001「ようこそ、アイドル学園へ」
夏も終わり秋風が吹き始める頃。そろそろ夏服だと寒いから早く冬服になれと愚痴をこぼしたくなるようなそんな季節。
俺はとある学校の校門の前に立っていた。
「近くで見るとよりデカイな……」
東京都某所にそびえ立つ巨大な学園。スケール感をバグらされそうなほど巨大な校舎と校門を前にして軽く面食らう。
東京都私立芸能活動補助学園――通称『アイドル学園』と呼ばれる我が校は日本のあらゆる学生兼業アイドルが集まる小等部からのエスカレーター式の学校である。
昨日読んだパンフレットに書かれていた学校説明の文章を思い出す。
数年前まではいくらかのアイドルが在籍している程度の学校だったが、今では日本のほとんどの学生アイドルがここに在籍しており、アイドルに限らず俳優業もやっている生徒も通っているほどの規模となっている。
そんな学園に今日から通うのだが俺自身は別にアイドルでもましてや芸能活動をしているわけではない。つい先月までは極々普通の学校に通う極々普通の一般人であり、アイドル学園にはほとんど縁のない人間だった。
「ほとんど」と言ったのは全く関係がないのは嘘になるからで、その理由は今現在俺が校門で突っ立っているのと―――
「あ、居た居た。お兄ちゃーん!」
校舎内から手を振りながら小走りで駆け寄ってくる少女。俺をお兄ちゃんと呼ぶその少女は一応血の繋がった妹である。
彼女は以前からこの学校に通っている現役のアイドル。今回一般人である俺が転入するにあたって学園側から許可を得られたのは彼女が居たからだ。
アイドル学園はアイドルのための学園ではあるが、その兄弟姉妹が居る場合アイドルでなくても入学が認められている。
「お待たせお兄ちゃん。ごめんね、私が学園案内したいって言いだしたのに」
「俺が時間より少し早く来ただけだ」
俺がそう言うと妹は漫画だったら周りにパァッというような擬音が描かれているような明るい笑顔に変わる。
「お兄ちゃんが優しくて未来嬉しくなっちゃう~」
頬に両手を当ててニコニコしながら頭を振る妹。それを無視して校舎へと歩き出す。
「ほらさっさと案内してくれ」
「あ、うん!」
こうして俺は妹と校舎内へと入っていく。
校舎内も学校っぽくない綺麗な内装でオフィスビルのよう。アホみたいに広い上に時間もそこまでないため、とりあえず高等部の全体を見て回るだけの簡単な案内を受けていく。学園の機能自体は普通の学校と同じでクラス教室はもちろん音楽室や科学室の授業用教室も完備されている。本当にほとんど普通の学校と変わらない。ただ規模が通常のそれとは別次元なことを除けば。
「うん、とりあえずこんな感じかな。とにかく広いから最初は大変だと思うけど、すぐ慣れる……と思うよ!」
「すげぇ適当言ったな」
「いやいや私だってすぐ慣れれたもん!」
「……そういうことにしとく」
その後は少し妹と雑談してから別れて職員室へ向かった。職員室ではクラス担任の紹介を受ける。
女性の教師に職員室内のソファへ案内されてそこへ座る。
「初めまして、伊東 千鶴です。生徒からはち、ちぃちゃん、と呼ばれています……!」
「え? ああ、はい」
一瞬何が起こったのかわからなくて失礼な反応をしてしまう。でも流石にこれは許して欲しい。俺は悪くない。
「す、すみません。転校生の対応は初めてで……」
「そ、そうですか」
お互いの間に沈黙が流れる。俺は悪くない俺は悪くない。
「えっ……と、あっ木崎 修斗さん、ですよね」
「あ、はい、そうです」
「最初に今日の流れについて説明するんですが、もう一人転入生がいますのでその生徒が来たらまとめて説明してしまいますね」
こんな中途半端な時期の同日に転入生がもう一人居るのか。流石にもう一人も一般人ってことはないだろうしたぶんアイドルなんだろう。とは言ってもテレビなんてほとんど見ないし、ましてアイドルなんて全然知らないから見ても分からんだろう。実際さっきの案内中もすれ違った生徒に見覚えなんて全くなかったし。
少しの間待っていると職員室の戸が慌ただしく開く音がする。
「す、すみません! 遅れました! 宮川 香奈です!!」
入ってくるなり職員室全体に聴こえるような大声で挨拶をする女子生徒。あれか……。
「宮川さん、こちらです」
担任が……もといちぃちゃんが手を挙げて女子生徒に呼びかける。女子生徒はこちらに気づくなり真っ青な顔で走ってくる。
女子生徒はポニーテールのめちゃくちゃ整った顔で見覚えこそないもののアイドルなんだろうと察することができた。
「遅刻してしまい本当にすみません!」
遅刻というワードを聞いて職員室に掛かっている時計に目をやる。八時二分くらい……集合は八時だったがそんなに血相変えて謝るほどの遅刻か? でもまあ確かに芸能界は時間に厳しいものかもしれない。
「少し時間に余裕がある集合時間だったので大丈夫ですよ」
「ありがとうございます……!」
相変わらず落ち込んだ表情のままだったがいく分かは落ち着いたらしい。
「では改めまして。初めまして、宮川さんのクラス担任になります伊東 千鶴です。生徒からはちぃちゃん、と呼ばれています!」
また言ってる。というかなんで最初より自信満々になってるんだ……。
「はい! よろしくお願いします、ちぃちゃん!」
うわ順応はや。超即理解されてちぃちゃんも嬉しそうなのが隠せてないじゃないか。
そんな異次元やりとりに呆然としていると女子生徒がこちらに向き直る。
「あの、宮川 香奈です! よろしくお願いします!」
「あー……木崎 修斗。よろしく」
ご丁寧に頭を下げて挨拶する宮川に釣られるようにして俺も軽く頭を下げる。
「はい! よろしくお願いします! ……修斗さん、でいいですかね?」
「お好きにどうぞ」
「ありがとうございますっ!」
100点満点のアイドルスマイルを繰り出されちょっとドキッとする。アイドルって凄。
挨拶を済ませた後はちぃちゃんに今日の流れとアイドル学園のざっくりとしたシステムなどの説明を受ける。
アイドル学園のシステムは名前通りアイドルのための学校。人気アイドルだと日中に仕事だったりすることもあるため、その補填として個別に授業を行ったりするようなシステムがあるらしい。あとは学園側が主催するイベントに選ばれることもあったりするらしい。まあ一般人である俺にはどれも関係のないようなことだが。
一通りの説明が終わった後、ちぃちゃんに連れられてクラス教室へと向かう。
「では、ホームルームを始めるので、呼んだら教室に入ってきてください」
「わかりました!」
「はい」
俺たちの返事を聞くとちぃちゃんは教室へ入っていった。「ホームルームを始めますよー」というちぃちゃんの声が聞こえると教室内の声が静かになっていく。
ふと周りに目をやると宮川がめちゃくちゃそわそわしていた。また顔面蒼白になっているじゃないか……。廊下を円を描くようにくるくると回り続け、止まったかと思ったら深呼吸を始める。道でこんな人を見かけたら「え、この人大丈夫かな……」と心配になるくらいそわそわしている。
そんな中で教室内からちぃちゃんが「入ってきてください」なんて声が聞こえるもんだから宮川はビクッとなり固まってしまう。
アイドルって人前に立つものじゃないのか……? とかそんなことを思案しながら教室の戸を開けて教室へと入る。
さっき案内の時にもチラッと見たが、教室内は広さ自体は普通の学校と変わらないものの後ろの席に行くにつれて床の高さが高くなっていく形になっている。知識としてしか知らないけど大学とかこういう教室があったりするんだっけか。
「はい、今日からこのクラスの生徒になる二人です。自己紹介お願いできる?」
「木崎 修斗です。よろしく」
「みゃ、宮川 香にゃ、香奈ですっ。よ、よろしくおにゃがいします!」
横で聞いてて思わずヒエッと声が出そうになるくらいアガっている宮川。あまりのアガりっぷりに教室内に微妙な空気が流れるが、ちぃちゃんが拍手をするとハッとなったようにクラス中から拍手が起こる。
「えーと、じゃあとりあえず一番後ろの席二つに座ってね」
そう促されて後ろの席へ移動して座る。直後に隣で小さくゴンと音が聞こえる。
いやまああれは落ち込むわなあ。
「じゃあこれでホームルームを終わります。今日も一日頑張りましょう!」
ちぃちゃんがそう言うと同時に生徒たちが各々動き出す。
すると数人の生徒がこちらへ向かってくる。まあほとんどは宮川の方に行ってるんだが。
「おっす、初めまして! 俺は軽森 優、よろしくな!」
「ああ、よろしく」
そんな中俺に話しかけてきた前髪を横分けにしたウルフカットの整った顔の男。軽森と名乗ったそいつは俺の返事を聞くと一つ前の座席に座った。
「俺、めちゃくちゃアイドルが好きでアイドルを間近で見るためにアイドルになったんだけど」
え、急に凄いこと言い出したけど。
「その俺が見たことないんだから修斗はアイドルじゃないよな!?」
「俺がアイドルに見える要素があるなら教えて欲しいくらいだが」
俺がそう返すと軽森は少し考えるような素振りを見せる。
「ということはつまり兄弟姉妹にアイドルが居るってことよな。そんで『木崎』なんだから―――」
そう言われて妹、木崎 未来の顔が過る。
未来は昔からアイドルになりたかったみたいで中学三年の頃にオーディションに合格してアイドルとして活動し始めた。その後、両親がアイドル学園の存在を知ったみたいで中学卒業してからアイドル学園に入学した。それが今年の四月の話だ。
「……ん? でも未来ちゃんって前からアイドル学園に居たような」
「そうだな。木崎 未来が妹であってるよ」
未来より一歳上の俺は未来が中学卒業の時点で高校に通っており、わざわざ転校するのも面倒だったし両親もそれを承諾してくれたからついこの間までは普通の高校に通っていた。
じゃあなんで今更アイドル学園に転入することになったかと言うと……それはそのうち話す機会があるかもしれない。
「そうか。まー人間いろいろ事情はあるわな」
腕を組んでうんうんと頷く軽森。
この察しの良さは軽森本人の能力なのか、それともアイドルもいろいろ複雑な事情があることも多いのかとかそんなことを邪推してしまう。
「あ、そうだ。俺は修斗をアイドル好きに勧誘するために来たんだった」
え、急に凄いこと言い出したけど。
「……なんて?」
「アイドル好きになろうぜ!! ってか既にアイドル好きなら語ろうぜ!!」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「あいにくアイドルに興味はないし、そもそも全く意味がわからんのだが一応聞こうか。なぜ?」
「冷静に考えて欲しいんだよな。ここってアイドル好きにとって最強最高の環境だろ?」
言わんとしていることは分かる。この学校には現状日本の八割以上のアイドルが集まっていると言われていて、アイドルのための学校というよりもアイドルなら通うべき学校とまで言われ始めている。
毎年アイドル学園に不法侵入しようとして捕まることが何件か起こっているらしいこともたまに未来が夕食時に話していた。それでも侵入前にきっちり捕まえられていることもアイドル学園にアイドルが集まってくる理由の一つなんだろう。生きて捕らえることを考えていないトラップが仕掛けられているみたいな噂もあったりするらしいが真実は定かではない。
「そんな超絶最強最高級の環境に通えていてアイドルを好きになってないのって多大な損失だと思わないか!?」
「思わん」
「つめてぇっ!!」
軽森は大袈裟に仰け反るようなリアクションを取る。
事実としてそう思っているのだから仕方がない。
「でもじゃあなんでこんな時期に転入して―――」
仰け反った体勢のまま軽森が呟いていると教室内が突然ざわつく。周りを見ていると教室内の視線は教室の出口の方へと集まっているようだった。何事かと思い俺自身も視線の先を辿ってみると、そこには直観で理解できてしまうような人物―――まるで「アイドルを具現化したそのもの」であるかのような雰囲気を纏った男が立っていた。
というより俺はその男を見たことがあった。
「蒼空様……」
隣で呆然としている軽森が無意識に口にしてしまったような言葉。それを聞いて俺はより鮮明にその男が誰なのか思い出した。
―――桜庭 蒼空。
今日本で一番有名な男性アイドル。テレビを見ているなら彼を見ない日は恐らく存在しないであろうほど日本中の人間に認知されている男。そんな男が数メートル先に立っていた。
桜庭はキョロキョロと回りを見渡して、こちらの方を向いて視線が止まるとこっちに歩いてきた。彼が真っ直ぐ歩いてくる中でその直線上に居た生徒たちはまるでモーセの海割りのようにその道を開けていた。桜庭はそんな生徒たちに笑顔で「ごめんね」だの「ありがとう」だの言いながらこちらに近づいてきていた。
そして俺の目の前で止まるとニッコリと笑い口を開いた。
「こんにちは。初めまして、僕は桜庭 蒼空。君が木崎 修斗君だよね?」
隣では軽森が白目を剥いて気絶していた。
「そうだけど、何か?」
そう言った自分の声が震えているのが自分でも理解できてしまう。
恐怖、というのがかなり正解に近いと思う。俺ですら知っているほどの知名度である桜庭 蒼空が、俺の名前を知っている上に今日この学園に転入してくることまで知っている。何一つ理解できる要素がなくて混乱している。
「ああ、びっくりさせちゃったよね。僕はずっとファンだったんだ」
びっくりさせちゃったよね。の後は普通相手を落ち着かせるための言葉が続くものじゃないのか? より混乱しているんだが?
「ファンって……?」
「君のさ。正確に言うと、天才―――」
桜庭がそう言いかけた時、学園に授業開始のチャイムが鳴り響く。
「おっと、もうそんな時間か。一目見れて嬉しかったよ。また今度ゆっくり話そう」
そう言って桜庭は笑顔で手を振りながら駆け足で教室を出て行った。
時が止まったように静まり返っていた教室内は、時が動き出したかのようにざわざわとしだした。
「ハッ……! 蒼空様は!?」
恐らく桜庭が近くに来すぎたせいで気絶していた軽森が正気に戻って騒ぎ出す。
「もう帰ったぞ」
「マジかよ! くぅ~! サイン貰いたかった!!」
さっきの感じだとサイン貰いに行っても気絶して一生貰えなさそうだが。
未だざわついている教室内へ一限目の担当教師が入ってきて着席を促す。
こうしてアイドル学園での授業が始まったわけだが、俺の頭の中はさっきの桜庭の言葉がずっと渦巻いていた。
「天才、か……」
誰にも聞こえないくらいの小さな声でそう呟いた。
今までのことを全部忘れて心機一転新しい生活の始まりだ。なんて思ってたが、どうやらそう簡単に過去を切り離すようなことはできないらしい。そう考えるとなんだか憂鬱でため息をついてしまった。