51.最初から
聖者様が歩きながら話す内容を聞いていると、今日中に樹海の問題を解決するというのは、想像以上に難しそうだった。
僕はただ、自害を手伝っているという人を見つけて教会に託せばいいのかと思っていた。
この国は聖教会が法を定めているから、ちょっとした揉め事くらいなら集落ごとにある教会で調停することになる。そこで手に負えなかったり、重い罰が必要な犯罪だったりすれば、支部教会や教皇庁と大きな教会へ送られていく。
だけど今の法律だと、自害の手伝いというのは罪に問うのが難しいらしい。
直接手を貸したならともかく、天使たちが調べたときには助言程度しかしていなかったそうだ。それだと教会の監視下に置かれるか微妙で、厳重注意をすることしか出来ないこともある。その場合は改善に繋がるかはかなり怪しい。
「探すのは俺も頑張りますけど…そんな奴のところにルルビィさんと行って大丈夫なんスか?」
人探しとなると、ダンの能力が頼りになるだろう。
だけど今回は、僕にもできることはある。
「天使の話だと若い女だそうだから、そっちの心配は大丈夫だろう。でも見つけるだけじゃ『ただ森を歩いていただけ』なんて言われてしまえばそれまでだから厄介なんだよ。見つけた後のほうが問題かもな…正直、1日で済むかどうか」
そうなるとまた近くの村に泊まるしかないし、聖者様はもうルルビィを人の多いところに連れて行く気はない。東部教会に連れて行くとしたら今日、陽が落ちる前が限界だ。
「僕は知らない人の気配でも、いるかいないかくらいは分かりますよ。そんな樹海だったら普通の人はいませんよね?」
僕の言葉に、聖者様はルルビィが吐いた日の夜を思い出したようだった。
「そうか、人数まで分かってたな。範囲はどれくらいだ?」
「5km先くらいまでなら」
それ以上は試したことがないけど、そのくらいだろうという感覚がある。
「…一応教えておくと、聖騎士でも教皇庁全体は無理だからな」
常識内の規格を教えてくれはするけど、どうしても呆れたような笑いがついてくる。
「でもあの辺りの樹海って、相当広いはずよ」
僕は樹海の広さを理解していなかったけど、サリアはこの国の地理くらいはしっかり把握していた。最近増加傾向にあることは知らなくても、自殺の名所と呼ばれていることは知っていたそうだ。
「ダンの能力で、大体の方向を当てられるだろう。そっちに進みながらライルが気配を探ればかなり見つけやすくなる」
ついでに転移を使えばもっと早く見つかるだろうけど、どうにもみんなまだ転移の感覚に慣れなくて、なるべく避けたいらしい。
まあ、すぐに見つからなければまた僕1人で場所を確認しに行けばいい。
「聖者様」
ルルビィが繋いだ小指を軽く引いて、聖者様を見つめた。
「焦って近づいては逃げられてしまいます。警戒してしばらく身を隠してしまうかもしれません。私のことは気にしなくて構いませんから、慎重に探しましょう」
聖者様の勢いを鎮めるように、落ち着いた声で語り掛ける。
ルルビィがわざわざこんなことを言うんだから、僕とダンとでかなり早く見つけられそうな目途が立って、聖者様が少し冷静さを欠いていると感じたようだった。
「分かってる。だけどやっぱり、出来れば一緒に行って俺からも君のことを頼みたい」
一緒に行きたい気持ちは、曇りない本心だろう。
だけどその裏で、母さんが処女受胎だということにしておきながら奇跡認定の申請をしなかったことを知っていると匂わせて、ルルビィの待遇について都合のいいように脅迫…いや、「頼む」気でいると思う。
「でも、理由は…神具を身に着けておきながら、呪いを受けたとは言えません。教皇猊下の威信に関わります。今の私の状態は、心が病んでいると言ったほうがいいでしょう」
聖者様を見つめるルルビィの瞳から、強い決意を感じる。
心の病は治癒魔法では治せない。メリアの呪いは心を病ませるようなものだから、確かにそう説明しても嘘ではない。
だけど心の病だとしても、婚約者のいる女性が修道院に保護されることは、相手から逃げるためだと思われるのに変わりはないだろう。むしろ婚約者のせいで心が病んだと思われかねない。
「婚約破棄、してくださいね」
この言葉も決意の中に含まれていたんだろう。
「婚約破棄しても私が修道院に居続ければ、聖者様のせいじゃないって世間のみなさんも分かってくださるでしょうでしょうから」
それは構わないと言ったはずの聖者様だけど、やっぱり寂しげに笑う。
「俺はどう思われても気にしないけどな」
「私が気にします。婚約者に逃げられてしまう聖者だなんて思われたら、聖者様のお役目にも支障が出るじゃないですか」
信仰を集めることも聖者の役目だから、確かにそんな噂が立つのは望ましくないんだろう。
それよりも、聖者様の外面が剥がれるほうが支障があると思うけど。
「…分かった。教皇庁に行ったら教皇に話をしておく。だけどサリアに聞いたとおり、再婚約も出来るし、なんなら婚約なんて飛ばして結婚することも出来るから」
「ついでに言えば、状態が落ち着いたら改めて他の男性を意識するのもいいわよ。やっぱり普通に恋愛を経験してからのほうがいい気がするのよね」
未練だらけの聖者様の言葉を、サリアがバッサリと切り捨てる。
ルルビィにとっては想いが実った婚約だったけど、当時の聖者様にとっては9歳の弟子に対する思いやりからの婚約で、自覚がなかったとはいえ恋愛からの婚約とは言い難い。
「けどサリアの兄さんたちって、上手くいってないようには見えなかったけどなぁ?」
ダンが聖者様につられて温泉で盗み聞きしていた話を口にしてしまい、サリアにキツイ視線を向けられて肩をすくめる。
「あの状態を放置しておくほど、兄も甲斐性なしじゃないわよ。来客時以外の食事は夫婦だけで別にするようになって、来年には私、叔母さんになるみたい」
政略結婚でも、仲のいい夫婦になる人たちはいる。
サリアのお兄さんたちは大丈夫だったようだ。
「でも、そうですね。私は…聖者様が復活されれば、ただそれだけで幸せになれると、盲目的に思っていました。だから…いつになるか分かりませんけど、もしかしたらすごく歳をとっているかもしれませんけど。…その、最初から…」
聖者様が足を止めて、ルルビィの正面に向き合う。
近づきすぎて体が触れないように気をつけながら、しっかりと視線を交わす。
「そうだな。最初から、恋愛から始めようか」
「…はい!」
サリアが提案した「他の男性も意識すること」を盛大に無視して、堂々と今から交際の申し込みをしてしまっている。
そもそもルルビィも、聖者様以外の男性は視野に入っていないようだけど。
久しぶりにその「はい!」という明るい声を聞くことが出来た。
サリアも自分の提案が却下されることは想定済みだったようで、溜息をつきながらも呆れたような笑みを浮かべている。
そんな少し和んだ雰囲気の中で。
たとえ毎晩会えても、小指以上に触れ合うことも出来ない。
そして6年間の心の支えでもあった、婚約を破棄すること。
それがルルビィにとって、どれだけ重く辛いことか。
聖者様は分かっていたかもしれない。もしかしたら大人であるダンとサリアも。
だけど少なくとも僕は、その辛さをちゃんと理解は出来ていなかった。
次話「囮」、12/15(金)夕方頃に投稿予定です。




