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「こんにちは。良い天気ですね」
アルが感知した旅人とやらは、少し拓けた休憩場のような所で休んでいたようだ。広場に入ったオレ達に気が付いた様子で、陽気に挨拶をしてくる。
目の前に居るのは、馴鹿だ。いや、体格はヒトっぽいから馴鹿の獣人か。つぶらな瞳でこちらを見る様子には、オレ達に対する悪意等は無さそうに見える。
とりあえず、同じように挨拶を返しておいた。
「この山でプレイヤーを見るのは久しぶりですねぇ。あ、私は馴鹿獣人のベンジャミンと申します。宜しくお願いします」
「オレは、トワ。こっちの小さいのはアルといいます。宜しく」
ベンジャミン氏は丁寧な挨拶と共に頭を下げてくる。っと、危ね。
ベンジャミン氏は馴鹿の獣人との事で、その頭部には例に漏れず立派な角を生やしている。それが頭を下げると共にこちらに振り下ろされる。その巨大な角はちょっとした凶器だ。オレには刺突耐性があるので対して効かないのだが、もしや、これは挨拶に見せ掛けた威嚇行為だったりするのだろうか。
「あ、すみません。角の事を忘れていました」
その言葉と共に頭をブオンと振り上げる。いや、絶対今のコレはわざとでしょ。しかし、こんな角を持っていて山歩きにおいて邪魔ではないのだろうか。
いや、それよりもちょっと気になる事を言っていたような。
「………久しぶりってのは、この山にはよく登られるんで?」
「えぇ。この辺りの山は私の縄張りですので、誰かが侵入した場合はすぐに分かるようになっているんですよ。しかし、トワさん達が“角有り”で良かったです」
縄張り? 角有り? 何だか気になる単語だな?
縄張りというと領地のような物か。海の方でも“海の牙”とやらが海底フィールドが領地だと抜かしていやがったが、アレって与太話じゃなかったのか。とすると、オレが知らない間に実装されていた事になるな。しかし、面倒臭いシステムを実装しやがって。
それに、“角有り”とは何なんだ? 確かにオレにも角が生えている。ベンジャミン氏ほど大きいモノではないが。
ベンジャミン氏の口ぶりだと、“角無し”だと不都合みたいな感じだが、どういう関係があるんだ?
「えぇと、不勉強で申し訳ないのですが、縄張りとは一体何でしょう? それと、“角有り”とは一体………?」
「あぁ。なるほど?………そうですね。それっぽく縄張りって言っちゃいましたけど、コレはプレイヤー個人が所有する領地の事ですね。ちょっと………いや、大分面倒臭いクエストをクリアすると任意の場所を領地と設定する事が出来るんですよ。まぁ、領地と言っても、所有者が若干優位になる補正効果が付いたフィールドになるだけなんですけど」
聞く所によると、この領地とやらはこのゲームが開始された当初から存在しているのだが、前提条件が厳しすぎて未だに領地を所有しているプレイヤーが多くはないらしい。クラン単位でならばまだしも、個人で持っているのはほんの一握りのようだ。件のベンジャミン氏はその一握りの中に居る訳だ。
そして、この領地内部でならば、所有するプレイヤーに若干の良補正値が加わるらしい。戦闘で少し優位になったり、生産行為で、良乱数を引いたり等々。
………昔からあるシステムなら、オレが知らないのも当然か? 何だか知る人ぞ知るみたいなクソ面倒臭いクエストの報酬のようだし。
あの“海の牙”達がオレに対して高圧的な態度を取っていたのも、戦闘方面なら優位に立てるという確信があったからなのだろうな。………まぁ、実際はアルに文字通り捻り潰された訳だが。
「“角有り”の事を知らないという事は、トワさん達は私達の関係者ではなかったようですね。これは申し訳ない。………“角有り”というのは、ここら一帯の同盟みたいなモノでしてね。今は、“角有り”と“角無し”とで敵対関係という感じなのですね。トワさん達にも角が有りましたので、てっきり同盟の関係者かと勘違いしていました」
「はぁ、なるほど? ところで、オレ達に角が無かった場合はどうしていたんですか?」
「縄張りを侵害したという事で、一度警告した後、それが受け入れられない場合は実力で排除していました」
有角種じゃない登山客にとっては大迷惑な案件じゃねぇか。そりゃあ、他に誰も居ない筈だわ。
オレ達は、ただ単に山を登りたいだけなんだけどなぁ。入山料でも払えば縄張り内に入っても良いのだろうか。いや、そういえばオレもそれを払う必要があるのか?
「オレ達は、ベンジャミンさんの縄張りとは知らず入ってきてしまったんですが、何か………入場料とか払った方がいいんですかね?」
「あ、いえ、大丈夫です。トワさん達は登山者ですよね? “角無し”であっても、純粋に登山を楽しんでいる方々からはお金は取れないですよ。登山者に成りすまして、悪意や害意を持って侵入して来た方々とは別枠です」
たとえ“角無し”であっても、誰でも一律に金を取る訳ではなさそうだ。“海の牙”の奴等とはまるで違うな。
「まぁ、“角有り”と“角無し”の敵対関係ってのは、お遊びみたいなものなので、そこまで殺伐としたモノではないですよ。ちょっと、それぞれの派閥のトップの仲が悪いだけで」
「その派閥のトップってのも、ここら辺のプレイヤーなんですか?」
「あぁ、実はこれは『“角有り”のエルグと“角無し”のベルツの勢力争い』っていクエストの一端なんですよね。これを“角有り”勢力で進めているプレイヤーの一人が私、という事なんです」
ベンジャミン氏曰く、このクエストに参加している総プレイヤー数は百余名に上る大規模クエストとの事で、ベンジャミン氏と他数名が最初期からこのクエストを進めていたようだ。
しかし、勢力争いが思ったよりも長引いており、今では一体何名がこのクエストに参加しているのか把握出来ていないらしい。
そして、余りにも進展が無いので、本来敵対関係である筈の“角無し”の一部のプレイヤー達と進行方法を模索しているとの事だ。“角無し”との敵対関係がお遊びというのはこれを指して言っているらしい。しかし、それでも通じているのは一部のプレイヤーであり、その他の“角無し”プレイヤーはちょくちょく、ベンジャミン氏の縄張りにちょっかいを掛けに来るらしい。
ベンジャミン氏がこの場所でオレ達を待ち構えていたのも、それの一環だ。アルの探査よりも早くオレ達を察知出来たのは、ベンジャミン氏の縄張り機能の一つとの事で、オレ達に害意が無いかそれとなく探りに来たという。
うーん、ベンジャミン氏とは偶然会った風だったが、実際の所はオレ達を警戒していたのか。全く気が付かなかった。
そういえば、ここらの山が縄張りという事は、隣のエンデス山もベンジャミン氏の縄張りなのだろうか。そうだとすると、あのゴーレムの作り手もベンジャミン氏という事か?
「ところで、隣のエンデス山もベンジャミンさんの縄張りなんですか?」
「いえ、違いますね。あの山は誰の縄張りでもなかった筈です」
違うらしい。とすると、あのゴーレムは一体? ベンジャミン氏の話を聞いて、てっきり“角有り”と“角無し”の抗争に巻き込まれたのかと思っていたが、違うのだろうか。
「隣のエンデス山からこちらの山に来るまでにゴーレムに遭遇したんですが、何か知ってますか?」
「………ゴーレム? 恐らく、プレイヤーの仕業だろうとは思いますが、よく分かりませんね………。この山へと渡る邪魔をされたという事ですよね? どちらの派閥でもそんな事をするメリットが見出だせないので、恐らくは無関係だと思いますが………」
どうやら心当たりがまるで無いらしい。
まぁ、無いなら無いでいいのだが。
「ところで、オレ達はここから山伝いに北東方面へと渡って行こうかと思っていたんですけど、大丈夫ですかね?」
「大丈夫ですよ。私から話を通しておきますので。誰か派閥の者に問いだされたら、正直に登山に来たとでも言っておけば悪いようにはされませんから」
どうやらベンジャミン氏の知り合いには、話を通しておいてくれるようだ。
まぁ、行ったら行ったでどういう状況かは分かるか。




