19.反抗
聖者様は話を続けた。
「ルルビィはもうあの病に耐性がついていたから、そのまま一緒に旅を続けた。ほとんど足手まといにはならなかったよ。あの齢で労働に慣れていたし、俺が弟子にすると言ったから、それが自分の新しい仕事だと思ったんだ。そんな彼女が婚約者という立場になったら、弟子と同じように自分の役目だと思い込んでしまうだろうとは思ったが、他に方法がなかった」
それぞれ思うところがあるのか、しばらく沈黙が落ちる。
「けど…だからって、今になって離れなくてもいいじゃないですか…」
ようやく発したダンの言葉も、さっきほどの勢いはない。
「ダンなら想像できないか。妹がいるんだろう。その妹が5歳のときに一家全滅、村からひどい扱いを受けていたところを連れ出した16も齢の離れた男に好意を持ったとして、それが恋愛感情だと思うか」
ダンは言われるままに想像したらしく、しばらく考えた後に頭を抱えて大きなため息をついた。
「…懐いている、としか思えませんね…」
そんなやり取りをする聖者様に迫るように、マリスが浮かんだ。
「サザン様が神に反抗されたのも、墓守りへの扱いが原因でしたね」
「マリス」
「黙りませんよ」
マリスの口調に、それまでにない険しさを感じる。
マリスはマリスで、リリスが怒鳴りつけられたことに憤っているのかもしれない。
「ルルビィには言うなよ…」
聖者様は、今日何度目になるか分からないため息をついた。
「神託で忌咎族という存在は迷信だとはっきりさせるよう、神に申し出たのですよ。それこそ復活される直前まで何度も。その度にお言葉が荒れられて、この有り様です」
有り様、という言葉が厳しい。
表情は分からないけど、やっぱり怒っている。
「神はなんとお答えに?」
サリアがまた好奇心を刺激されたようだが、さすがに表情は冷静を装っている。
「人間が弱いから」
マリスに任せたものだと思っていたのに、聖者様が自ら口を開いた。
「人間がまだ弱いから、どうしてもそういう存在を必要としてしまう。忌咎族を否定しても、人間が自ら解決しなければまた同じような存在を作るだろう、と」
それを聞いて、サリアは少しうつむいた。
「それは私も反省していることです。学識者の中でも、教義にない忌咎族の風習について議題に上がることはありました。でも、それだけです。外部に向けて問いかけたり働きかけようとは、誰もしませんでした」
「聖教会の中でさえ、現場を知らない奴は偏見がある。ルルビィとの婚約だって、教皇自ら執り行ってもらえたから黙らせられたんだ。なのに、神具の加護があるとはいえ1人で旅に出させるなんて…解決どころか、悪くなるばかりだ」
現状を諦めたような聖者様の言葉を聞いて、サリアがテーブルに強く手を着いて立ち上がる。
「称号は絶対にいただきます。若輩者だろうが、称号の権威で学識者から問題提起するように働きかけますから。聖者様も今日のようなことがあったらちゃんと声を上げてください。名ばかりの賢者より発言力はよほど高いのですから」
聖者様はようやく顔を上げた。
婚約破棄を言い出す前まで、余裕を持った大人の顔をしているように見えたのに、今は少し憔悴している。
「頼もしいな」
「神に文句を言いたいなら、やれるだけのことをやってからでしょう。…それと」
サリアはおもむろに腕を組んで、聖者様をにらみつけた。
「婚約破棄の機会は今回しかなくても、後々再婚約できるということは当然頭にあるんですよね?」
聖者様が黙り込む。
教会での正式な婚約手続きをよく知らない僕には、考えつかなかった。
「よく考えろとおっしゃるなら、すべての選択肢を提示しておくべきです。大体、考えた上でやっぱり自分を選んで欲しいと思ってるんじゃないですか? 今日1日見ていただけで分かるんですけど」
サリアの言葉がとげとげしい。
確かにサリアは婚約破棄自体ではなく、その言い方に呆れていた。
「…俺よりマシな相手を見つけて欲しいとは本心で思っている。ただ、ルルビィの出自だと現状じゃ難しいのも分かっているから、最終手段というか…いや、こんなことを俺から言ったらルルビィの判断に影響するだろう」
さっきまでとは打って変わって、言い方がはっきりしない。
これは認めたも同然だ。
「サリアは、こうなるって分かってたわけ?」
ただ茫然と話を聞いていただけの僕は、理解の早いサリアに聞かずにはいられなかった。
洞窟のときのやり取りから、ここまで予想していたんだろうか。
「婚約破棄なんて言い出すとは思わなかったけど、当時から事情があるとは思ってたわよ。病で倒れた聖者様が教皇庁に戻られたのに、回復の報せはなかったから、教皇庁の高位聖職者でも治癒できない容体だったはずでしょう。それなのに婚約して、配偶者と同等扱いにするっていうんだから、お相手の生活のためだろうとは思ったわ」
6年前ならサリアは13歳。
今の僕とたいして変わらない歳で、そこまで見越していたのかと感心する。
「でも、その婚約者が当時9歳で、しかも聖者様がその9歳の方を相手にここまでベタ惚れだとは思わなかったけど」
聖者様は観念したようで、サリアの言葉を否定しなかった。
「…死ぬ直前に自覚したなんて、勝手過ぎるだろう。婚約したときはサリアの言う通り、ルルビィの生活のためだったんだ」
サリアは、腕を組んだまま肩をすくめた。
「勝手も何も、ルルビィさんは当事者なんだからすべての状況を知っておくべきだと思いますけど。でも、一度破棄したほうが考える時間はできますからね。再婚約の可能性についてだけ、私からの提案ということでお話ししますよ。ルルビィさんの様子も気になりますから、私も失礼します」
軽く頭を下げ、階段に向かって歩き出す。
「…すまない、頼む」
「ルルビィさんのためです。結婚して子どもを産むだけが女性の幸せだと思っているようなのも感心しませんし…ああ、でも貸しにしてもいいですね。これからは私の知りたいことをさえぎらないで教えてくださるとか」
サリアは顔だけ振り返って、少し意地の悪い微笑みを見せる。
「時と場合によるが、善処する」
聖者様は疲れたような顔ではあるが、笑い返した。
サリアの貪欲さの前では、塞ぎこんだままではいられなくなる。
聖者様は復活してからずっと重荷になっていたことを、やっと一つ下ろすことができたとでもいうように椅子に背を預けて天井を仰ぐ。
ダンもサリアも、一応は聖者様の言うことに納得したらしい。
――だけど、やっぱり。
「僕は、納得できません」
今までほとんど聞いていただけの僕は、我慢できずに口を開いた。
次話「大人と子ども」、4/28(金)夕方頃に投稿予定です。
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