休載特別編 ラブレター
今回の話はバレンタインに掲載予定だった作品です。
季節感の合わない場面がありますが、ご了承ください。
1月も終わり、寒さが厳しくなってくる冬。
しかし、寒さとは対照的に熱い心を燃やす少女が二人。
「2月……14日……バレンタイン!!クリスさんにアタックするチャンス!」
SCP-105。アイリス。
彼女は最愛の相手に手作りのチョコレートを渡すことにしたようだ。
そしてもう一人。
「なんなのだ……この気持ちは……」
SCP-029。
彼女はカオス・インサージェンシー襲撃以来、心の中に不思議な気持ちが芽生えていた。
クリスの言葉が脳内に反響する。
「死んでも……逃がさねぇよ」
まさかアレは告白というやつなのだろうか?
世の中には首を絞めることによって愛情を表現する方法があるという。
だとしたらアレは……!!!
「夜ご飯ですよ」
収容室に無断で入ってくる女。
確か……なんだったか?…友梨とかそんな名前のやつ。
異常を持ちながら財団に協力をしている。気に入らないやつだ。
だが、私が服を着ているのはこいつの言葉添えのおかげだったりする。
だとしても気に入らないことに変わりはないが。
「勝手に入ってくるな貴様」
「えっと……ノックはしたんだけど」
知るかそんなもん。
奴は机の上に食事を置き、外に出て行こうとする。
最初は入った瞬間に殺してやったが、奴は殺せないし制限が厳しくなるだけだから諦めた。
それにここの拷問は……思い出したくない。
そんなことを考えていたから、私はどこか気が抜けていたのだろう。
自分の言葉から思いもしない言葉が飛び出した。
「貴様……好きな人はいるか?」
「…は?」
……私はなんてことを言っているのだ。くだらない。
「いや、なんでもない。忘れて……」
「え?!好きな人ができたの?!」
なんだこいつ殺してやろうか。
……結局。私は全て話してしまった。
殺せないのだから仕方ないだろう。
「そっか……SCP-029…あ、名前ある?」
「私は闇の娘だ」
「じゃあ闇ちゃんで」
「あまりにも安直すぎて話にならん」
「じゃあ029だから肉ちゃん?」
「およそ女につける名前ではないぞ」
結局、許可してもいないのに闇ちゃんとかいう名前になってしまった。
なんて忌々しい。
「それで……好きなんだ?クリスが……クリスかぁ……」
どこか複雑な顔をしている。
なんか気に食わないというような顔。
「待て。何を勝手に話を進めている。好きなどではない。ただ、奴が私に惚れたかもしれないいう話だ」
そもそも男というものは私と目が合うと傅き自ら命を差し出すというのに、奴は私と目があったのに眉一つ動かさなかった。
そんなことはありえないのだ。
本当は私に惚れていたのでは?
「あー……それはないと思う」
「何故だ?!」
「あいつ、そういうの興味なさそうだし」
何を言っているのだこいつは。
性欲がないなど人間の絶滅を表しているようなものだ。ありえない。
「とにかくさ、そういう相手がいるならやるべき事があると思うの」
「なに……?」
「ほら、今は2月の初めだよ?」
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実験室207。
机の上には一枚の手紙が置いてある。
ハートのシールで封がされており、いかにもラブレターという感じであった。
「では、これよりSCP-640-JPの実験を行うよ」
雛染は強化ガラス張りの実験室の外から面白そうに中の人間を見つめている。
戸惑って手紙を手に取るのはクリス・ストレイト。
「これ、本当に意味があるんですか?」
「あるよ。大有り」
SCP-640-JP。
その異常性は触れたものに対するラブレターがSCP-640-JPの中に出現するというもの。
それ以外の異常性はなく、出てきたラブレターも至って普通の紙でできている。
だが、問題は出てくるラブレターの基準は何なのか。
今のところ、Dクラスを使った実験では出現したラブレターと被験者は相思相愛ということが分かっている。
そして、それは妻だったり、学生時代の同級生だったり本人と関係ある人物であることから被験者の意思が関わっているのは間違いない。
では、ここで疑問に上がるのが、手紙の相手は被験者の事が好きな相手なのか。それとも被験者が好きな相手なのか。
被験者が好きな相手に対して異常性を発揮し相思相愛を引き起こしている……という可能性も否定できない。
だからこそ、この鉄人のような男が被験者に選ばれたのだ。
まあ、様々な御託を並べてはいるが実はこの実験はほとんど無意味に近い。
このSCPが発見された時、同時に発見されたSCP-640-JP-2にはこのSCPの異常性が事細かに書かれていた。
・触れた者の事を好きな人物のラブレターが入っている事
・異常性を発現させるには触れるだけで良い事
・同時に4枚までラブレター入っている事があり、その際は上に入っているものから好意が強いという事。
それを鵜呑みにするのであればこの実験はほとんど意味をなさない。
だが、それでも雛染が実験を行ったのには理由があった。
(……めちゃくちゃ面白そう)
至極単純な理由が。
「じゃあ……触ります」
クリスの指先が手紙に触れる。
堅物のエージェントになんともラブリーなラブレター。
雛染は今にも吹き出しそうなのを我慢してそれを観察している。
クリスがそのSCP-640-JPを手に取った時。
小さな破裂音が響き渡った。
「なんだ…?!」
「クリス。すぐに準備して」
「わかってる」
クリスはSCP-640-JPを乱雑に手放し、ヒラヒラと床へ落ちる。
誰もいなくなった収容室でSCP-640-JPの中から三枚の手紙がのぞいていた。
********************
「なんですか今の破裂音?」
「なにかしら……そういえばさっき武藤さんの娘さんが花火を持っていたけど……」
「武藤さんの娘って?」
「あぁ…SCP-014-JP-Jとも言われてる子」
「じゃあそれですよ」
あの厨二病に花火なんて持たせるな。
絶対変なことするから。
私達は現在、財団のキッチンを貸し切っている。
もちろん、クリスへのバレンタインチョコを作るためにだ。私は違うが。
部屋には可愛らしいエプロンをつけたアイリスと落ち着きがなく自分のエプロンをチラチラと見ている闇ちゃんがいる。
もちろん、闇ちゃんには最大限の注意として首元に爆弾を巻き、いざとなれば私が異常性を封じる事ができるようになっている。
そして、私達だけでは心許ないので料理コーチとしてカレナさんを呼ぶ事になった。
「カレナさん。よろしくお願いします」
「任せて!クリスのことでこんなに頑張ってくれる人がいるなんて……私嬉しい」
カレナさんは早くも少し泣き出しそうになっている。
最近、この人の親バカが強くなってきている気がするが大丈夫だろうか?
ちなみに、本当はカレナさんは妊婦という事もあり、他の人にコーチを頼みたかったのだが男性陣で料理がうまい人はヴァルトさんくらいだけど人に教えるタイプじゃないし女性陣は自分のチョコ作りに忙しいため迷っていたところ、自らカレナさんが頼まれてくれたのだ。
「というか……私はまだ作るなんて一言も言ってないが……ん?なんだ?」
「恋敵恋敵恋敵恋敵………」
アイリスが闇ちゃんを睨みつけている。
女の嫉妬とは怖いものだ。
闇ちゃんは困ったように私の方を見るが、私にはどうしようもない。
「おい助けろ」
無理。
「今回はクリスが一番好きなチョコチップクッキーを作ろうと思っているのだけど、どう?」
「賛成です!」
「おい待て……だから私は……」
呆れた顔でカレナさんを止めようとする闇ちゃんに私は薄ら笑いを浮かべる。
「おい。なんだその顔は」
「いやぁ、なんか逆に意識してるみたいで可愛いなって」
俗にいうツンデレというやつか。
相手がクリスというのは気にくわないが、見ていて実に微笑ましい限りだ。
「意識などしていない……!!ただ、私は……」
「ほら、大丈夫。私が教えるから失敗なんてしないよ」
「そんなことを言ってるわけではない!!」
とは言っていたものの、結局カレナさんの押しに負けて数秒後には三角巾をつけてボウルとヘラを持っていた。
アイリスは流石というべきか生地をこねるのには手慣れていた。
やはり外国は日本に比べてお菓子を作る機会が多いのだろうか。そのようなイメージがある。
一方、闇ちゃんは……
「わぁ!すごい!」
カレナさんが絶賛するほどの腕前。
実際私から見てもその動きはプロとなんら遜色はなかった。
生地は踊るように柔らかく、美しさまで感じるほどに綺麗な色をしている。
「闇ちゃん…凄くない…?!」
「闇ちゃんはやめろ!私からすればこんなの赤子の手をひねるようなものだ」
闇ちゃん……もといSCP-029の異常性は男性に対する強力な魅了能力と並外れた身体能力と他にもう一つある。
それは、その器用さ。どんなものでもまるで歴戦の戦士のように扱うことができる。
その器用さからすれば、お菓子作りなど確かに赤子の手をひねるようなものなのかもしれない。
「うぐぐ……」
苦しそうに呻くアイリス。
それを意にも返さずに闇ちゃんは生地を練り上げている。
「友梨ちゃんは誰に作ってるの?」
「いつもお世話になってる人達に。夏華さんとか流さんとか星影さんとか………あとクリスとか」
その一言にアイリスの眼光が光る。
別に気にしなくてもライバルにはならないよ……。
丁度生地が出来上がりオーブンの中からいい匂いがしてきた頃、キッチンに現れる一人の男。
「あれ?なにしてんの?」
「呼んでないですけど?」
雛染荒戸。
この女子の花園において最も相応しくない人物。
そのニヤついた顔からは明確な悪意が見え隠れしている。
私が闇ちゃんの手を握って能力を無効化しているから、魅了能力は効いていないようだ。
手を離してやろうか。
「あ、荒戸君。こんにちは」
「カレナ博士。お久しぶりです」
その上、歳上にはいい顔するからなおタチが悪い。
「何しにきたんですか?」
「いや、いい匂いがしたからさ。なにしてんの?」
「乙女の秘密ですよ。貴方には関係ないです」
「揃いも揃って乙女って柄じゃないだろうに。あ、カレナさんは違いますよ」
その言葉に思わずアイリスを眉を潜める。
闇ちゃんは雛染には無関心でオーブンの中のクッキーを見つめているようだ。
カレナさんは荒戸に叱責をするが、荒戸は飄々とした態度でそれを受け流している。
「それを言いに来ただけなら帰ってもらえますか?」
「厳しいなぁ。これだけじゃないよ。面白い話を持ってきてね」
「絶対面白くないので遠慮……」
「クリスのことなんだけどさ」
アイリスの目が変わる。
先程までの面倒な瞳から乙女の瞳へと。
オーブンを見ていた闇ちゃんもクリスの名前を聞いて雛染の方に振り向いた。
カレナさんはあらあらと言いながらも闇ちゃんに代わってオーブンの方を見ている。
あーあ。
これ帰ってって言える雰囲気じゃなくなってしまった。
私は仕方なく近くの椅子に座る。
「で、なんなんですか?」
「あ、やっぱり気になるの?」
「まあ、多分後ろの二人が」
慌てて顔を逸らす闇ちゃん。
露骨すぎて寧ろわかりやすいくらいだが……。
「さっきクリスがねSCP-640-JPの実験をしてたんだけど、そのSCP-640-JPってその人のことを好きな相手がわかるっていうSCPなんだよ」
ガタリと闇ちゃんの方から音が聞こえる。
何か落としたのだろうか。
アイリスはその話を聞いてさらにグイグイと荒戸へ近づいていく。
「SCP-640-JPっていう手紙なんだけどね。それを触った人のことを好きな人の愛の手紙が中に出現するんだ」
触った人のことを好きな人の愛の手紙……。
この場合、クリスが触ったからクリスのことを好きな人のラブレターが入っているということだろうか。
「でもそれって好きな人がたくさんいたらどうするんですか?」
「あれ?SCP-________も気になんの?」
「違いますけど」
クリスに一切興味はないが、そのSCPには少し興味がある。
触った人に対してのラブレターが出現する異常性……もしかしたら何か使い道があるかもしれない。
「好きな人が複数いた場合にはね、手紙が複数枚入ってるんだよ。最大で四枚」
それから荒戸はアイリスと闇ちゃん。それから私を見てから言った。
「上から持った人への恋愛感情が強い順にね。まだ中身は見てないけど」
瞬間。
その場にいたクッキーの焼き加減を心配しているカレナ・クレイナを除き3人の脳内が高速回転する。
(恋愛感情が強い順……?万が一にも私が一番上じゃないことはないと思うけどもしこの黒い女の子の方が上にあったら……?!クリスさんに嫌われる……!?)
(私がやつのことを好きなどあり得ないが……もし何かの間違いで恋愛感情を抱いているとしたら……?!そんなもの誰にも見せるわけにはいかない!)
(これ荒らすためにきたな荒戸……)
私は小さくため息をつくと、出入り口の扉の前に立ち塞がる。
「二人とも落ち着いてよ。そんなの観たところで……」
「あ、ちなみに手紙は3枚あったよ」
アイリスの目が変わる。
少し落ち着きを取り戻していたような瞳から疑惑と軽蔑の目に。
「友梨さん……騙してたの?」
「いや違う違う違う!私のじゃ……」
私の集中がアイリスに向いた瞬間。
一陣の風が吹き抜ける。
「あっ?!」
その場に闇ちゃんの姿はない。
まさか今の一瞬で……?!
「友梨さん!闇ちゃんもうあんなところに?!」
「えっ!?」
アイリスが指差す先。
そこには誰もいない。
「あ、しまった……!」
そして振り返るとそこにはアイリスの姿もない。
騙されたのだ。こんな古典的な手で。
「あらら。これってもし何かあったら君の責任だよね」
荒戸は呑気に椅子に座り、コーヒーを飲んでいる。
きっと最初からこいつの狙いはそれだ。
もし二人が何か問題を起こせば私はそれなりの処罰を受ける。
とても謹慎や給料の差し引きでは済まないくらいの。
その場合、私に下される処分は危険なSCPオブジェクトの実験。
最初からそれを狙ってるんだこいつ……!!
「そんなに実験したいものがあるんですかね……??」
「うん。体が皮からひっくり返るってやつ」
冗談じゃない。
私はすぐに携帯を取り出す。
私も含めオブジェクトには発信器がついてるからそれを辿れば道筋がわかる。
幸い、今日は任務による外出が多いから財団に人はあまりいないはず。
誰かに見られる前に連れ戻さなくては!!
「カレナさん!私は闇ちゃんを追いかけます。カレナさんはアイリスを!」
「えぇ?クッキーはどうすればいいの?」
「それどころじゃないんですよ?!」
「そうだけど……それに……」
カレナさんは心配そうにお腹をさすっている。
カレナさんは力になりそうにない。
そもそも妊婦だ。走らせるわけにもいかないだろう。
「わかりました。戻ってきたときにまた逃げないように見ててください」
「はーい」
私はIB-2000を頼りに二人の動きの居場所を特定する。
アイリスはこの施設に慣れてきてる分あまり人の通りが少ない道を意図的に選んでいるようだ。
問題は闇ちゃん。片っ端から部屋を探しているように見える。
だが、直線的な動きならば捉えるのは容易い。
私は電話をアイリへとかける。
「もしもし、アイリ?」
「わっ!どうしたの友梨?」
「これからそっちに黒い女の子が行くと思うんだけどさ……今ゴリラ達と一緒だよね?」
「うん!」
SCP-3092-A。
ゴリラの姿をした人形群で、ゲリラ活動においては横に出るものはいないほどの実力を持つ。
「今から来る女の子を捕まえてくれない?」
「鬼ごっこだね?!わかった!」
アイリの電話が勢いよく切れる。
これであちら側は大丈夫だろう。
闇ちゃんも流石に人を傷つけるつもりはないだろうし。もしそんなことしようものならば収容環境がより厳しくなるからだ。
SCP-3092-A達もいるし愛梨を守ってくれるだろう。数分程度なら足止めになるはずだ。
「じゃあ私は…!」
この間にアイリスを確保する!!
********************
アイリスが既に財団にやってきてから半年ほどの時間が流れていた。
それは、内部構造(といっても入れるところだけだが)を知り尽くし、最近まで使われた実験室を当てるには十分すぎる時間だった。
だが、友梨はそれ以上に施設に詳しいということは言うまでもない。
「アイリス……!見つけた……!」
「…?!友梨さん…?!」
向かい合う二人。
二人の力の差は歴然。友梨は短い間だとしてもエージェント訓練を乗り越えてきた。
その運動神経は一般人のそれを優に超える。
一方でアイリスはただの少女。むしろ同年齢の人々に比べて運動能力が低い。
そんな中でアイリスが逃げ出せる確率は万が一にもないはずだった。
「大人しく戻ってきて。落ち着いて話そう?ね?」
「友梨さんの言葉なんて信じられません!私とクリスさんの仲を応援してくれてると思ってたのに……この泥棒猫!」
「泥棒猫って……」
呆れた表情で溜息をつく友梨。
だが、その一瞬の油断をアイリスは見逃さなかった。
「今ッ!」
アイリスが持っていたカメラが眩い光を放つ。
「あっ…!?」
カメラのフラッシュ。
ほんの一瞬の隙だが、友梨は腕で目を塞ぐ。
次の瞬間、アイリスは駆け出していた。
「待っ……て……?!」
しかし、友梨は足に何かを引っかけ前方に倒れ込む。
慌ててその原因を探す友梨。
そこにあったのは足をつかんでいる腕。
目に見えない穴から出現した細身の腕。
「これ……!アイリスの……!?」
アイリスの異常性は自身の撮った写真がリアルタイムで動き出し、干渉できるというもの。
さっきのフラッシュの時の写真を使ったのか……!
「手を……放せ!」
友梨は左手に力を込める。
異常性を一時的に消失させる反異常性の腕。
淡く光り出した腕でアイリスの細腕を掴むと、腕は穴と共にどこかに消えていってしまった。
「やばい……!アイリスは…?!」
アイリスの姿はそこにはない。
慌ててIB-2000で居場所を確認するが、そこには実験室直ぐ手前にまで迫るアイリスともう一人の反応が。
「闇ちゃん……?!」
********************
SCP-029。
並外れた身体能力といかなる道具も武器として最高練度で使うことのできるSCP。
そんな彼女の前に現れたのは煙幕。
真っ白な煙が彼女の行く先を塞いでいた。
「なんだこれは……?」
あの女の仕業か……?いや、私に追いつけるわけがない。
だとしたらあの女の仲間。そう考えるのが正しいだろう。
煙幕とは普通逃亡の為や罠を隠す為に使用する物であるが、逃亡など意味がないし、罠を作成するには時間が短すぎる。
だとしたら、ただのこけ脅し。
「ならば、立ち止まる意味もない」
彼女は一瞬の思考で煙幕を足止めと判断し、煙の中を進む。
彼女の思考は正しい。
相手が人間ならばの話だが。
「……?!」
突然、彼女の体は宙へと投げ出される。
しかし落ちることはない。
足に絡まった紐が彼女を宙吊りにしているのだ。
「だが……こんな直ぐに作れるものなど……」
外れない。
彼女はアスリート並みの腹筋とバランス感覚で宙吊りの状態から起き上がり、足に絡まった紐を外そうとするが、できない。
全てを最高練度で扱う。器用さなら誰にも劣らない実力を持つ彼女が外せない。
そんな彼女の視界の端に複数の影が映る。
「……ゴリラ?」
そこにいたのは四匹のゴリラの人形。
そして、その背後に立つ赤いワンピースの少女。
「やった!捕まえたね!」
少女とゴリラは互いにハイタッチをすると、私へと向かって同時に指を刺す。
「ここを通るなら私達を倒してから行きなさい!!」
少女……アイリはテレビや漫画に影響されやすい性格であった。
年頃の女の子であるから、当然ではあるが。
SCP-029は呆れたような顔でその様子を見ている。
実際、足の縄は外れない。
倒す倒さない以前にここから降りることができないのだ。
それに、そもそも私は彼女達に危害を加えることができない。
殺してやりたいほど腹が立つが、そのような事をすれば私がここの奴らに何をされるかたまったものじゃない。
ゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせる。
本来、抑えきれない殺人衝動を持つ彼女だったが現在その症状は幾分か改善されている。
それは殺しても殺せない少女の影響もあるが、財団が彼女に与える非情な拷問の影響の方が大きかった。
「……こんなことしてヒーロー気取りか?」
「えっ…?」
攻撃という手段を捨てた彼女は口撃に手段を切り替えたのだ。
「こんなことして万が一にでも怪我をしたらどうする。私以外の人間がかかったら?先のことをしっかりと考えたのか?それに、私だって不死身なわけじゃない。こうやって宙吊りにして頭を下にすると血が上り取り返しのつかないことになる可能性がある。そしたら責任取れるのか?」
先のこと……取り返しのつかない……責任……。
年頃の子供にとってその言葉は恐怖であった。
顔を真っ青にしたアイリは先程までの意気を失っており、薄らと涙さえ見える。
「降ろしてくれないか?」
「は……はい……」
すっかり意気消沈したアイリ。
まだゴリラの中には不満を垂れるものもいたが、アイリの顔を見て同じく不安になったのかすぐに縄を下ろし始める。
ゴリラの一人が足の縄を外し、SCP-029は悠然と走り出したのだった。
********************
「ごめん友梨……責任とか言われて……怖くなってきて……」
えげつねぇ……。
子供相手にそこまでするのか……。
電話の向こうのアイリは少し泣いている。
「いいよいいよ。大丈夫。怪我がなくてよかった」
最悪、闇ちゃんが強行突破したということも考えられたがどうにかそれには至らなかったようだ。
IB-2000によると二人は実験室の前にまだたどり着いてはいない。
少しだけ道に迷っているようだった。
私は実験室にたどり着き、部屋を開ける。
中にはガラス越しのテーブルの上にある一枚のラブレター。あれがSCP-640-JPか。
確かに、中には3枚ほど紙が入っているように見える。
「はぁはぁ……着いた…!」
そこに現れたのはアイリス。
「見つけた…!ここか」
そして闇ちゃん。
二人は鋭い瞳で現在私の手元にあるSCP-640-JPを睨みつけている。
「二人とも。落ち着いてよく聞いてね」
SCP同士の接触はクロステストと呼ばれ、本来厳しい審査を通らなければ許可されることはない。
財団所属であり、異常性の無効化を持っている私ならともかく彼女らにこの中身を見せるわけにはいかないのだ。
ましてや、二人は今正気じゃない。
もし望まない中身だとすれば彼女らは……。
「貴様、それを渡せ」
「友梨さん……それを渡してください」
瞳が正気じゃない。
女のイザコザって怖い。
「待ってよ。私が中身を見るから。それでいいでしょ?ね?」
私の提案にアイリスは大きく首を振る。
「嫌です!嘘つくかもしれないじゃないですか!友梨さんもクリスさんの事が好きなんでしょう?!」
「そんなこと……」
ない……私がそう言い終わる前に、一瞬の風が吹き荒れる。
それが収まった時、既に私の手元にSCP-640-JPはない。
「なっ……?!」
私が慌てて振り向くと、そこには封を開こうとする闇ちゃん……。
しかし、闇ちゃんは封を開けることは叶わず、突如現れた手が手紙をかっさらっていく。
突然現れた手。
アイリスの異常性だ。
私はアイリスからすぐに手紙を取り上げるが、背後から体当たりしてきた闇ちゃんによって再び私の手からSCP-640-JPが離れてしまう。
空中を舞うSCP-640-JP。
ふと、中身の一番上の手紙。
最もクリスを愛している人の手紙がヒラリと落ちる。
「やば……?!」
もしそこに書いている名前がアイリスのではなかったら……!
慌てて拾いあげようとするが、もう遅い。
手紙はみんなの瞳に写ってしまった。
そして、手紙の差出人はアイリスではない。
「貴方の努力をいつも見ています……」
「凄く頑張り屋で、凄く優しい貴方を誇りに思います……」
「だけど、たまには一息ついてくださいね。ずっと頑張っているところを見ると不安になるから……」
私達は思わずその手紙を音読してしまう。
「「「たまには私を頼ってね。カレナ・クレイナ」」」
それはまるで我が子を思う母親の手紙。
二人はそれを見て、毒気が抜かれたのか呆然と立ち尽くしているようだった。
その隙に、私は慌ててSCP-640-JPを回収する。
「あの……二人目の名前は……?」
私は二人に見えないようにこっそりと手紙を見る。
そこには熱烈な愛を綴ったアイリスの手紙。
「あ、アイリスのだよ。普通のラブレター」
「待て。三枚目は?!私のじゃないだろうな!?」
三枚目。
そこにあったのは遠回しでどこかツンツンとした闇ちゃんの手紙。
だが、本当のことを言うわけにもいくまい。
「あー……あのSCP-014-JP-Jだよ。武藤さんの娘の……」
「そ、そうか……。私が奴に恋などしているわけないからな…」
闇ちゃんはホッとしたように座り込む。
アイリスはと言うと小声で「そっちがライバルか……」と言ったのを私は聞き逃さなかった。
まあ、お前が元々悪いんだ。諦めてくれ。
こうして、私達の珍事件は幕を下ろした。
二人は大人しくキッチンに戻り、ちょうど焼き上がったチョコチップクッキーを可愛らしくラッピングしていく。
私は二人のSCPを一時的に収容違反させたとして罰を受けたが、荒戸も陽動したとして道連れにしてやった。
数ヶ月の減給……痛くないといえば嘘になるが実験よりマシだ。
そして、アイリは闇ちゃんがトラウマになっていた。
……ごめん。
********************
「クリス、これ女の子から」
机の上に置かれたのは3つの包み。
一つは可愛らしくデコレーションされている。
一つは無機質な包装だが、中に透けて見えるクッキーは実に美味しそうだ。
一つは特に特徴のない普通の包みだ。
「女の子……?誰ですか」
「ほら、私から渡すように頼まれたんだから察してよ?ね?」
クリスは意味がわからないという顔をしながらも、無機質な包装をされたクッキーを手に取る。
実は、3人が作ったクッキーは友梨の提案によりカレナさんから名前を伏せて渡されることになった。
というのも、SCiPが作ったクッキーと知ると彼が食べるとは到底思えなかったからである。
「美味い……」
ポロリとこぼした一言にたまらずカレナは笑顔になる。
「だよね!その子頑張ってたから!」
「一緒に作ったんですか?」
「あ、そうなの!」
クリスは続けて袋を開け、クッキー片手間に資料を眺めている。
いつもと変わらない光景。だが、カレナはそれを見て少しだけ嬉しくなった。
「美味しかった……って伝えといてください」
最後の一つを食べ終えたクリスがカレナを見てそう告げる。
「今の……ちょっとあの人みたいだった」
ぶっきらぼうな態度が彼と重なる。
クリスはギョッとした顔をして、どうしていいかわからずに紅茶を飲み干した。
「……そうですか」
クリスは資料を手に立ち上がる。
これ以上話せることはない。
そう思い立ち上がるクリスの手をカレナが握る。
「……なんですか?」
「ううん、なんでもない。ごめんね」
カレナが手を離す。
温もりだけがクリスの手に残っている。
「じゃあ……俺はもう行きます」
「友梨ちゃんにお礼言いなよ?」
「えっ?」
「あっ…」
財団のバレンタインはこうして幕を下ろした。
「SCP-120-JPの世界で一番の宝石」はZeroWinchester作「SCP-120-JP」に基づきます。
http://ja.scp-wiki.net/scp-120-jp @2014
「SCP-3092のゴリラ戦」はHunkyChunky作「SCP-3092」に基づきます。
http://www.scp-wiki.net/scp-3092 @2017
「SCP-029の闇の娘」はAdminBright作「SCP-029」に基づきます
http://www.scp-wiki.net/scp-029 @2010
「SCP-105のアイリス」はDantensen作「SCP-105」に基づきます
http://www.scp-wiki.net/scp-105 @2008
「SCP-640-JPのラブレター」はmattya_SX作「SCP-640-JP」に基づきます
http://ja.scp-wiki.net/scp-640-jp @2016
「SCP-014-JP-Jの奈落の悪鬼、黒き翼の堕天使アイスヴァイン」はtokage-otoko作「SCP-014-JP-J」に基づきます
http://ja.scp-wiki.net/scp-014-jp-j @2014
連載再開予定は2月20日です。




