009「アイドル少女、着せ替えられる」
桜庭さんに連れられてお蕎麦屋で昼食を摂ってから三十分ほど経った現在。私は何故か試着室の中に居た。
お蕎麦屋を出た後、練習の休憩明けに言っていた「午後からはちょっと外に出る」の通り、スタジオに戻ることはなく私たちは桜庭さんに連れられてショッピングモールに来ていた。
ショッピングモールに着いてからも変わらず修斗さんの「何する気だ?」という質問には「秘密」と即答するだけだった。流石に一抹の不安を覚えてきた頃、桜庭さんは洋服屋の前に立ち止まり「ここが目的地だよ」と言い中へと入っていく。ここまで来ても何をするつもりなのかいまいちピンと来ていないがお店の前で立ったままなのも他の人の迷惑になるだろうし私たちも中に入ることにする。中へ入ると桜庭さんの姿が見えず見渡して探していると私の両肩が背後から捕まれる。それに悲鳴を上げる間もなく私は背後から押されて試着室に連れていかれる。何がなんだか分からないまま呆然としていると三十秒くらい経って服を持って桜庭さんがやってきて私に服を手渡して「はい試着してどうぞ!」と言い放ち試着室のカーテンを閉める。
というところで現在に至る。
「着替えられたら教えてね!」
「は、はいぃ!?」
試着室の外から桜庭さんにそう声を掛けられて素っ頓狂な声で返事をしてしまう。私は改めて試着室の鏡に向き合う。手には渡されたオフショルダーブラウスとマイクロスカート。およそ着る機会がないと思われていた服に物怖じする。とはいえ黙って立ってても仕方ないので意を決して着替え始める。
着替えてる最中どれだけ想像しても私がこの服に似合うとは思えず目の前の鏡を出来るだけ見ないようにする。着替え終えても鏡を直視する勇気は沸かなくてしばらく俯いたまま固まってしまっていた。
「着替え終わったかなー?」
「ぁあいっ! だいじょぶです!」
またしても桜庭さんの声に心臓が飛び出そうなほどびっくりする。驚いた拍子に背筋がピンと伸びて鏡に映った自分が視界に映る。
鏡に映った私の姿は案の定試着した服に似合ってなくて、とてもお洒落で綺麗な服なのに首から上だけがいつもの私で、それがとても歪に見えてまるで合成写真のようだと。そう思った。
「宮川さん……?」
呼ばれてふと我に返る。どうやらまたぼうっとしていたらしい。
私はゆっくりと振り返り試着室のカーテンに手を掛ける。
心の準備ができたとかそういうことはなかったけど、ほとんど無意識に誘われるようにカーテンを開けていた。私と同じように似合ってないと言って欲しかったのか似合ってるよと否定して欲しかったのか、それすらもよくわからなかった。
カーテンを開けると目の前には桜庭さんが居て、その後ろに店内を暇そうに見回す修斗さんが居た。すると私のカーテンを開ける音に気付いた修斗さんが私の方を見る。私はとっさに着ている服を隠すように前を両腕で隠してしまった。
「わっ! やっぱり可愛いじゃない」
可愛いと言われてカーテンを開けてからやっぱり恥ずかしくなってくる。似合ってないのもそうだけど、そもそもこんなに肩や脚を露出する格好はしたことが一度もないから。今すぐにでもカーテンを閉めて元の服に着替えてしまいたい気分だった。
「でも……うーん。やっぱり攻めすぎな感じもあるか。修斗君はどう思う?」
「どうって……」
突然桜庭さんに振られて困ったように首を傾げながら呟く修斗さん。私は少しだけ身構えるようにして体を強張らせる。
修斗さんはこういうとき結構ばっさり言ってしまいそうだなという勝手なイメージがあったから何を言われても大丈夫なように覚悟しておく。私が可愛くないから似合ってないのに、それを正直に言って私が傷ついたところを見せたら修斗さんが責任を感じてしまうかもしれない。
「いいんじゃないのか。今の季節だとくそ寒そうだなって感じるところ以外は」
だから似合ってないって言われても―――って。
「えっ!?」
何か聞き間違いをしたような気がして思わず聞き返してしまう。
「なんだよ。変なこと言ったか?」
「いいや、言ってないよ」
「言いましたよ!」
修斗さんと桜庭さんは顔を見合わせてどういうことなのか分からないといった表情をしている。
「だって、今修斗さんいいんじゃないのかって言いませんでしたか!?」
「言ったが」
さも当然だと言うような反応で答える修斗さん。
なんだかよく分からなくなってきて頭が混乱しそうになる。いやもう既に混乱はしているのか。
「ふむ。……宮川さん、君は必要以上に自分のことを卑下しすぎてるよ。何故そこまで自分を下げ続けるのかは分からないけど」
「でも、私が可愛くないのは客観的意見で……」
「そうかな? 僕は宮川さんは可愛いと思うけど。修斗君は?」
「初対面の時はめちゃくちゃ整った顔だなって思った記憶があるな」
今までにないくらいはちゃめちゃに顔を褒められてどう反応していいか分からない。耳が熱くて頭がくらくらする。
「褒められなかったことが原因なのかな? じゃあ今日は一杯宮川さんを褒めよう!」
「えぇっ!?」
その後は桜庭さんが服を見繕ってきて私に手渡してきて私を試着室に押し込み、私はどうしてこんなことになってるのかよく分からないまま渡された服に着替えて再び試着室のカーテンを開ける。着替えた私を見て可愛いと桜庭さんが褒めてくれて、いつの間にか持っていた服を「次これね」と手渡してくるというようなことが繰り返された。
しばらくそのようなことをしていると試着室の中に服が溜まりすぎてきて試着室にかけて置けないほどになってくる。
「じゃあ掛かってる服全部戻してきちゃうから渡してもらえるかな」
「分かりました」
そうして大量の服を桜庭さんに手渡す。すると桜庭さんはその半分くらいを修斗さんの前に突き出す。
「はいこれ。修斗君も戻してきて」
「なんで俺が」
「だってずっと暇そうにしてるから。あ、戻すついでに修斗君も宮川さんに似合いそうな服持ってきてよ」
「それこそなんで俺が」
「まあいいじゃない。特になかったらなかったでもいいからさ」
半ば押し付けるように服を修斗さんに渡して桜庭さんは売り場へと歩いて行った。
「ったくマジで……」
「あの、すみません、修斗さん。私が定期的に返さなかったから」
「あ? 別にあんたのせいだとは思ってないよ。桜庭が服返す隙間もないくらい持って来た服を渡しては試着室に押し込んでたのは見てたし」
「そうですか……。あ、あとありがとうございます」
私がお礼を言って軽くお辞儀をして顔を上げると、「何が?」と今にも言い出しそうな顔をして修斗さんが私を見ていた。
「えと、私を、ほ、褒めてくれた……ことです」
言ってるうちにどんどん声が小さくなってしまった。改めて自分で言うと恥ずかしいというか、浮かれてしまってるのが伝わってしまいそうで少し怖かった。
「当時思ったことを思い出して言っただけだ。宮川はアイドルが好きでアイドルをずっと見てるから麻痺してるんだろうが十分顔はいいことは自覚しときな。謙遜するのは自由だがこと外見においては嫌味に取られることもある」
「はいっ……!」
「……いや偉そうなこと言ったわ。忘れてくれ」
「いいえ忘れません! 肝に銘じておきます!!」
私がそう言うと修斗さんは軽くため息をついて「好きにしな」と呟いて売り場の方へ歩いて行ってしまった。
怒らせてしまっただろうか。でも私のことを褒めてくれてその上でダメなところも指摘してくれたのは、ただ褒められるよりもなんだか嬉しかったから忘れるなんてことはしたくなかった。
それから少しして桜庭さんが服を持って戻ってくる。まだ続くのかと思っていたら桜庭さんはそれを察したのか「これで最後にするから」と口にする。顔に出てしまっていたのかと少し反省しながら試着室のカーテンを閉めて着替える。
もう何回もやったからなのか褒められて浮かれてるからなのか、試着した後も鏡と向き合って自分を見ることも最初のように怖くはなくなった。
マスタードカラーのゆったりとしたニットに青のスキニージーンズ。最初とは雰囲気も露出もほぼ反対のような服だった。相変わらずお洒落な服を着ている自分に少しのむず痒さを感じもするが、どちらかといえばこっちのような露出の少ない落ち着いた感じの服が好みだ。
試着室のカーテンを開けてまたすぐに桜庭さんに可愛いと褒められる。何を着ても可愛いと言ってくれる様子はまるで親に服を着て見せているようだと感じた。
少し回りを見回すが修斗さんはまだ服を返しているのか戻って来ていないようだった。
「修斗君、宮川さんが着替えてる間に遠くで歩いてるのがチラッと見えたときは手ぶらだったみたいだから服は戻し終わってるはずだけど。もしかしたら本当に服選んでくれてたりするかもね」
まさか修斗さんがそんなことをしてくれるとは夢にも思ってはいなかったけど、そう言われてしまうと心のどこかで期待してしまうのを抑えられなかった。いつもの修斗さんなら絶対にそんなことはしないだろう。特別今日の修斗さんは機嫌がいいとかそんなこともたぶんない。でも何故か私は期待してしまっていた。
「あ、戻って来た」
桜庭さんがそう零したのを聞いて心臓がドクンと大きく跳ねる。私は急いで桜庭さんの視線の先を追って修斗さんを見る。
「あ……」
思わずそう声が零れてしまう。
「なんだよ」
手ぶらで戻って来た修斗さんは無言で私と桜庭さんに見つめられていたことに対してそう言った。
「いや、修斗君が服選んでくれてるのかなって思ってたから」
「俺は服を選ぶセンスに自信なんかないんだよ。まして女性服なんて」
なんてことのないいつもの修斗さんだったのだ。私が勝手に期待して勝手に落ち込んだだけ。
「だからこれで勘弁しといてくれ」
「え?」
修斗さんが右手に持っていたものを差し出し、私はそれが何なのかちゃんと分からないまま受け取る。
よく見るとそれは赤いシュシュだった。
「いつもポニーテールなのにシンプルなヘアゴムしか使ってないから」
「修斗君、シュシュなんてもの知ってたんだ」
「桜庭、あんた本当失礼だよな。服戻してる間にたまたまシュシュが置いてあるコーナーを見かけてそういえばって思っただけだ」
修斗さんと桜庭さんが言い合いをしている間も私は赤いシュシュを見つめたまま固まってしまっていた。
「宮川さん、それ付けてみたら?」
「そ、そうですね、そうしてみます」
私はポニーテールのヘアゴム部分に重ねるようにシュシュを二重にして付ける。
「どうでしょうか……」
私は二人に背を向けてシュシュを見せるようにしながら、鏡で自分もシュシュが付いている部分を確認してみる。シュシュ自体がシンプルなためそこまで派手に変わったということはないけど、いつも付けている髪色と同じヘアゴムが付いているところに明るめの赤いシュシュが木に生る林檎のように美しく映える。値札がついたままでちょっとだけ不格好だけど。
「凄く可愛いよ!」
「……似合ってるんじゃないか」
鏡に映る私の顔が真っ赤なことに気づいて顔を覆う。
さっきまでですら一生分褒められたんじゃないかってくらいだったけどそれでも全然慣れられそうにない。
「あ、ありがとうございます……」
自分でもわかるほどの消え入りそうな声でお礼を言う。果たして二人に聞こえていたのかは分からない。
「さて! ここに来た目的は果たしたわけだけど」
「え」
確かにここに来て私が着せ替えさせられてただけだけど本当にこれが目的だったのだろうか。
「宮川さんが自分を可愛いと認識してもらえればそれで良かったからね」
「そんなことよりも練習しないと時間がなかったんじゃ」
「自分に自信がないのはアイドルとして大問題だからね。他人にどう思われようと自分だけは自分が世界で一番可愛い! くらい思ってもらわないとね。それが出来てないうちはいくら練習でステージのクオリティを上げてもそれは『ただ上手いステージ』でしかない」
アイドルは「上手いステージを魅せるだけの職業」じゃない。もちろん上手いステージであることも重要だけど、一番大事なのは「見てくれる人を楽しい気持ちする」こと。それ故にアイドル自身がステージを楽しむことや自信を持ってステージに臨むことが重要。それは分かっているけど……。
「僕も言い飽きてるし君たちも聞き飽きてるだろうけど、僕は本気で最優秀賞を取る気でいる。そのために必要なことならステージの練習時間が削れようが構わない。結局それがステージのクオリティ向上に繋がると確信しているから」
誰よりも練習をして、誰よりも自分に自信があって、誰よりもステージを楽しんでいる。だからこそ桜庭さんが日本一のアイドルなんだ。
「服で着飾って自身がつくかなんて人によるだろうから確かなことは言えない。でも少なからず影響を与えられると思っていたし、実際に宮川さんの顔つきも雰囲気も随分よくなった。まあ修斗君に大幅に助けられたところはあったけど」
「俺はそんな大層なことはしてないぞ」
私はもう一度鏡越しにシュシュを見る。
「そうだ。今日着た服とかで気に入ったものがあったら買ってあげるよ。突然連れまわして着せ替えさせちゃったお詫びもかねて」
「え!? そんな、悪いですよ! 桜庭さんは私のためにやってくれたんですから。それに欲しいものも特に―――」
特にない。そう言いかけたところで言葉に詰まる。私はポニーテールについているシュシュを取って今一度見つめる。
「あの、これだけ、欲しいです」
そう言って私は赤く煌びやかなシュシュを差し出した。
「うん、了解。じゃあ先にこれの会計しちゃうから宮川さんは元の服に着替えてていいよ」
「わかりました」
桜庭さんが会計に向かったのを確認して私は試着室のカーテンを閉めて着替える。着替えて元の地味な服に戻った私を鏡で見て、家に帰って来たような安心感とほんの少しの魔法が解けてしまったような喪失感を覚える。喪失感を覚えたことに本当に私の中の私の評価が変わったんだということを自覚して照れくさく笑ってしまう。今日ここに来た時の私だったらきっと喪失感なんて抱かなかったはずだ。
試着していた服を持ち鏡に背を向けカーテンを開けるとそこには誰もおらず、修斗さんも会計の方に言ったんだろうかと考えながら服を元あったと思われる場所に戻していった。服を戻し終えて会計に向かうと何か揉めている様子の修斗さんと桜庭さんが居た。
「来た来た。はい修斗君、どうぞ」
「はあ。ほい……」
私が来たことに気づいた二人が私の方を見て、修斗さんが会計を済ませて値札を取ったシュシュを手渡してくれる。
「やっぱりこれは修斗君から直接渡さないとね」
「どうでもいいだろこれくらい……」
どうやら私に渡すのがどちらかで揉めていたらしい。
「ありがとうございます!」
「っていうか色はそれでよかったのか?」
「え?」
シュシュを再び付けようとしたところ、修斗さんが問いかけてきた。
「俺がなんとなく選んだだけだから好きな色があるならそっちの方がよかったんじゃないのかって思っただけだ」
確かに。違う色があることをあまり考えていなかった。
「あー、でも私そもそも赤が好きだったので別の色のことなんて全然考えてませんでした」
「本当かよ……」
私の返答に修斗さんは納得いっていないようだった。
本当に私は赤が好きなのだ。林檎が好きだからという至極単純で短絡的ではあるのだが。
私はシュシュを二重にして付けて少し形を調整する。
「本当です! それにさっき修斗さんも『似合ってる』って言ってくれたじゃないですか」
「いやまあ言ったが」
「ならいいじゃないですか! 赤は似合ってないっていうなら考えましたけど」
私がそう言うと修斗さんはそれ以上シュシュの色については何も言わなかった。
「じゃあそろそろ帰ろうか。明日からの練習も頑張ろう!」
「はい!」
「桜庭は仕事で居ないけどな」
そんなことを言い合いながら私たちは洋服屋を後にしたのだった。