師範
「カレーは作れるかな?」
想定外の質問に戸惑って、
「ででっ、出来ますよ!」
「では、明日の晩は英美さんのカレーをお願いしよう。足りない物があったら買って来なさい。」
そう言って、青いお札を差し出した。当時の最先端、2ドア冷蔵庫を開けると、玉葱が10個くらいと、ニンニク。戸棚からカレールウの買い置きは見つけた。玉葱がもっとほしいな、あとは豚肉と鶏ガラが必要だ。
市場に行って肉屋で買い物。豚肉は心配していなかったが、鶏ガラって大丈夫かな?
オヤジさんに聞いて見ると、
「うん、有るよ!道場カレーだね?」
すっかりおなじみのようだった。僕が道場の居候だって事も覚えていてくれたたようで、VIP対応って程でもないけど、嬉しかった。玉葱の追加も買っても、赤茶のお札が3枚残っていた。
道場では師範が待っていた。買った物を確かめ、
「1度食べただけで、完璧な準備出来るなんて、料理が得意なのかな?」
そう言うと、台所の端っこに椅子を持って来て監視体制になった。
「この前、千鶴さんに、道場カレー習ったんです!」
なんとか誤魔化そう。取り敢えず作業を進めた。大鍋に鶏ガラを入れて弱火でコトコト。大量の玉葱の皮を剥いて薄く刻む。
「師範、そこにいたら泣いちゃいますよ!」
「ああ、そうだな。稽古を見て来ようか。」
ピーさん達が稽古に励んでいる筈だ。しばらくすると、師範はまた台所に戻って来た。フライパンで5回、飴色玉葱を作って、鍋に貯める。ニンニクと豚肉を炒めて、玉葱と混ぜ、鶏ガラスープを漉しながら入れる。いっぱいになったら強火にして浮いた灰汁を掬う。自家製のニンニク醤油が隠し味、火を止めてルウを入れた。鶏ガラの大鍋に水を足してまたコトコト。
ずっと黙って見ていた師範は、
「一回習っただけで、随分手際がいいね。そう言えば、一緒に来た皆んな、いや、あの無茶苦茶なお嬢ちゃん以外は、ワタヌキ流の基礎が完璧なのはどうしてかな?」
もう誤魔化しは効かないな。
「信じて頂けるか解らないんですけど・・・。」
タイムスリップの件を、素直に話した。意外とあっさり納得してくれた。
「と、言う事は、曾孫なんだな?」
頷くと、
「千鶴に良く似ている筈だな、おばあちゃん似って事か。あの子が嫁に来てくれんるだな。」
未来の事を知らせるのは良くない事だと思うって説明するとそこも理解してくれた。
未来とは思わなかったが、どこか根本的に違う所があると思っていたそうだ。因みに、僕が元男子とかの変身については内緒のままだ。
雪子からも、同じニオイがしたので、しっかり観察していたそうだ。
「あの雪子という娘も未来から来ているのだろう、入門の時に書いていた住所に『東区』とあった。近々、政令指定都市になる筈なんだがな。」
まだ人口は100万人に届いていない。記憶が確かなら、オリンピックのあった1972年、昭和47年に『区』が出来た筈だ。
「じゃあ、明日からも助平ジジイになって様子を見るよ。」
あれ、演技だったの?それならかなりの演技力だよね!まあ、そういう事にしておきましょう。
英造、千鶴ペアが帰って来た。
「おっ、この匂い!明日はカレーだね!」
英造さんは、能天気に喜んだ。千鶴さんは、
「師範にバレちゃったの?」
頷いて、経緯を話した。まあ、最初から何か有ると思っていたようので、時間の問題だったかな?隠していた事を怒っていた様子も無いので、今までと変わり無し。カレーの味見を頼むと小皿を傾けてニッコリ頷いた。
翌日にはジャッジタイム。師範は昨日の製作工程で、すっかり未来から来た子孫と認識しているが、やっぱり食べて貰うとなると、少し緊張した。
英造さんは、他のカレーを知らないんじゃないかな?当たり前のように食べている。勢いからして旨いと思っているようだ。千鶴さんは、完コピに驚いている。千鶴さんも、母さんもアレンジは加えずに伝承してくれたようだった。
さて、師範は?
「このカレーは、先に逝った小夜、おまえのひい婆さんが、実家から受け継いだ味だ!曾孫迄伝わっているのか!」
しみじみと話した。更にトーンを下げて、
「小夜が初めてこれを作った時、台所で眺めていたら、『そこにいたら泣いちゃいますよ!』って言われたっけ・・・」
後半は、近くにいた何人かしか聞き取れなかっただろう。
「おかわり!」
セブンの陽気な声でしんみりモードからパッと脱却。楽しいディナータイムを過ごした。
「こっちにいる間、少しは、まともな生活をせねばならんな、あっちの時代・・・令和だったかな?令和では高校生だろう?知り合いの学校に頼んで見るから、そのつもりでいなさい。」
師範はそう言うと、財布と手帳を持って道場を出た。
「電話を掛けに行ったんだと思うよ!」
不思議そうな顔の僕に、英造さんが教えてくれた。直ぐに師範が戻り、
「光谷と大星に話を付けて来た。来週から通えるから、制服やらなんやら用意しなさい。千鶴、面倒見てやってくれ。」
爺さんの姿の老師と幼稚園児姿のエリーは高校生ってのは無理なので、僕等の教科書でエリーが老師の家庭教師。専門は数学だけどなんとかなるだろう。
「やっぱり、皆んな一緒は無理だったのかな?」
ピーさん達は光谷で、花音と僕が大星だと言われ、花音が尋ねる。
「そりゃ無理っしょ!ピーさん達、元は女の子だったとしても、今の姿で大星行ったら逮捕でしょ?」
また不思議な顔の僕に英造さんは、光谷が男子校、大星が女子校だと教えてくれた。令和では(多分、平成も?)どちらの学校も共学だったので、またまたびっくりした。
翌日の土曜日、千鶴さんが学校から帰るのを待って、狸小路の学生服屋さんに向かう。バスで今の南北線のコースに当たる路面電車迄行って、電車に乗り継ぐ。途中、『東保健所』の筈の建物が『北保健所』だったり、間違い探しみたいな風景を楽しんだ。三階建以上の建物は殆ど無く、この辺からも、花火大会が見られるそうだ。
電車は苦しそうに坂を登ると、国鉄の線路を跨いだ。駅前になると、流石にビルが密集していたが、かなり空が開けた景色だった。大通りで降りて、ブラブラしながら店に向った。
制服を買うので、デザインは決まっているから、さっさと終わると思っていたけど、花音は他校の制服を眺めて体に当てて鏡を覗いていた。閑散期なので、他にお客さんがいなかったせいか、
「良かったら試着してみますか?」
店員さんが勧めてくれた。令和の僕等の高校はまだ出来ていないので、もちろん無い。僕も巻き込まれ、一緒に着替えた。何着か着替え、ピーさん達には、星の刺繍が入ったセーラーが一番人気。花音と僕は3本の白線が入ったセーラーがお気に入り。大星のも悪くは無いかな?花音が満足して、実際に購入する制服のサイズ合わせ。花音はスカート丈を短くしたがったが、学校の方針で、絶対にムリとシャットアウトされ、渋々膝丈で手を打った。僕も同じように決めた。ピーさん達はさっさと決まっていたので、裾上げ待ちだった。
もう少し掛かるので近くの店を覗いて時間を潰した。地味な建物ばかりだが、活気に満ちていた。映画館や、映画のポスターが目立っていた。僕等の時代ではシネコンしか無くなっちゃうんだよね。もう天国に旅立ったはずの大物俳優が若々しい姿で日本刀を構えるポスターが少し寂しく見えた。質流れ店で革の手提げの通学鞄をゲット、ほぼ新品を花音と2つ。ピーさん達は、制服屋さんの幌の肩掛けのほうが安いと、そっちにするそうだ。
出来上がりの時間になり、ピーさん達の勇姿を拝む。7つボタンの詰襟だが、サイズが大きくて、せっかくの2つ多いデザインがちょっと霞んだ感じに見えた。
「着て帰ろうよ!」
花音の提案に、セブンは即答で同意、あとは、僕も含めまあいいかなって感じだったが、
「その2校の制服でデートしてたら、学校で騒ぎになるから、制服で帰るなら、男女別々がオススメですよ!」
店員さんから指導が入った。結局、元の私服に戻って帰路についた。
道場に帰ると、エリーのご所望で、ファッションショーが始まった。元々、高校選ぶ時に、女子がセーラーが必須条件だった老師は、僕の制服姿を満足そうに頷きながら瞬きの回数を減らしていた。エリーが羨ましいと騒ぐので、大星には付属幼稚園が有る話をすると、珍しく本気で怒っていた。プッと膨らませたほっぺたが無性に可愛かった。
「それなら、お古があるわ!」
千鶴さんはそう言って、押入れを探り始めた。近所の子供達のお下がりで行き場の無いものをここに持ってくる習慣があるようだ。ここにはいろんな人が集まるので、貰い手が見つかり易いので、お古の中継場みたいな存在との事。
程なく出してきた紙包みには『大星幼稚園・女児』と書いてあった。エリーは仕方が無いといった態度で受け取ったが、着替えて出て来た様子はやけに嬉しそうだった。
この姿で、老人になった正路に勉強を教えるのは、かなりのギャップだね。
「老師、笑ってないで、自分の衣装を考えるんだよ!」
エリーは、老師もコスプレ仲間に引き入れようとしていた。話を聞いていた師範は、修行時代に通っていた道場の作務衣の様な道着をプレゼントしてくれた。サイズはほぼピッタリ、老師の風格が急上昇するアイテムだった。
「また、先生と生徒の逆転した幅が広っがったね!」
エリーは、仲間を増やして、自分のインパクトを薄めるつもりだったようだが、一層幼さが目立つ結果になっていた。それでも、楽しそうに、
「必殺技打って見て!」
おじいちゃんに懐く孫娘のようにじゃれていた。
私服に着替え、晩ごはん迄は内職を頑張る。仕事が丁寧だと、少し難しい作業を回して貰えるようになって、ちょっとだけ収入が増えた。と言ってもまだまだ、居候。食費にも届いていない。『喰って寝るくらいは心配すんな!』と師範は言ってくれるので甘えさせてもらっているが、5人分の制服や学校の支度で、聖徳太子様が4人程旅立っている、随分使わせてしまったな。道場の手伝いとかで、何とか恩返ししたいな。ピーさん達はすっかりコーチ役が板についているから、取り敢えずは千鶴さんのお手伝いかな?