007「一般少年、ステージプログラムを決める」
翌日の午前九時頃。十帖程度の広さのスタジオに俺と宮川、そして桜庭は集まっていた。
俺は昨日の桜庭に「ダンスするから運動靴持ってきてね」と連絡されて急遽用意したバスケットシューズの靴紐を体育座りの体勢で締めながらスタジオの中を見回していた。
スタジオの入り口の反対側の壁は一面鏡張りになっていて、入口の左手側に窓がある。白い壁にシンプルな木目のフローリング、あとは天井に照明があるくらいのギリギリ部屋と呼べる程度の機能の場所だった。
「さて、それぞれ準備してもらってるところ悪いけど、僕らには昨日も言った通りクリアしなきゃならない問題があるよね」
俺の正面に胡坐をかいて座っている桜庭が話を切り出し、俺の右側に女の子座りをしている宮川が桜庭の方に向き直る。
「桜庭さんがステージに立っていると知られない、ですね」
「そう。まあそもそもそんなに手段があるわけじゃないと思うけど、何か思いついた人は居るかな?」
俺は靴紐を結び終え、そのまま両膝に腕を置いた体勢に移行して口を開く。
「物理的に隠す以外に特に思い浮かばなかった。宮川は?」
「私も何かかぶったりくらいしか思いつきませんでした……」
妙案が出てくることもなく少しの間沈黙が流れる。
「あの……でも考えたことがあって、桜庭さんだけじゃなくて私も修斗さんも顔を隠したら変に見えないのかなって」
「なるほど。確かに衣装として顔を隠せば違和感はないはずだね」
宮川の提案に肯定的な返答をする桜庭。
「顔隠す衣装ってあり得るものなのか?」
「あまり聞かないね。たまにマスクで顔を隠していることをコンセプトにしたアイドルが居るくらいかな」
「まあ言ったら顔で売ってる職業みたいなもんだもんな」
おおよそ想像通りの返答を得られた。その上で宮川の提案を再び考察する。
桜庭がステージに立っていることを知られないために顔をマスクなりで物理的に隠すくらいしかなく、顔を隠した桜庭が浮いたりしないように俺と宮川も同じように顔を隠すことでカモフラージュする。
確かにこれしかないというような案だが……。
「衣装はどうするつもりだ?」
先ほど桜庭が言ったように顔を隠すようなアイドル衣装が存在しないのなら何らかの形で用意する必要があるだろう。学園祭の衣装が普通はどういう風に用意されるのかは知らないが。
「まあまあ落ち着いて。衣装もいいけど曲と振り付けの組み合わせも考えなきゃいけないから衣装だけで考えるわけにはいかないよ」
桜庭は両手を顔の前に出して静止を促すようなジェスチャーをしながら言う。
「そうでした。衣装も曲も振り付けも今から考えなきゃいけないんですね……」
改めて現状がどれだけの苦境であるかを口に出し絶望感すら漂わせる宮川。
まあ無理もないわなと俺ですら思う。
「今回は振り付けは後からでもいいかな。他が決まってから合わせる形にしようか。じゃあ全員が顔を隠してる状態で踊るならどんな曲がいいか考えてみよう」
絶望感を漂わせる宮川と正反対に淡々と話を進めていく桜庭。
日本一のアイドルだからこその余裕なのか、桜庭本人の性格故の余裕なのか。……どっちもありそうだな。
「顔を隠して踊る、か。パッと思いつくのだと仮面舞踏会とかはそういうイメージがあるが」
「仮面舞踏会……仮面をして素性を隠して行われる舞踏会か。僕が顔を隠す目的と合ってて結構面白いかもしれないね。あ、そうだ!」
突然何かを思いついたようにスマホを取り出す桜庭。スマホをいくらか操作した後、俺たちの方へと近寄ってきて画面を見せる。
「曲はこれなんてどうかな?」
「Ephemeral Waltzじゃないですか!!」
俺がスマホに表示されている曲のタイトルを読む前に宮川が興奮したように声を上げる。
「すまん、Ephemeral Waltzって?」
宮川の反応からしてアイドルの曲であろうことは察したが知らないことは知らないので一応聞いてみる。
「桜庭さんの曲ですよ! ワルツ調の旋律に乗せて、男性と舞踏会で出会った不思議な雰囲気を纏った女性の悲恋を歌った曲です!!」
何そのいろいろアイドルっぽくない曲、と口走りそうになったのを堪える。
明るい曲歌うだけがアイドルじゃないだろうしな。
「曲がワルツでテーマ舞踏会だから、衣装は仮面付けてイブニングドレスとタキシードとかで良さそうだなって思ってさ」
確かに曲と衣装はそこまでズレがないような気もする。曲の舞台の舞踏会が仮面舞踏会だったのかというツッコミが起こらなくもないような気がするが、細かいところを気にしすぎても何も決まらないか。
「あと個人的にこれを女性に歌ってもらったのを聞いてみたくてね」
「えっ、私が歌うんですか!?」
「そうだよ。だって僕は顔を出せないんだから声も当然出せないし、修斗君はステージに関して素人だし」
そういえば全く考えてなかったが俺も歌わされる可能性があったんだな……。
「そう……ですよね」
さっきとは別の意味で絶望感を漂わせる宮川。
「何か嫌なことがあったら遠慮なく言ってね。宮川さんがメインのステージなんだから本人が不満を持ってると良いステージになりっこないから」
「いや不満があるなんて!! ただ、桜庭さんの曲をステージでやるなんて恐れ多いなと」
大袈裟なくらい手と首を振る宮川を見て、一笑した桜庭が口を開く。
「気にしなくていいよ。言ったでしょ、女性が歌ってのを聞いてみたいって。それに学園祭で僕の曲でやるグループ自体がそこそこ居るから変に浮くこともないし」
「わ、わかりました。緊張はしますけど頑張ります……!」
「よし! これで曲が決まって、ざっくりと衣装の方針も決まったね」
パンと手を合わせるように叩きながらそう言った桜庭はすっくと立ち上がり軽く準備運動を始める。
「衣装選びは水曜日に合わせも含めてやろう。今日は移動時間も勿体ないしね」
「明日とかじゃダメなのか?」
「ごめん、明日はちょっと難しいかな。お仕事あるし」
「は?」
理解しがたい発言を聞いた気がして思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「そりゃそうだよ。だって元々僕は学園祭出禁だったから他のみんなと違って活動休止してないからね」
ただでさえ頭が痛い状況だというのにこれ以上頭痛の種を増やさないで欲しいんだが。
「次のお休みが水曜日ってことですか?」
「そういうことだね」
「……水曜の次の休日は?」
「金曜日だね。学園祭はちゃんと見たいから開けてもらうようにしてたんだ」
遂に耐えきれなくなり頭を抱える。
余りにも状況がアホすぎる……。
「大丈夫だよ、なんて無責任には言えないけど、僕は大丈夫だと思ってるよ」
「何を根拠に」
「根拠はないよ。強いて言うなら僕がそう思うことが根拠かな。日本一のアイドルの直観とセンスを信じてほしい」
「理解できないほど馬鹿だな、あんたは」
「昨日似たようなことをマネージャーにも言われたよ」
桜庭は準備運動を続けながら自嘲気味に笑いながらそう言った。
「よし。じゃあ振り付けをパパッと決めていこう」
「Ephemeral Waltzの振り付けは使わないんですか?」
自分の鞄のもとへ向かいノートとペンを取り出す桜庭に宮川が疑問を投げかける。
「まあ別に使ってもいいんだけど、あれは僕一人でステージに立つ用のものだからね。三人居るならそれを活かすような形にしないと手抜きだと評価されちゃうじゃない?」
相変わらずあくまで学園祭の最優秀賞を取るつもりであるスタンスを崩さない桜庭。ロボットか何かか?
「振り付け決めはそんなに時間かからないよ。三十分から一時間くらいかな」
さも当然かのようにそう言ってのける桜庭。
俺はアイドルに全く詳しくないし、ましてダンスの振り付けなんて欠片でも関わったことはないが、普通は三十分から一時間程度の時間で作れるものではないことくらいはなんとなく理解出来ていた。
「い、一時間で作るんですか?」
「うん。今回は一人用の振り付けがある程度参考にできるからそこからちょっと膨らませるだけだし。あ、宮川さんも手伝ってもらえる? 女の子の踊る振り付けは経験がないから助言が欲しいんだ」
「振り付けの経験なんてないですけど……」
「普段踊ってる曲の振り付けとかを教えてくれるだけでもいいんだ」
そうやり取りをしながら振り付けの作成を始めていく桜庭と宮川。首を突っ込める要素が微塵もない俺はその様子を呆然と見ていた。
桜庭は宮川と軽く相談しながら決めた振り付けを取り出してきたノートにテキパキとメモしていく。ほとんど悩むような様子はなく振り付け案を出し、宮川の「いいと思います」という機械のような返事を受けて、ノートにメモ。それを幾度となく繰り返していき、たまに宮川が女性らしい振り付けの動作を行い桜庭が「なるほど」と一考する。そしてすぐに振り付け案を出す。
そうこうしながら四十分程度経った頃―――
「うん、こんなものかな」
幾度か目のノートへのメモを終えた桜庭はそう呟き立ち上がる。自分の鞄のもとへと再び歩きだし、今度は鞄の中から三脚を取り出して鏡の前に立ててスマホをセットする。
「じゃあ今から通しの振り付け動画撮るから、それが終わったら本格的に練習を始めよう」
もう一つスマホを取り出して床に置く。そのスマホから音楽が流れ出し、桜庭は淀みなくなく踊る。そのまま一度もやり直すことなく最後まで踊り切り、スマホの録画を止める。
なんかもう既に振り付けを覚えていることに驚きすらしなくなってきたな。
そのまま終わるかと思いきや、再びスマホの録画を開始して踊り始める。が、一回目とは少し振り付けが違った。見ていると先ほど宮川と相談していた部分の振り付けが要所で使われていたのに気づく。
「うん、映像も大丈夫そうだ。今撮った動画はそれぞれ修斗君と宮川さんに送っておくから明日以降の練習の参考に使って」
「私の分までありがとうございます!」
こうして俺たちの……いや、俺と宮川の本格的な学園祭の練習が始まった。