1.脱出 ③
オッサンが慎重に脳みそを再梱包して、ケースを閉じてこちらに押しやる。これで、取引完了。後は大事に持って帰るだけだ。どうやら宇宙人も怪盗も杞憂だったようだ。行きにケースを持っていた岩田ちゃんに変わって、帰りは俺がケースを持つことにしようと手を伸ばす。
そこで、残念なお知らせ。
宇宙人も怪盗も杞憂だったようだが、暗殺者の方はまだ警戒すべきだった。
窓際のカーテンに写る影が、明らかに人型であると気が付いたときには、すでに手榴弾が床に転がっていた。いつの間に投げ込まれたのか分かりもしない。何が警戒しておくだ。
俺に分かったのは、その手榴弾がパイナップルでも、レモンでも、アップル型でもない、筒状だということ。それが閃光発音筒なのか発煙筒なのか判別できなかったが、咄嗟にとった行動は頭を守るようにしつつ耳を塞ぐこと。理由があった訳じゃない。勝手にやっていた。
とりあえず、その賭けには勝つことができたようだ。
炸裂したスタンの強烈な光と爆音に他の奴らは動けずにいたから、俺は次のアクションに備えて身構えた。手で耳を塞いだくらいで、どうにかなる代物ではない。おかげできつい耳鳴りがガンガン頭に響いていたが、両足で地面を踏みしめる感覚は失わずにすんでいる。
相手の次のアクションは、突入してくると踏んでいた訳だが、その予想は完全に外れて、9㎜弾の雨がポツポツと降り注ぎ出していた。背を向ける形になったオッサン達は、瞬く間に蜂の巣になって、崩れ落ちた。咄嗟にしゃがみ込んで、その拍子に椅子が俺の前に倒れ込む。これが幸運にも、銃弾の雨あられから俺を守ってくれるとかでは無く、木製のソレは普通に弾を貫通させて、俺の頬に赤い筋を作った。ファック。しゃがんだときにどこかぶつけたのか、動きが鈍く感じる。
窓の外の連中(少なくとも影は3人分)は、カーテン越しにマシンガンを乱射中。
一人が斉射し終えたら隣のヤツが、ソレが終わればその隣が、斉射する。その間に前のヤツはリロードしているのだろう。同時には撃ってきていなし、ばらまくように左右に振った撃ち方。つまりこちらの正確な位置は掴んでいない。ならばと俺は、カーテンの影を目掛けて、自分の得物で撃ち返す。向こうはサプレッサを付けているのか、まさにポツポツパラパラと状況に即さない奇妙なリズムを奏でてやがるが、コッチは生音だ。人影の頭に吸い込まれる様に弾丸が侵入するも、影は意に返さずだった。ソレも当然で、影は影であって実態はそこじゃ無い。日の光が真後ろから照らして居ない限り、影の直線上に本体は無いんだ。それでも、威嚇にはなったか、雨音が止む。
チャンスだと思って、できる限り音を立てずに移動しようと腰を浮かした。隣の岩田ちゃんの肩を掴んで、逃げようと合図するも、動こうとしない。腰でも抜けたか? 強引に肩を引いて連れ出そうとしたが、ソレが無理だとすぐに悟った。可哀想に岩田ちゃんのおデコには小さな穴が開いていて、俺が引っ張った拍子にツーっと赤い線が顔を伝った。
F U C K !
辛うじで声に出さずに済んだが、勢いでカーテンに乱射。「shit!」と叫んだ一人の影がブラブラと揺れ動く。どうやら上の階から吊らされているらしい。
直ぐに立ち上がった俺は音を立てることも気にせずに、出口に疾走。振り向かないで階段を探した。直後にガラスを踏むジャリジャリした音が聞こえたから、部屋に奴らが入って来たんだろう。『初めての建物では階段や非常口の位置を最初に確認するべし』という、日陰者の鉄則を怠った俺は、一か八かで乗ってきたエレベータの方へ駆ける。階段と隣り合わせである可能性に掛けた訳だが、どうにか当たりだった。
今度からは、本当にお嬢の下着を買いに行かされても、ブティックの間取りを暗記する様に努めるとここで神に誓う。階段を駆け下りながら十字を切った俺は、上から自分以外の足音が聞こえるのを感じ取った。どう聞き取っても一人分の足音。一瞬のズレも無く同時に足を動かしていない限り、階段で追ってきているのは一人だ。残りはエレベータか、そのままロープで下まで下りたか。どちらにしろ先回りを考えているはずだ。それを回避するために、こっちはわざわざ階段を使っている。
俺は、途中の階で降りるのを止めて、そのフロアにもあるであろう、さっき銃撃を受けた部屋と同じ間取りの部屋を探す。多少違いがあっても、間違いなく窓は同じ位置にあるはずだ。案の定、全く同じ間取りの部屋があったので、素早く、かつ静かに窓を開けて、慎重に地上を確認する。
・・・・・・いた。MAC-11(アメリカ製の機関銃だ。2秒掛からずに30発以上ばらまける)にサプレッサを付けてウロチョロしているサングラスが二人。迷わず、上から狙い撃つ。一人には脳天直撃弾。何が起きたかも分からずに現実から退場。もう一人は首から斜めに弾が侵入。ふらつきながらこちらを見たが、それだけだ。呼吸器系を貫かれて、血の泡を垂らしつつ倒れ込んだ。困惑と恐怖に色付いた死に顔と目が合って、俺もちょっと気圧されるが、仕方が無い。人に撃った以上、人から撃たれるのが道理だ。授業料だと思って諦めてほしい。
これで、あと一人。階段で追ってきたヤツ。俺が途中のフロアにいることに気づいていないなら、一階まで行ってしまったことだろう。どちらにしても、俺だって下に行かなければならない以上、待ち構えているに決まっている。窓枠にもたれ掛りながら、残弾を確認。どうしてやろうか考えながら、呼吸を整えていると、下に人影が。それも複数。
カタギに死体が見られてしまったと思い、気まずさから窓から離れようとしたのが、功を奏した。さっきまで肘を掛けていた枠に穴が開いて、弾けた欠片が飛び散って、辺りを傷付ける。驚いた俺は、咄嗟に何故か近くにあった鞄で顔を隠しつつ、ギリギリの位置から下を覗く。なんとグラサンが増産されている。もう三人いる。マジでファックな状況。よく考えれば、最初の三人を上から吊るのを手伝ったヤツが居たはずだから、三人以上は確定情報だった。つくづく間抜けだ、俺は。
見えているのかいないのか、銃をセミオートに切り替えて、またこちらに撃ってきた。しかも一発は、俺に着弾しやがった。あまりの衝撃に悲鳴を上げたが、裏返りすぎて音になっていない。
持っていた鞄越しのヒットだったので、勢いよく顔から胸に掛けて鞄を押しつけられて、広範囲が痛い。どこに当たったのか、探ってみたが、分からない。出血はしていないようだ。そんなに頑丈な鞄だったのか、弾が不良品だったか、俺が鋼の男なのか。
答えは一番で、弾は鞄で止まっていた。
なんて幸運だろう。たまたまそこにあった鞄がまさかの防弾仕様とは。
俺はその幸運の鞄を持ち上げて、キスでもしてやろうかと思ったが、よく見ると見覚えがある。
これって、脳みそを入れてたジュラルミンケースじゃん! 何でここにある?
不思議に思ったが、状況的に俺がここまで持ち運んだとしか思えない。無意識に手に取って、ここまで持ってきたのか?
……結構無理が無いか? でも、それしか良い解答が無い。
実はここは元いた部屋で、階段を下りていたつもりが途中で上っていて、別のフロアと思っていたが本当は元のフロアに戻って来ただけで、だからこの部屋にこの脳みそ入れがあるのは当然である。
……いや、無理だ。俺がいくら動転していても、階段を上がっていたら、追っ手とかち合う。それに、脳みそ入れ意外にオッサン達や岩田ちゃんの遺体がないし、窓も割れていなかったし、弾痕もないから、これは絶対に無い。
では、銃撃犯が上の階からここに持ち込んだ? いや、意味が無さ過ぎる。これが欲しいなら、持って下りるだろ。
うっかりここに落としたか? だとしても下まで行かないで、ここで回収しようとするだろう。下に集合している意味がない。
脳みそが狙いじゃなくて、俺達の命が欲しいなら分かるが、それだと脳みそがここにある答えになっていない。つまり、連中が俺を追っているのは、俺が欲しいものを持っているからだ。俺が、脳みそを持って逃走したからだ。そうで無ければ、上で脳みそを回収してとっとと帰るだろう。
脳みそは関係なくて、組に喧嘩を売るつもりなら、拾った脳みそ入れをこのフロアに置いていく意味は無いだろう。なら、俺が持ち運んだと言うことが一番しっくりくる。認めたくないが、そういうことだろう。
俺は律儀にもお嬢のお使いを遂行しようとけなげに、この脳みそを運んでいたのだ。無意識に。なんて偉いヤツだろう。これは、褒めて貰って良いやつだ。生きて帰ってこの美談を報告しなければならない。それで、岩田ちゃんも地獄にほど近い天国で、笑顔になれる。
俺は、改めて脳みそ入れを持ち上げて、そっと口づけをして部屋を出た。
階段の方から音がする。……気がする。
俺は、自らの崇高な行いに酔っ払って、今なら下にいた三丁のMAC―11とも正面から、渡り合える。マトリックスで見せたキアヌ・リーブスばりの体捌きでマシンガンだろうが逃れきって、奴らの額に鉛玉を異物混入させられると、信じ切っていた。
その自信は階段下で待ち構えていた五丁のMAC―11と対面した途端に死んだ。
今度の悲鳴は、きちんと音になって響き渡らせることができた。