イジメを無くそうと強く思い込まない方が良い気がする
あくまで個人の意見であり、かつイジメを肯定するモノでは無い事にご注意下さい。
そもそもイジメとは何でしょうか?
Wikipediaから一部を引用すると「肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力や差別、いやがらせ(被害者が精神的な苦痛や不快感を感じるすべての行為)などによって一方的に苦しめること」だそうです。
まずこの時点で認識が間違っていると言えましょう。
群れで生活してきた人類にとって数は力です。
肉体的にも精神的にも立場的にも自分達より強い者であったとしても、数を頼りにイジメる事は十分可能です。
クラス中で行う、特定の者(人気者でも何かの理由で突然に嫌われる可能性はある)への無視などはそれに当たりましょうか。
される者が精神的に強ければ、たとえクラスから無視されても気にしないかもしれませんが、イジメは段々とエスカレートするのが普通です。
イジメはされる方が弱いから、悪いからという理由だけでなく、目立つからといった、特に理由が無い場合もあり得ます。
また、芸能人の犯した間違いを許さず、いつまでも叩く姿勢は、昔はテレビのワイドショーで、今ではSNSで日常的に行われている風景となりました。
反撃されないのを良い事に、寄ってたかってイジメている風にしか見えませんが、どうなのでしょう?
もしもイジメに該当する行いが、被害者が精神的な苦痛や不快感を感じる全てのモノとするならば、人類からイジメを無くす事は出来ません。
不快感なんて、たとえば私の様な小汚いおっさんが大汗を掻いた姿で電車に乗り込んだだけでも、居合わせた若い女の子であれば不快に感じるでしょうから、被害を受けたとして名乗りをあげた者の勝つ世界になりえるのではないでしょうか。
被害妄想がある人であれば、誰も無視している訳では無いのに無視されたと思い込む事もあるでしょう。
そんな人がイジメられたと訴えればイジメとなるのであれば、イジメを無くす事など出来る筈がありません。
第三者が調査した所で人は完璧ではないから、誰しもが誰しもに何らかの悪感情(少しだけイラっとした程度でも)を抱いた事はある筈です。
アナタはそういうつもりは無かったのかもしれないけど、(イジメられたと訴えた)〇〇君にとってはそうじゃなかったのよ、なんて言われ、イジメはありましたと認定された日には、最早どうしようもないのでは?
ですから、イジメを無くそうと思い込まない方が良いのではと言いたい。
別の言い方をすると、イジメを絶対に許さないぞと思い込む事はイジメに繋がりかねないぞ、です。
こんな事を言うと、お前は何を考えているのかと、イジメを肯定するのかと、私の意見に反対する方がいるかもしれません。
でもちょっと待って下さいね。
私のこの意見に反対する時に、仮に私の人格を否定する表現なり、罵倒の言葉なりを使ったとしたら、それは私に対するイジメになり得ますよ?
だって、被害者が不快に感じる一方的な行為はイジメなのですよね?
反論出来るのでイジメにはならないと更に反論されるかもしれませんが、仮に私が一切反論せず、一方的に批判だけが為されるのであれば、定義的にはイジメになる気がします。
イジメを許すなと声高に口にする人が、それに反対する様な意見を持った人をイジメるという、まさに私のこのエッセイを補強する証拠となってしまいますよ?
私の意見を批判するのは言論の自由の範囲内でしょうが、その事だけは覚えておいて下さいね。
私の言いたい事は、イジメを無くそうと思い込まない方が良い、ですが、イジメが良いとは一言も言っていませんので、それにもご注意下さい。
イジメは学校だけでは無く、会社でも地域のコミュニティでも普通に起こりえます。
これは私の持論ですが、イジメとは共同体からの異物の排除行為であり、高等生物の本能であると考えます。
群れで暮らす生物は、病気に罹った個体を群れから排除しなければ、群れ全体が全滅する可能性があるからです。
免疫の仕事も体内に入った異物を排除する事ですが、群れと個の免疫は違いますかね?
また、治療の出来る人類も別、でしょうか?
でも、本能は消せないと思うのですが、どうでしょう?
だから教育でイジメをしない様に指導する、ですか?
それを言い過ぎると、現場の教員への過剰な要求というイジメになりかねないのでは?
それとも、イジメがあった学校の記者会見を要求し、記者達に校長を吊るし上げさせますか?
立派なイジメでは?
一番大事な事は、イジメを苦にして自殺する子供や、心に傷を負って立ち直れなくなる子供達が出ない様にする事です。
それはイジメを無くす努力ではありません。
イジメを減らす努力は当然しても、無くすとまでは思い込まない方が良い。
高等生物にイジメを無くす事は不可能(それは感情の喪失以外に方法が無い様に思われる)ですから、イジメなんぞで死を選ぶ事が無い様にするしかありません。
イジメられて一時的に登校拒否になったとしても、いずれは回復して自分の人生を歩める様になる。
それを目指すべきです。
大事なのは被害者の人生なので、被害者を救い、最悪を防ぐ為にこそ、優先的に努力した方が良いと思います。
加害者は罰しないのか、ですか?
イジメはいけないと啓蒙しないのか、ですか?
それは当然なのですが、ぶっちゃけイジメは誰でも加害者になり、被害者にもなり得るのではありませんか?
防止に努めるのは当然ですし教育も大事だとは思いますが、別の例で言うと、泥棒をする者が出ない様に教育するよりも、防犯対策をしっかりと進めた方が確実だし早くないですか?
泥棒を犯した者を罰するのは当然ですが、泥棒そのものを無くす事は不可能だと思います。
それとは別に、口喧嘩でつい強い口調や汚い言葉を使ってしまい、相手を傷つけてしまう事もあります。
そんな事はどれだけ注意していても防ぐ事は難しいのですから、大事なのは口喧嘩くらいで傷つかない心を育てる事ではありませんか?
仮に傷ついても、売り言葉に買い言葉だと捉え、深刻に受け止めない様にして立ち直る強さを身につける事では?
汚い言葉を使ってはいけませんと教育した所で、感情が高ぶれば制御出来ないのが人ですよね?
陰口もイジメなのでしょうが、そんな事をなくすのは不可能でしょ?
出来もしない目標を掲げて自縄自縛に陥るよりも、人生には山もあれば谷もあるとして、辛い時を何とかやり過ごすくらいの心持で良いのでは?
イジメを決して許さないと思い込むのは、心が縛られるだけでは?
何かに心が縛られていると、柔軟な思考や対応が出来ないのでは?
自分を正義と思い込んでしまうと、他者を責める姿勢に繋がるのでは?
間違いを犯した者を糾弾しがちになるのでは?
それってつまりイジメでは?
緩くいこうぜと言いたい。
イジメくらいあるさ、人間だもの。
でも、死を選ぶ必要は無いよとだけは言いたい。
辛ければ逃げればいいさと言いたい。