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23.翌朝

 夜が明けた。


 昨日はいろいろなことがあり過ぎた。

 窓から差し込む朝日を避けて、ベッドの上で横向きになる。


 この家は大家族だった時代もあったから、部屋数に余裕がある。

 だから僕も、一人で使うには広いこの部屋を個室として使えていた。

 そのおかげで、昨夜のように母さんのところへ行き来することも気楽にできたけど、これからはそうもいかなくだろう。


 そう思って起き上がり、改めて部屋を見回す。

 旅支度はもう整えているけど、私物と呼べる物は衣服くらいだ。


 庶民の子どもはどこの家もそう変わらないだろうけど、孤児院での習慣で何に対しても共有物だという感覚が特に強いのかもしれない。


 この部屋ともお別れだな、と思ったとき、その「共有物」が目についた。




 ***




「おじいちゃん、おはよう」

「おはよう」


 おじいちゃんは、教会の掃除のために井戸で水汲みをしていた。

 本来ならリベルの仕事になるところだけど、朝は孤児院のほうが忙しいからおばあちゃんとそちらに行っている。


「あのさ、僕の部屋に石板があるでしょ」


 顔を洗って、おじいちゃんが運ぼうとしていた水桶を代わりに持つ。


「僕に連絡したいこととかあったら、あれに書いておいてよ。聖者様のおかげでいろんなことできるようになるから」


 聖者様のおかげで「堂々と」できる、ということだけど。

 それでも天使(クラス)だという転移を見せるのは驚かせすぎるだろうから、少し回りくどいけどこのくらいがいいかと思った。


「お前も、お母さんみたいに不思議なことを言うなぁ」


 母さんを思い出したのか、懐かしそうに笑っている。

 それでも、疑っている様子はなかった。


 この国の識字率は、かなり高い。

 学校がない辺境の子どもも、教会で教わることができるからだ。

 だけどこの村は、教会の人手不足のせいで習得度別に少しずつしか教えられない状態になっている。

 それで余った石板を、僕が部屋に置きっぱなしにしていた。


 そんな状況だから、墓石に文字を刻んだり、墓地の管理のために記録を残している墓守りのほうが、よほど読み書きができる。


「ここの村長は、墓守りにあまり厳しくないよね?」


 礼拝堂まで並んで歩きながら、昨日気になっていたことを聞いてみた。


「今はね。流行り病で墓守りも少なくなって、いなくなれば困ると身に染みたからだよ」


 それなら昔は、ルルビィさんのようなことがここでもあったのかもしれない。


「だけど身内を亡くしていない人は今も実感していないし、あの頃を知らない世代ばかりになったら、みんな忘れてしまうんだろうね…」


 根強い風習に抗うのは、そんなに難しいのか。

 時間が経つと人間は忘れる。そんな話を聖者様もしていた。


「もういいよ。みなさんにも水を持って行ってあげなさい」


 礼拝堂に着くとおじいちゃんにそう言われ、水桶を置いて改めてそこを見渡した。

 ここは神に祈る場所。

 そしてその神が、僕の父親。


 だけどどうしても、そんな実感は湧かない。

 多分理解できていないことも多い。きちんと説明できるだろうか。

 そしていつ、どう切り出すか。


 昨夜は男女別に2部屋で泊まってもらっている。

 今からだと、聖者様とダンだけに話すことになってしまうから、朝食のときかな。


 そんなことを考えながら水を汲んで2階に上がると、足音で気付いたらしいサリアが出てきて、すばやく部屋の扉を閉めた。

 すでに身なりは整えている。


「ライル、聖者様に早めに食堂にいらっしゃるよう伝えて」


 なにか困惑しているような様子で、出てきた部屋のほうをチラチラと見ている。


「話があるなら、今から一緒に…」

「男性部屋でしょう、入れないわよ」


 そうは言っても、これから旅をするなら全員雑魚寝ということもあるだろう。

 そんな僕の考えを、サリアはすぐに察したらしい。


「始めから大部屋だったりするのとは気持ちが違うの。ライルもいきなり女性の部屋に入ったりしないでよ」


 これには耳が痛い。

 母さんの部屋はともかく、リュラは2段ベッドが4つ並んだ女子部屋にいる。

 いくら気配隠蔽をしていても、僕がリュラしか見ないようにしていても、入ったと知れば不快に感じる子はいるだろう。

 早く、堂々と陽の下で会えるようになりたい。


「分かったよ。…ルルビィさんがどうかした?」


 洗面用の水差しを渡しながら聞くと、サリアは「しっ」と人差し指を口元にあてて、また扉のほうに視線を移す。


「ええ、そのことだけど。私もすぐに行くから、とくかく早くしていただいて」


 小声で話しながら水差しを受け取り、また素早く部屋に戻って扉を閉める。

 気になるけど、僕が心配するより聖者様に早く伝えたほうがいいだろう。


 男性部屋をノックして、ダンの返事があったので中に入ると、2人も支度を終えていた。

 でもベッドに腰かけたままの聖者様の目元がひどい。

 昨夜はあまり眠れなかったんだろう。


「顔を洗ってくださいよ。サリアが早く食堂に来てほしいって言ってます」


 水差しを渡そうとしながらそう伝えると、聖者様は受け取りもせず立ち上がった。


「ルルビィに何か?!」

「あまり大声を出さないでほしいみたいです。多分ルルビィさんに気づかれないように話がしたいんだと思いますけど」


 ルルビィさんのことになると余裕がなくなるなぁと思いながら、聖者様に治癒と清浄魔法をかける。

 目のクマには治癒はあまり効かないかなと思ったけど、少しは良くなったようだ。


「ああ、助かる。ありがとう」


 聖者様は素直に礼を言うと、さっそく部屋を出ようとした。


「サリアをここに呼べばいいんじゃないのか?」


 ダンが僕と同じ疑問を口にする。


「男性部屋には入れないって」

「名家育ちは大変だなぁ」


 代わりに僕から水差しを受け取ったダンに、聖者様は振り振り向いた。


「高位聖職者を何人も輩出しているような一族は、家での教育に教義が根付いているからいろいろと厳しいんだよ。子どもの頃から修行しているような環境だ」

「それも大変そうだ」


 ダンは洗面器も使わずに、濡らすだけのように水を使い、聖者様の後に続く。

 僕もそれに並んで階下に降りると、すでに食堂で待っていたサリアは聖者様が来るなり立ち上がった。


「ルルビィさんの様子が、いつもと変わらないんです。変わらなすぎておかしいんです」


 サリアの説明が、いつになく要領を得ない。


「…どういうことだ?」


 聖者様が眉をひそめる。


「昨夜は私、お話しできなかったんです。私が部屋に戻ったときにはもう、ルルビィさんは眠っていて。それで朝、お話ししようと思っていたんですけど、起きたらルルビィさんがいつもと何も変わらないんです。まるで昨夜のことなんてなかったみたいに。だから私も話しづらくて」

「無理してるんじゃねぇのか」


 ダンは、気の毒そうな様子で言った。


「全然そんな感じじゃないから、おかしいって言ってるの」

「聖者様、ショックが強すぎてルルビィさんの記憶に異常が起きたんじゃありませんの?! 昨夜だって気を失っていたのかもしれませんわよ!」


 一応、2階では静かにしようと気を使っていたらしいリリスが現れて、ここぞとばかりにまくしたてる。


「その可能性だってあります。今は、ルルビィさんに昨夜の話をするのは避けておいたほうがいいかと」


 だからルルビィさんに聞かせないように話をしたかったのか。


「サリアはともかく、リリスはここにいただろう。話を聞いていなかったな」


 聖者様は大きくため息をつく。


「ダンの予知がある。ルルビィは今日、婚約破棄を受け入れる」


 そういえばダンがその話をしたとき、リリスとマリスは2人の世界に浸っていた。

 改めて、この調子で天使に戻れるのかと思う。


「ダンの? 少しくらい誤差があるんじゃないの?」

「いいや」


 ダンの予知に完全な信頼を置いていないサリアに、ダン自身が残念そうに首を横に振った。


「知りたいことを知ろうとすると、なんとなくしか分からなかったりはするけどよ。いきなり頭に浮かんだことは、少しも外れたことはねぇ」


 これが、ダンの予知の本来の力らしい。

 だけど僕たちは、それを目の当たりにするのは初めてだ。


「俺も多分、ルルビィは無理をしていると思う」


 聖者様が暗い表情で腕を組む。


「ですから、とにかく見れば分かる…」


 サリアがそう言いかけたとき、階段を下りてくる足音がして、全員が視線を集めた。

 昨日の朝の、これから聖者様を迎えに行くというときのルルビィさんの足音によく似ている。


「みなさん、おはようございます」


 その、晴れやかな表情も。

 確かにこれは、無理をして笑顔を取り繕っている人の顔や声とは思えない。


 その挨拶に誰も返事を返せないでいるうちに、ルルビィさんは聖者様の前まで歩み寄る。


「聖者様。昨夜は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げてから顔を上げ、困惑している聖者様を見つめ、にっこりと笑う。


「婚約の破棄、承諾いたします」

次話「未来」、5/26(金)夕方頃に投稿予定です。



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