士や剣士が職人探しなんてしてたら、噂になってるわよ。そんなの聞いたことないけど!」


 2人とも我慢して聞いていた分、反動が来ている。だけど他人の悪意に当てられて感情的になると、善意の抗議のつもりでも嫌な感じが湧いて来るのを僕は知っている。

 この状態は、やっぱり良くない。


「ちょっと落ち着いて」


 そう言いながら、部屋の空気を入れ替える程度の気持ちで浄化魔法をかける。淀んだ空気のように籠っていた嫌な感じが、とりあえず消えた。


「あ…?」


 興奮していた全員が、どうして自分がそこまで昂っていたのか不思議なように、毒気の抜けた表情になる。ルルビィは神具のお陰か、それほど影響を受けていなかったようだけど、不思議そうな顔はしている。


「あ、ちょっとだけシャシルの気持ちが落ち着いた? ふ~ん、こういうことも出来るわけ」


 興味深そうなタタラの反応に、しまったと思う。つい孤児院にいた頃を思い出して浄化を使ってしまったけど、聖者様にやってもらったほうが良かっただろうかと視線を向けた。

 聖者様は何だか呆れた様子で、額を押さえている。


「…普通の浄化は、肉体の中の魂にまで作用しない。目に見えて分かるほど変化しないんだよ」


 そんなに強くかけたつもりはなかったけど、十分地上の規格外だったらしい。


「えっと…でもこれくらいなら考え方まで変わるわけじゃないし、話を続ければすぐまた戻りますよ。いつもはそうなる前に別の場所で物音を立てたりして、みんなの気を逸らせてたんですけど…」


 そう説明すると、聖者様は少し考えて頷いた。


「魂の穢れそのものまで浄化したわけじゃなくて、滲み出てるものが消えたくらいか。そのくらいならまぁ……神のご加護で、ってことには出来るか…」


 溜息を吐きながらも、椅子に座り直して再びガルンに向き合う。


「この通り優秀な使徒がいますので、また先程のように強引に聞き出すことも出来るのですが。せっかく落ち着いたのですから、あなたも懺悔されてはどうでしょう? 正直に話せば、罪が軽くなるかもしれませんよ」


 テーブルに肘をつき、手を組んでにっこりと砕けた笑顔を見せる聖者様は…何か企んでいるようにしか見えなかった。

次話「懺悔」、5/17(金)夕方頃に投稿予定です。

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