57.魂縛
シャシルと呼ばれた少女に睨まれても、少年はなぜ怒られているのか分からないという様子だった。
「だってさ、やりたくないんだろ?」
「そんなことない、私はやりたくてやってるの! 大体、私のためなら何でもするって言ったくせにどうして邪魔するの、このオバケ!」
オバケ、という呼び方からすると、シャシルはこの少年が肉体を持っていないことを理解しているらしい。
「ライルさん。あの魂を拘束できますか?」
「え?」
マリスが止めに入っているはずの少年に対して、いきなり拘束なんて言い出すから戸惑ってしまう。
「十大天使かそれ以上であれば、私どものように神具を使わずとも、魂を拘束できる力があるはずです」
十大天使より上といったら、本来は神しかいないはずだけど。
ルシウスなら間違いなく出来るし、神子としてならそれくらいの力はあるかという確認だろうか。
「えっと、“魂縛”ってやつ? 分かるけど、いきなり上手く出来る自信はないよ」
肉体がないのだから、メリアのときのように重力魔法で押さえられないのは、理屈でも解る。
だけど魂を拘束するなんて、自分が実際に使う能力としてはあまり意識していなかった。でも“神の怒り”と違って、はっきりと呼び名は分かる。
「ええ、そうです。やはり使えるのですね」
「でも自信がないのでしたら、またわたくしたちの時間を進めればよろしいですわ!!」
嬉々としたリリスの声は、やる気があるというより、天使姿のマリスに会いたいという期待の声に聞こえる。
「それも考えたけれど、やはり頻繁にするものではないと思うよ。天使といえど不滅ではないのだから、私はリリスとの時間を100年たりとも無駄にしたくないよ」
100年を、僕たちの感じる1分1秒のように語る。やっぱり、その辺りの感覚が違う。違うと思ったからこそ使ったわけだけど。
こうやって過ぎた時間を惜しまれると、勝手に時間を進めて悪かったかなとも思った。
「ああ…そうですわね! 未来の時間が少なくなってしまうのですものね! ライルさん、魂を拘束するのでしたら、こうバッーっとやってグッとする感じですわ!」
リリスの表現は、感覚的過ぎてよく解らない。
「私どもにも転移や時間加速を使ったでしょう。同じ感覚で良いのですよ」
「ああ、そういえばそうだったね」
確かに、地上の人や物にも使う魔法は、深く考えずに幻妖精たちにも使っていた。
「どうしても上手くいかなければ、私どもをお使いください」
「え、本当に捕まえるの?!」
確認だけかと思っていたのに、本気らしい。
マリスの説明で少し理解出来た気はするけど、実際にやってみるとなるとやっぱり少し自信がない。
「あの服装は、この時代のものではないでしょう。それほど長く幽霊として逃げおおせたとは考えにくいのです。ですが人間の魂が階層の歪みも使わずに天界から地上に来る方法は、転移くらいなのですよ」
転移が使える魂だとしたら、それは天使級ということになる。
「そんな高位の魂が精霊化もせずに地上の人間に関わっていたってだけで、天界が介入するべき案件だ。あいつが何かやったら、すぐ拘束しろ」
ルルビィから目を離さない聖者様の言葉は、すぐそこに駆けつけられない苛立ちがひしひしと感じられて、質問を返しにくい。
「精霊化って…?」
仕方なく、幻妖精たちに訊いてみた。
サリアはダンの後ろに隠れたまま少し体を固くしているけれど、視線と耳はきっちりこちらを向いている。
「天界の魂も、神がお許しになれば地上に干渉することが出来るのです。ただし今の私どものようにならなくては魂に負荷がかかりますので、元の姿で現れることは出来ません」
「精霊化すると夢で助言するくらいしか出来ませんのに、特定の一族や場所に干渉したがる魂は多いですわね!」
それは残した家族への情や、故郷への想いというものだろう。
その話の通りだとしたら、あの少年は夢だけでは止められないシャシルの行動を、魂に負荷がかかってでも止めに来たんじゃないだろうか。
だけど僕たちの考えは、結局何の事情も分からない推測でしかなかった。
「シャシルのためなら何でもやるとは言ってない。シャシルが自殺しないなら何でもやるって言ったんだよ。だから食べ物とか集めるのは手伝ったのにさぁ、何で自分が悲しくなること続けてるわけ? 俺が代わりにやってもいいのに」
「ダメ! これは私がやらなきゃいけないの! 大体、私が死のうがあんたに関係ないでしょ!」
シャシル自身が死ぬとか、代わりにやるとか。
今の状況自体が予想外だけど、もっと混乱する言葉が次々に出てくる。
「俺はお前が大事なだけなんだけど」
腕を組んだ気怠そうな態度と、真面目な内容の言葉がどこか釣り合わない。
「ホントは地上に来るのはマズいし、神とか天使とかに見つかったらかなりヤバいんだけどさ。それでも自殺だけはして欲しくないんだよ。転生出来なくなるとか、聞いたことねぇの?」
神に仕向けられて来た聖者様と、仮堕天中の天使がここにいる時点で、この少年にとっては既にマズい状況なわけだけど。
「大事? 私なんかが? 私の名前も知らなかったくせに、なんでそんなこと言うの? 」
シャシルの瞳からは、涙が流れ始めていた。
「転生出来ないって、天に召されないってやつ? いいよ、こんな世の中にまた生まれたくない。私があんたみたいに自分の都合で『死なないで』なんて無責任に止めたせいで、余計に苦しんだ子がいるんだよ。だから死にたい人を楽に死なせてあげるのが私の償いなの!」
言い合っているうちに、さっきまで笑顔で隠していた感情が溢れてしまったようだった。
そして、自害に手を貸している理由も少しこぼれ出た。
「死にたい人ねぇ…あんた、死にたいわけ?」
そこで初めて、少年はルルビィに視線を向けた。
ただでさえ強張っていたルルビィが、息を呑んでいるのが分かる。
聖者様が動きそうになったけど、ルルビィが言葉を絞り出すほうが早かった。
「…そういう気持ちが、全くないと言えば噓になります。でも…それは私じゃない感情のせいで、私は自分で命を捨てていいとは思えなくて…」
「意味が分からない、無理してるだけでしょ! 私、死にたい人をいっぱい見てきたから分かるんだよ!」
気が立っているのか、シャシルが被せるように言う。少年はその間、薄目でルルビィを見つめていた。
「ああ、人格が2つあるのか。でも片方は薄いよな。残留思念ってやつ?」
上位天使ですら分からないという、肉体の中の魂の状態を言い当てた。
さらに…
「えっ…」
思わず声が出る。
さっきと同じように、空間の歪みが見られなかったのに。
僅かな、何歩かの距離ではあるけど、少年がルルビィの前に一瞬にして移動して、その額に触れたのだ。
ルルビィの膝が折れるように、体が崩れ落ちる。
同時に聖者様が飛び出した。
これはもう、聖者様を止めるどころではないし、手荒だとは思うけど少年を拘束するべきだろう。
初めて使う魔法は、その名称を強く意識して、手の平から放出するイメージを思い描くと使いやすい。初めて植物に時間加速をかけたときも、さっき少年がルルビィの額に触れたように手をかざした。
――魂縛!
気配隠蔽を解くと同時に、少年に向けて力を放つ。
「わっ?!」
少年の両腕が、見えない縄に縛られたように体に固定される。何とか成功したようだ。
「ルルビィ!」
聖者様がルルビィに駆け寄るのを見て、少年は緊張感のない声を出す。
「なんだ、監視付きだったのかよ。マズいなぁ、こっちで揉め事起こす気はなかったんだけど」
そして魔法を放った僕を見て、少し楽しそうな表情を浮かべた。
「けど、地上にこんな力を使える人間がいるなんて聞いてなかったな。面白ぇ、ケンカ売るなら買うよ?」
ずっと怠そうにしていた少年が言葉と共にはっきり感情を表わすと、その赤い髪と瞳が、炎が揺れるように僅かに白みを帯びた。
次話「罪」、2/2(金)夕方頃に投稿予定です。




