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46.油断

 聖者様が扉を開けると、サリアと教会の修道女2人が隣の部屋の前に立っていた。

 サリアは聖者様の姿を認めると、一旦修道女たちに視線を戻す。


「聖者様にお話ししてますから、すみませんけどお願いします」


 そう言われた修道女たちは、深く頭を下げてからサリアたちの泊っている部屋へ入って行く。その手には水桶や雑巾が持たれていた。


「すみません、起こしてしまいましたか」


 サリアは自分の声が大きかったせいだと思ったらしく、申し訳なさそうに歩み寄ってくる。


「いや、まだ起きてたから大丈夫だ。何かあったか?」

「…ルルビィさんが、吐いてしまって…」


 躊躇いがちに告げるサリアに、聖者様が問い詰めるような勢いで迫った。

 ルルビィさんに関することになると聖者様は我を忘れる。僕は反射的に自分たちの周りの狭い空間に遮音魔法をかけた。


「どうしてすぐ俺に言わなかった?!」


 案の定、修道女たちに聞こえそうな大きさで、いつもの口調が出てしまっている。サリアは少し疲れたように息を吐く。


「治癒魔法は精神的な要因には効かないし心配させるから言わないで欲しいって、ルルビィさんが。でも明日には言うつもりでしたよ」


 聖者様はもう眠っていると思っていたようだから、サリアも気を遣ったらしい。

 それにルルビィさん自身が精神的な要因と言っているなら、今日は思ったより無理をしていたんだろう。


「…だから掃除道具を借りに行ったんですけど。聖者様の婚約者が吐いた上に、病気じゃないって言ったら、彼女たちが何だか変な想像をするから、つい…」


 サリアは頭が痛そうに手で押さえる。

 聖者様はこの教会で僕たちを紹介するときにルルビィさんを婚約者だとは言わなかったけど、その手首の神具を見れば誰もが気づいていたと思う。


 そしてこの状況で、サリアが苛立つような変な想像といったら…悪阻(つわり)、だろう。


 今の聖者様には、笑い飛ばせるよう勘違いじゃない。


「ああ、だから俺は昨日復活したばかりだと…別にこんな状況じゃなくたって、結婚までは我慢するつもりなんだが」


 聖者様もサリア同様に頭の痛そうな顔をするけど、そもそも神に言われたことを守る気もないし、さっきまで理性がどうとか言っていた上に「つもり」だなんて言われてもあまり説得力がない。


「…復活から期間が空いていたら、私だって否定しきれませんよ…」


 目を逸らして小声でつぶやくサリアも、そこはあまり信用していないらしい。


「とにかく入るぞ。この状況で女性部屋だからとか言わないでくれよ」

「でも、治癒は効かないんでしょう?」


 引き留めるように声をかけるサリアに頷く。


「根本的にはどうしようもない。だけど胃液で喉を痛めたりしていたら、それくらいは楽にしてやれる」


 僕はそこまで思い至らなかった。これが多くの病人と接してきた聖者様との経験の差だろう。


「言葉、気をつけてくださいよ」


 僕まで入ることもないだろうから、聖者様に念押しをしておく。


「ああ。今のは遮音してくれてたんだろう?」


 そう言って笑ってみせる聖者様を見ると、なんだか僕がやることを分かってやっていたように思える。

 信用されているとも受け取れるけど、それで油断されても責任は持てない。


 戻ってきたら、ちょっと油断をついてみよう。

 そんなことを考えて、ふと気がついた。僕は聖者様に会うまで、他人に意趣返しのようなことをしようなんて、思ったこともなかった。

 だけどいつの間にか、聖者様に対しては別に悪意ではなくそんなことを考えている。

 これも人から関心を持たれやすいという、聖者の特性というものだろうか。

 そう思いつつ2人を見送り、僕は元の部屋に戻った。




 ***




「僕って神に似てる?」


 聖者様が戻ってくるまでじっと待っているのも退屈だから、僕はマリスに話しかけていた。

 リリスは隣は女性部屋だからと、聖者様について行っていた。


「リリスに話は聞きました。確かに銀糸のような髪でしたら特徴は似ていると思いますが、お顔立ちはお母様似だそうですよ」


 神に似ていると言われるより、母さんに似ていると言われるほうがなんだか嬉しい。こういうところが、まだ母親離れ出来ていないということだとも思うけど。


「仮に僕がルシウスだったとしたら、何のために地上に生まれさせられたと思う?」

「さきほどは申し訳ありません。もうその件はお忘れください…」


 自分の言葉を反省して、マリスはまた沈みこんでしまう。

 聖者様には考えるだけ無駄だと言われたけど、今は時間もある。


「それは気にしてないよ。でも僕にとっては母さんが騙されたり思い違いをさせられてるかもってことのほうが気になるんだ」

「…あくまで仮定の話ということであれば…」


 僕への贖罪のつもりでもあるのか、真剣に考えている雰囲気が感じられる。


「神は地上を最も重要視しておられるので、地上の感覚を学ばせるため、でしょうか…」


 それは僕が、幻妖精たちに対して感じたのと同じことだった。


「ですが、魂の記憶を消してしまうと元には戻りません。ライルさんの記憶が地上に生まれたときからならば、天界に戻っても天使として復帰するのは難しいでしょうし…やはり解らないのですよ」

「神の子だとしたら? 地上の感覚を学ばせるために、長く居続けさせるっていうのは納得できる?」


 マリスはハッとしたような声を出す。


「そうですね。大事な方を悲しませたくないという話を合わせても、そちらのほうがよほど納得できます。それにそう考えれば、私どもも幻妖精という姿だから地上に居続けられるのです。ただの罰ではなく、私どもにも地上を学ばせるおつもりであったのかもしれません」


 マリスも僕の考えと同じところに行き着いた。

 どれだけ話しても憶測に過ぎないけれど、母さんの信じていることが真実であってほしい。だから天使の考えと一致するというのは、少し安心する。


 そんなことを考えていると、ようやく聖者様が部屋に戻ってきた。

 真っ先にリリスが「ただいま戻りましたわ!」と声を上げて飛び込んでくる。


「ルルビィさん、どうですか?」


 大丈夫ですか、とは聞けない。そんなわけはないだろうから。


「頭を撫でてたら寝つけたよ。…しばらくは保護者役に徹底だな」


 聖者様は懐かしいような寂しいような、複雑な面持ちをしてベッドに腰掛ける。


 ルルビィさんが眠れたなら良かったけど、問題は聖者様だ。

 予想していた通り、座ったまま考え込むようにして、体を横にしようともしない。


「昨日も眠れてないでしょう。この体だって、睡眠はちゃんととらないと本調子はでませんよ」


 僕は立ち上がって、聖者様に近づいた。


「お前だって、子どもは寝る時間だろう…何だ?」

「僕が使える魔法、知っておいてもらおうと思って」


 不審げに顔を上げた聖者様が、そのままのけ反るようにしてベッドに倒れ込んだ。


「ライルさん…強制催眠をかけましたね」


 マリスの口調はあまり驚いた感じがしないから、これはそんなに規格外の魔法じゃないんだろう。


「明日はまた、朝から村の人が集まるだろうし。無理やりでも少しは休んでもらわないと」


 聖者様の靴を脱がせ、体を浮かせてベッドに寝かし直す。

 今日、ルルビィさんが軽々と抱き上げられていたのを見て、僕もリュラに何かあったときには魔法なしでもあんなふうに出来るようになりたいとは思ったけど、まだまだ力が足りない。


 そして僕も自分に割り当てられたベッドに戻る。


「妥当な処置だと思いますわ! サザン様が暴走しそうになったときにもやってほしかったくらいですの!!」


 そうは言われても、あの場でそれはちょっとやり過ぎな気がする。


「入眠作用しかないから、周りが騒がしかったらすぐ目が覚めるよ」


 だけどすぐに深い眠りについた聖者様はやっぱり睡眠不足状態だったはずだし、精神的にも疲れていたんだろう。


「僕も寝るね。おやすみ」


 燭台の火を消して、僕も横たわった。

 僕自身は別に魔法を使わなくても、眠ろうと思えばすぐに眠れる。


 こうしてやっと、長い1日が終わった。

次話「証明」、11/10(金)夕方頃に投稿予定です。

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