18.婚約破棄
「…あ……」
言葉を出せずにいるルルビィさんに、一息遅れてリリスとダンが声を上げた。
「何をおっしゃっているんですの、サザン様!!」
「そうですよ、ルルビィさんはあんなに一途に頑張ったのに!」
ダンにいたっては、立ち上がった勢いで椅子が倒れた。
「お2人の話よ。静かにしましょう」
サリアは無表情のまま、テーブルのどこかを見つめている。
「だって、こんなの黙ってられないだろ!」
「お2人の話が終わってからでいいでしょう」
あくまで冷静に、そして強くハッキリと言い切るサリアに、ダンも口を閉ざして椅子を戻した。
もしかしたらサリアは、聖者様が言い出すことを分かっていたのかもしれない。
僕は聖者様から感じた違和感の正体がやっと分かったものの、なぜこんな話になるのかまるで理解できずにいた。
「……どうして………」
やっと言葉を発したルルビィさんだったが、その膝の上に乗せた手が震えている。
「君の不利になることはしない。婚約は破棄しても称号は剥奪されないようにしてもらう。君が嫌でなければ、成人するまで俺が後見人になる」
「そうじゃ…なくて……」
ルルビィさんは小さく首を振りながら、声を振り絞ろうとしている。
聖者様も冷静に話を進めようとしているのは分かるが、話がかみ合っていない。
「聖者様、ルルビィさんは理由を聞いているんです」
静かに、と言ったサリア本人が堪えられずに口を出した。
だけど確かに、このままでは話が進みそうにない。
「俺の存在は自然の理から外れているから、子孫を作るなと神に言われている。今後他の女性と結婚する気もない。神の言葉が理由なら、称号を剥奪しないままの婚約破棄も認めてもらえるだろう」
さすがにこの場でクソ神とは言わない。
「こ…子どものいない夫婦もいます。私だって…聖者様と一緒にいられるなら…」
ようやくルルビィさんも言葉が出るようになったが、まだ震えてか細い声だった。
「もともと結婚するつもりはなかった」
この言葉に、ルルビィさんの目が大きく見開かれた。
「君の出自は教皇庁に知られている。俺が死んだら、ただの弟子でしかない君は村に帰されただろう。『聖人』の称号を得られれば教会で保護されるが、この国じゃ結婚したら死別しても再婚できない」
「だから、婚約を…?」
ルルビィさんの瞳から大粒の涙が零れた。
「婚約中の死別なら破棄できる。だから教皇に頼んでいたんだ。俺が死んだら、いずれ時機を見て婚約を破棄してもらえるように」
聖者様も辛そうにしているが、破棄を前提にした婚約だったと告白されたルルビィさんを思えば、とても同情できない。
「私を哀れまれたんですね…」
「そうじゃない、君なら神学の学者相手にだって講義して生活できる。だけどあまりに幼かったんだ」
だから、「弟子の出来栄え」を確認したのか。
「復活できるとは思っていなかった。教皇直々に婚約式を執り行ってもらったんだ、破棄する機会は今回教皇庁に行くときしかない。よく考えてほしい」
短衣の裾を握りしめて、ルルビィさんはなんとか声を絞り出した。
「聖者様は、婚約の継続を望んでおられないのですね?」
聖者様は一度目を閉じて、改めてルルビィさんを見つめて答えた。
「そう思ってくれていい」
ルルビィさんは両手を握りしめたまま、はじかれたように立ち上がる。
「すみません、先に休ませてください…っ」
そのまま小走りに2階へ続く階段を駆け上がっていく。
昨夜泊まった部屋がそのままにしてある。
聖者様はテーブルに肘をつき、組んだ両手に打ちつけるような勢いで額をあてた。
痛そうな音がしたけど、それだけのことをしたと思う。
「『思ってくれていい』ってなんですか…」
サリアが呆れたように呟く。
「う、嘘ですわ! サザン様は天界に来たときには婚約者様が可愛い可愛いって話ばっかりで! 復活されると分かったら悪い虫がつかないかって心配なさって…」
「黙れリリス!」
「黙りません!」
聖者様が初めて声を荒げたのに驚いたが、リリスも引かない。
「ライル、リリスの周りに遮音魔法かけてくれ」
「え、嫌です」
顔を上げないままの聖者様に、僕はキッパリ断った。
今の僕の心情は、リリスに味方したい。
「お前なぁ…」
体勢は変わらないまま、聖者様が深いため息をつく。
呼ばれ方が「君」から「お前」になっていることにまた驚いたけど、もしかしたらこっちのほうが素なのかもしれない。
始めは幻妖精たちへの態度が少し辛辣に感じた。でも話を聞いていると、天界でいくらか気心が知れた関係になっていたように思う。だから怒鳴ることもできるんだろう。
「最初の理由はともかく、ルルビィさんはあんなに聖者様を慕ってるんですよ! 男なら責任取ればいいじゃないですか!」
ダンも抗議の声を上げる。
今この場で、聖者様は四面楚歌だ。
「…ルルビィの好意は、刷り込みだ」
全く動かないまま、聖者様が話し出す。
「ルルビィの故郷も墓守りへの差別がひどくてな。あの病がまだ広まり始めの頃だった」
何を語るのか。みんなが静かに聞く体勢になった。
「あそこも忌咎族に治癒なんて必要ないって考えで、病にかかった墓守りの一家を俺から隠してた。俺が見つけたときにはルルビィは虫の息で、他の家族は全滅だ。墓守りがかかりやすい病だとまだ分かってなかったから、村長もあそこまでは想像してなかったみたいだが」
あの流行り病は、遺体からも感染する質の悪いものだった。
だけど一度かかって回復出来れば、再びかかることはなかったらしい。
聖者様を始めとした治癒魔法の使い手たちの奔走がなければ、世界の人口の1/4以上が失われていただろうと言われている。
「治癒をかけて、回復したルルビィが最初に何をしたと思う? 病気になってごめんなさい、家族が死んでごめんなさい、私が家族の分まで働くから許してください、って村長に頭を下げた。まだ5歳だったんだぞ。それまでどんな扱いを受けていたか想像がつくだろう」
5歳。
僕はまた、リュラがその齢だった頃を重ね合わせてしまう。
自分の身の回りのことはするように教えられてはいたけど、働くどころか年長の子どもたちから手伝われていた。
体力のない老人や子どもほど早く命を落としてしまっていたあの病に一家でかかって、5歳のルルビィさんが生き延びられたのは奇跡的だと思う。
「村長はルルビィを保護すると言ったが、信用できなくて後を追ったら案の定馬小屋に放り込まれてた。その上、近くの村の成人した墓守りの男との縁談を進めようとしていた」
忌咎族は忌咎族同士で結婚するか、罪人を一族に迎え入れるという風習は根強い。
こんなふうに集落の長が決めてしまうことも珍しくなかった。
「だから俺は、ルルビィを弟子にすると言って、強引に村から連れ出したんだ」
次話「反抗」、4/21(金)夕方頃に投稿予定です。




