62.姉妹
流行り病が消滅したあと、親類に引き取られた孤児院の子が何人かいた。
僕もその1人だ。
そしてフィナの妹もその頃、親元に戻さないかという打診はあったらしい。
だけどフィナの父親は「2人も育てる余裕はない」と断った。
「親戚のほうも余裕があるわけじゃなくて、預けに行ったときも渋られたらしくて。だから孤児院に入れられるかもって、フィナは心配してたんだよ……でも自分の家に引き取られるよりはマシだろうって、寂しそうだったけど諦めてたし、それきり何の話もなかったから私も忘れてて…」
シャシルは悔しそうに俯いて一度固く目を閉じてから、再び顔を上げる。
「あの父親のことだから、家のことをやらせるために連れ戻してるかもしれない。もう8歳になるはずだよ。フィナだって、その頃には家事全部と採取までやらされてたんだから…フィナはきっと、そんなこと望まない」
聖者様とルルビィが顔を見合わせる。それは普通に村で暮らしていたら、忘れていても分かったはずのことだ。
「君は家に帰っていないのか?」
タタラが食べ物を集めていたという話もしていたし、傷みの激しい服装から、まるで野宿を続けているような印象はあった。シャシルはそんな服の裾を隠すように押さえて頷いた。
「…村の人と揉めたくないって黙ってたお父さんたちも嫌だったし、最初は私もすぐにフィナの後を追おうと思ったけど。そこでまた、死のうとしてる人を見つけて…失敗しそうだったから、その木の枝は見た目より脆いから多分途中で折れるよって教えたの。丈夫で、登りやすい幹がある木まで案内したら『ありがとう』って言われて…」
多分、首を吊るための木の話だ。
そんなことを淡々と語るシャシルの心も病み始めているように思える。タタラはそんなシャシルを、少し悲しそうに見つめていた。心なしか、僕に絡んで楽しそうにしていたときと逆に、髪色まで沈んで見える。
シャシルが転んだときにはあまり心配しているようには感じなかったのに、その反応の差が気になる。
「フィナは、苦しみが長引いてる人も観察してた。すぐ死ねた人と、どう違うかって…だから私も分かるようになったんだよ。それで人を楽にしてあげられるなら、自分が死ぬまでの間くらいは協力しようと思ったの。でも1度家に帰ったら、すごく心配されてて。もう家から樹海に通うのは無理って思ったから、首都で働くって嘘の書き置きを残して出てきたんだよ」
その話に、聖者様が少し首を傾げた。
「それまでもずっと樹海に通っていたんだろう? どうしてそのときだけ心配されたんだ?」
「え…それは……」
明らかにシャシルの視線が泳ぐ。
「私も躊躇いはあったし、案内なんてしてたから暗くなって…一晩、樹海で過ごして帰ったから…」
何か隠してそうな様子だけど、聖者様が気付いてないはずはない。
「夜の樹海なんて、もっと危ないでしょう? どうやって過ごしているんですか?」
ルルビィが心配そうに尋ねるから、聖者様はそれ以上言わなかった。やっとシャシルがいろんなことを語り始めたのだから、あまり問い詰めたりしたらまた口が重くなると考えたんだろう。
「大掛かりな捜索のときだけ使ってた小屋があるんだよ。今はそこまで奥の捜索はしてないから、ずっと使ってなくてボロボロだけど。捜索で遅くなったら遺体と同じところで寝てたんだから、臭いがしないだけ今のほうがマシ」
僕も、数日葬儀が出来なかった遺体の臭いなら知っている。
助祭のおじいちゃんでは正式な葬儀は出来なくて、隣村の司祭がすぐに来られないときもあったからだ。
普通の人なら、あの臭いの中で眠るのは難しいと思う。だけどシャシルは、数日どころではなく腐敗した遺体の臭いも知っているんだろう。
それよりはマシ、というような環境で1年近く過ごして。人を死に誘惑し続けて。
でもタタラの言うとおりなら、その度に悲しい思いをするくらいに、まだまともな精神も持っている。
いっそメリアほどに狂えてしまったほうが楽になるのでは、と考えてしまう。だけどそれは、自害で楽になるという考えに近いような気がして、自分の考えを振り払うように頭を振った。
「その妹が預けられている村は?」
まずはシャシルが気に掛けていることをはっきりさせるほうがいいと思ったんだろう。聖者様が訊いてシャシルが答えたのは、僕たちが今朝出発してきた村の名だった。
「それなら、君の村に行くより早く確認出来る」
聖者様は、僕に視線を向けて言う。転移で確認して来い、ということなんだろうけど。
「…いいですけど、拘束は解けますよ」
遮音や気配隠蔽くらいなら、かけたまま離れることも出来るけど、魂縛は無理だ。だけどタタラを拘束したまま連れて行くわけにはいかないし、そもそも僕にどの程度のことが出来るのか興味を持っているタタラに、転移のことを知られていいのかも迷う。
「予知した時まで見届けたら、大人しく帰るからさ。別に逃げねぇよ」
タタラの言葉は、シャシルへの執心から考えて、本心だと思えた。
「満月の南中時刻って真夜中ですよ。その娘の村まで行って直接確かめてもいいんじゃないですか?」
サリアは、傾き始めた太陽を気にしている。
ここから村まで歩いてどのくらいかかるか分からないけど、明るいうちに移動したほうがいいというのは頷ける。
「私の…村…」
シャシルが苦しそうな表情で、服の胸元を握りしめた。
教会へ引き渡してもいいと言ったのは、ただ必死の訴えから出た言葉だったんだろう。実際に村へ戻る話が出てくると、躊躇いがあるのが分かる。
「その子が安全ならそれでいいの。だけど私を引き渡すのは…他の村の教会じゃダメかな…」
嘘をついて家出した村だ。戻りにくい気持ちは当然だろう。
だけど問題を起こした樹海に一番近い教会のある村だし、家出したならまだ籍があるはずだ。他の教会というのは実際には難しい。
でも今は、そんな現実問題を突き付けていてもシャシルの心は変わらないと思う。
聖者様もそう考えたようだ。
「急かさなくてもいいだろう。先に確認しよう。その子の名前は?」
「……分からない。預けに行ったとき、まだ名前も付けて貰ってなかったから、フィナも聞かれて困ったって言ってたし…」
いくら男児を望んでいたとはいえ、名前も付けないまま人に預けるなんて。
母親も、産後間もなく流行り病に罹ってしまったんだろう。
「年齢と状況だけでも、調べれば分かるだろう。ライル、頼んだ」
もう一度視線を向けられて、頷き返す。
だけどやっぱり、タタラとシャシルの目の前で転移は使わないほうがいいような気がした。
2人から見えないところまで移動しようと歩き始めると、リリスだけが付いてくる気配がする。ずっと言葉を発していないのは、やっぱりタタラを警戒しているんだろう。
そして十分に離れてから、僕はリリスを連れて今朝出発したばかりの村の側まで転移した。
次話「変異」、3/15(金)夕方頃に投稿予定です。




