第7話
ところが、両者の戦いが始まる直前に、ファンニはハッと気がつく。ここで争ってはだめだ、今追いつめられているのは、普段頼れるフォルラであり、となると、この場でこのやたらと好戦的な男を止めることができる者は自分しかいない、と即座に怒りを鎮めて我に返る。ファンニはすぐに平とボールの二人の間に少々強引に割って入ると、まず、平へ顔を向けて睨みつけて静かに注意する。
「何やってるの。こんなところで事を荒立てても何も起きないでしょぉ。もう、無茶苦茶なことしないでよねぇ~」
平は、何か自分は間違ったことをしてしまったのかとおろおろし始める。
ファンニは続いて、反対側のボールへと体を向ける。そのまま、頭を深く下げつつ言う。
「もしかしたら、手違いが発生してしまっていたのかもしれません。えぇと……それで……単刀直入に聞きますよ。あなた方は、どれくらいを希望しているんですか?」
ちらり、と目だけをボールへと向ける。その目は、笑ってもいなければ、怒ってもいない。頭を下げているというのに、屈辱に染まったものでもなければ、申し訳なさそうなものでもない。ファンニの目に感情はなく、ただ、目の前で発生してしまった事象に対して冷静に対処をしようとしていた。
フォルラがぎょっとしながらもその交渉の行方を見守る。そんな中、ボールは、ファンニをチラリと見て、あー、と言いながらわざとらしく頭を掻く。分かってねぇなぁ、と面倒くさそうに前置きしてから続けた。
「そういう話じゃあないんだよなぁ~、いやぁ、脳みそお花畑かあ? いいか、お前らは、今、ここで、重罪を犯そうとしてるんだ。とびっきりのな。それを避けるための方法はただ一つよ、なぁ?」
言うと、周りの仲間の兵士たちとにやにやと気持ちの悪い視線交換をして、ファンニたちを威圧する。そうしてから、数秒の間を空けて、ファンニへ宣告する。
「ぜ・ん・ぶ、だよ! なあ!?」
兵士たちが、ひゃほーぉい、うぇーい、と笑い声をあげる。なお、何故かその中に平も混ざっている。そうなのだ、彼は周りのテンションが上がっている様子を見て、これは自分も一緒に盛り上げねば、とストリーマー魂を燃やしてしまったのだ。幸い、その様子は修羅場ということを正しく認識しているファンニとフォルラは彼女たちの視線はボールを捉えており、目撃されることがなかったため、彼女たちからのお咎めは免れることに成功する。
「全部……」
ファンニが呟き、
「ダメです、そんなことをしたら、この先、まともに進むことすらできなくなっちゃいます」
フォルラが否定する。素直に渡すつもりがないと見ると、ボールは態度を急変させた。大きなため息をついて、首を振る。やれやれと、顎で兵士たちに命令すると、兵士たちはフォルラの両腕を掴んで彼女を連れて行こうとする。
「ま、待ってください!」
フォルラは抵抗し、一瞬のスキをついて、ファンニへ近づくと、懐から取り出した袋を手渡して言う。
「これっ、これは、お姉ちゃんが持っていないとダメだから!」
「おいっ、勝手なことをするなっ!!」
フォルラは袋を手渡すと途端に大人しくなり、兵士たちになされるがまま、他の部屋へと連れていかれてしまう。
「待てっ!」
追いかけようとするファンニを、
「大丈夫、私は大丈夫だから! 二人は先を急いで!」
あろうことか、フォルラが止める。その一言で出鼻をくじかれたファンニはそれ以上動けることなくその場に立ち尽くしてしまう。残されたのは、ファンニと平、そしてボールだけ。ボールは立ち去りながら、言った。
「あー、今日はもうこれまでだ。お前ら二人はベルズモンドに入ってもいいぞ。じゃあなぁ?」
「待て。フォルラは、フォルラはどうなる?」
問うフォルラに、ボールは答える。
「んん~、さぁなぁ~? 重罪だからなぁ……わからんなぁ、ただで済むか……でも、なんだ、面会のチャンスはある……そうだなぁ、明日。明日の正午、ここに来れば最後の面会くらいさせてやらんこともない、かなぁ」
まるで人ごとのように言いながら、ボールが立ち去っていく。その背中を二人はただ見守ることしかできなかった。
ファンニと平は、ベルズモンドの街へと足を踏み入れた。本来なら、三人で立ちたかった街、三人で見たかった街並み。けれど、そこにフォルラの姿はない。彼女は、城壁内の関所へ捉えられてしまっている。
ベルズモンドの街内は、フォルラを失い深刻そうな表情をしているファンニとは正反対であった。関所の街として、人の往来は多い。既に陽が沈んでいるにも関わらず、メインストリートには街灯が連なり、人通りが絶えないのだ。そんなものを見たところで気分がよくなる訳もないファンニだったが、平は、一人で能天気に、
「うわぁ~、すげぇ~、きれーい」
なんてうろちょろしている。なんて奴だとムスッとするファンニだったが、腹を立てたところで仕方がない。一応、あの場面において平は、大きな抵抗を見せていた訳だし、何か考えがあるのかもしれないと、勝手に深読みする。勿論、真実を記してしまえば、そんなものはない。
だが、ファンニのそんな心情を察してか、察しないでか、平はくるりと後ろを向いて、ファンニへと近づく。
「それで? これから、どうするんだ? まさか、あの街の中で呑んで騒いでやんややんやする、ってワケでもないだろ? もう予定は決まってるのか? 救出シーンとか、あるんだろ? いつやるんだよ」
ファンニは、僅かに眉間にしわを寄せながらも、平静を装って言う。
「……そうだよねぇ。まずは休まないとね……それと……」
彼女は、決めつつあった。これから先の行方を。勿論、フォルラをどうにかできるのならどうにかした方がいい。しかし、フォルラは何を思って自分に袋を手渡したのか。その真意を推測できないほどファンニは愚かではなかった。
フォルラは、ファンニへ託したのだ。自分は自分で何とかするから、先へ行け、そう言いたかったに違いない。
「予定は決まってない。フォルラは……身分は明かせない。今明かしてしまえば、私たちの情報がルバゼン地方のよくない勢力にも伝わってしまうかもしれない」
「ほぅほぅ、それで? 筋書くらいは決まってるんだろ?」
「それは、決めないといけない。私たちがねぇ」
すると、平は、ほほぉ~う、と驚きの声をあげた。
「なるほどなぁ、そこまでアドリブってことか、確かに一理ある。どんな動画だって、筋書き通りの展開が美しい一方で、驚く展開、楽しい展開っていうのはハプニングに起因することが多い……そうだな? そういうことなんだな!?」
「え、何を言ってるのぉ?」
心底気だるげな様子のファンニの様子に、平は若干戸惑いつつも、
「あ~、そうだな、じゃあ、とりあえず、今日は疲れをとるってのはどうだぁ?」
なんていう間抜けた提案をする。普通であれば、こんな提案は緊張感がないものであり、ファンニも拒絶を見せそうなものであったが、物事に対してやたらと思考が働いてしまうファンニは、きっと彼の提案の裏には隠された何かがあるのだろうと考えた。同時に、自分で弾きだそうとした結論は、逃げではないのかという僅かに脳裏に浮かんでいた思考も彼女の背中を押し、ファンニは平のとりあえずの提案を受け入れるに至った。
宿を見つけることは容易で、すぐに二人分の宿が見つかり、二人はそこで就寝する。
ファンニにとっては寝苦しい夜が、平にとっては、異国の地でワクワクした夜が一瞬にして過ぎ、二人の感情に左右されることなんてあり得る訳もなく、日は昇る。
一晩開けて、ファンニの精神状態はかなり落ち着いていた。冷静に物事を捉え、自分が効率的に、正確に事を進めるのは、フォルラの真意をそのままありがたく受け取るのが一番良いと考え直す。
宿を出て、まだ朝早いにも関わらず活気あふれる街並みを眺めながら呑気に背伸びをする平の背中に向かって、いつもの調子で言う。
「ねぇ~、もういこっか~。この先はもう関所とかないはずだしさぁ~、フォルラはフォルラでうまくやるよ、多分」
そんな言葉を背後から受け取った平は、あー、なるほど、と考える。そういうことか、とクスクス笑う。何を不気味に笑ってるんだこの男は、とジト目で見つめるファンニをよそに、平はひらめく。
そうだ、これは俺を試しているんだ、と。きっと既に、撮影は始まっている。そうだ、自分がヒーローになる時が来たんだ。そう考えた平は、びしっと指を適当な方角へ指して言う。
「ああ~、そうだな、行こうぜ……! だけど、行くのは関所がない方向? いいやぁ? それは逆さぁ! 俺たちが向かうべき目的地は、関所、そうだろ?」
決まった、としたり顔でファンニの方を向き、
「関所、あっちだけどねぇ~」
と訂正される平であった。
城壁内の関所は、かつて、ルバゼン地方の最前線を担う重要な拠点であった。アファツルと深刻な争いを繰り広げてきたルバゼンの最前線は、けれども、数百年の月日を経て大きく変化した。最前線であった城壁は外見をそのままに関所となり、その中には、兵士たちが詰めていた。彼らの中で、人生において兵士の主たる役割である戦闘を繰り広げた事のある人間はごくごく一部だ。アファルン連合の外からの侵入者との戦いを終えて、前線を退いてきた者のみがそれにあたるが、それ以外の人間は一様にしてただ関所の任務をこなすことしか行っていなかった。
ボールもまたそのうちの一人であり、彼は戦争を経験したこともなければ、異民族の侵略という言葉さえどこ吹く風。関所である程度の地位を持っているということを良いことに、私腹を肥やすためだけに旅人や商人から賄賂を貰うなんていう生活を送っていた。今回、フォルラが捕まってしまったのも、そんな彼の悪行が原因な訳である。
述べたように、彼らは戦闘に慣れているという訳では決してない。しかし、かといって、喧嘩は日常茶飯事であるし、あまり治安のよくないベルズモンド内で兵士という役職に就いている異常、それなりに体は鍛えていた。
同時、彼ら兵士を、ベルズモンドの人間や、それなりにこの街のことを知っている人間たちは、ある程度恐れていた。人々からすれば、彼らは関わらないで済むのなら関わりたくない存在であり、また、遠くから、裏から、治安を支えてくれる権力でもあったのだ。そして、兵士たちもまた、そのことを良く知っていた。
であるからして、今、彼ら兵士たちの目の前で繰り広げられている光景に、彼らは目を疑っていた。
予定の時間よりもずっと早く、ファンニと平は、関所へと乗り込んでいた。受付らしきところへ乗り込んだ平は、
「おうおうおうおう! ボールとかいう馬鹿男を出しやがれぇ~!!」
と、受付をやっているらしい兵士の前にある木製の机へ足を上げ、声高らかに叫んでいるのだ。
「おいおい、なんだぁ、兄ちゃん」
その声を聞いて駆けつける数人の兵士たち。彼らは下っ端兵士であったが、それなりに鍛えられているであろうその体は、平のそれとは比べ物にならないくらいにがっしりしている。仮に、平常時、いつもの世界で平がこんな図体を持った人間数人に囲まれでもしたら、間違いなく土下座して何もしていないのに謝り倒す場面であったが、平は、そんな兵士たちの登場に全く恐れることなく睨みつけながら近寄り、言い放つ。
「うぅ~ん? ぇええぇ~い? なんだぁ? おめぇらはぁ! 雑魚はすっこんでろぉ!」
「あああ!? なんだ、お前はぁ!! 何者だ!」
平の演技もさることながら、ファンニは、その持ち前の気だるさで兵士たちを威圧する。こんなうるさいことが目の前で起きているにもかかわらず全く動じないファンニに気おされた兵士たちが後ずさる。この騒ぎ立てる男はまだしも、ファンニの無言の威圧はむやみに立ち向かうのは良くない、兵士たちは懸命にもうそう判断したのである。
一方の平はその勢いをとどめることを知らない。
よぉし、このままいったるぞぉ、と気合をいれると、壁際に置かれている剣を手に取る。いや、取ろうとする。
「……おっも、これダメでしょ! わざわざ本物置かなくて軽いのにしときなよぉ!」
ささっとファンニに近寄って一方的に他の誰にも聞こえないように超絶早口で呟く。
「はぁ?」
というファンニからの応答を聞く間もなく、剣から手を放して、おらおら、と剣を持てなかったことを声でごまかしまたもや走り回ったり、机に脚を上げたりする。とりあえず暴れてますよ、という様子を見せたいらしい。
段々暴れ方もネタ切れになってきて、いよいよ適当に煩悩煩悩でも言っとくか、と考え始めたところで、平はようやく目的の人物が出てきたことに安堵する。
「うるさいなぁ~っとに! お前らぁ、こんな暴れさせたんだから、ぶっ飛ばしとけよなぁ!」
ボールだ。彼は物凄く不機嫌そうに平へと近づき彼を見下ろし、威圧した。